第87回 上杉憲顕の「人造武士」の可能性に馬肉に金子党…気になったことを順番に調べてみた

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第87回 上杉憲顕の「人造武士」の可能性に馬肉に金子党…気になったことを順番に調べてみた

 「ひ 閃いた!」  大きなおにぎりをほおばっている吹雪、時行の正体を知った時(第23話参照)ほどではないですが、久々に派手にご飯を噴き出しているのに思わず笑ってしまった『逃げ上手の若君』第87話。  よく見ると、吹雪の目の端に涙が……これは、時行が用意したおにぎりを夢中で食べたせいなのか、郎党たち皆が経験している時行の「坊々無茶振(ぼんぼんむちゃぶ)り」のプレッシャーなのか、いずれにせよ、時行の期待に応えるべく短時間で頑張ったためのものではないかと思います。  「ときゆきがわくわくしたかおでこちらをみている!!」  おそらく、吹雪は足利学校のことも毒親のこともすっかり忘れてしまって、ひたすら考えたと思います。時行の破壊力は半端ないですね。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  さて、今回は自分が気になって調べたことをいくつか、順に紹介したいと思います。  「強いでしょう 我が作品・人造武士は 痛みも疲れも感じぬように薬物投与しております」  先にも、上杉憲顕は松井作品ではお約束の〝マッドサイエンティスト〟枠のキャラクターだと触れてきましたが、鎌倉時代・南北朝時代に科学的な分野の学問は発達していたのでしょうか。  足利学校では「医学書なども講じられた」(『日本中世史事典』)とありますし、古典『太平記』では治療や毒殺の記述も何度か出てきます。また、建築や工芸の分野は科学技術的な要素がありますので、作品内ではすでに清原信濃守の「戦車」が実証済みです。  常識を破った使用を行えば「人造武士」もできないことはなさそうです。しかし、清原信濃守といい、上杉憲顕といい、「人の道を外れているという一点」に問題がありすぎです。  当時の医学書などが残っていて読むことができたら、大変興味深いと思いました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  次に気になったのは「馬肉」です。 馬肉(ばにく)  食用のウマの肉。俗称としてさくら肉、蹴飛 (けと) ばしともいわれる。肉色は牛肉に似ている。馬肉の食用はあまり一般的ではないが、長野県松本や熊本県では古くから食用の習慣がある。〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕  引用文中には、「長野県松本と熊本県」で馬肉を食することが記されていますが、いずれも古くから有名な馬の産地です。私の知人に先祖が熊本出身で馬を扱っていたという方がいるのですが、その方の話では、愛情込めて飼育すると同時に食してもいたということでした。  今川氏は「領内でも沢山馬を飼ってる」(第73話参照)とあり、馬の産地では馬肉食もセットであったと考えられます。ただ、今川範満の「お食事」には家臣たちもげんなりの顔つきです。  ちなみに、吹雪は「信濃は馬の名産地だが 望月殿の牧場で育てた馬が最も速い!」と述べています(望月重信らしき馬のゆるキャラと、手に握られている血の付いた刀と神石の意味はわかりません…)。望月氏と海野氏、祢津氏は、馬を育てる「牧」でつながった滋野一族であることは、このシリーズの第37回でも触れています。 第37回「高師直・師泰兄弟に護良親王、諏訪神党三大将に麻呂(まろ)…事態急展開で登場人物を再確認してみる」 https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=38 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  最後に、四宮が「昨日加入した金子党の奴らが揃って派手だったな」と言った「金子党」が気になりました(ちなみに、保科と四宮が信濃に残留して小笠原軍と戦って足止めをするのでなく、『逃げ上手の若君』の中では時行に従って進軍しているのが個人的には嬉しいです)。 金子 かねこ 埼玉県 入間市 埼玉県南部,霞川流域の平地・丘陵・台地に位置する。 〔中世〕金子郷 鎌倉期から見える郷名。武蔵国入間(いるま)郡のうち。「吾妻鏡」寛喜2年6月11日の条に「武蔵国在庁等注申云,去九日辰刻,当国金子郷雷交雨降又同時降雹云々」とあり,金子郷に雹まじりの雨が降ったことを幕府に注進している。地内は,武蔵七党のうちの村山党金子氏の本拠地であった。金子氏の起こりは,村山頼任の孫家範が金子郷に住し,金子六郎と称したのがはじまりである。家範の次男家忠は金子氏の全盛を誇り,金子丘陵の端上に菩提寺木蓮寺を創建し,側に居館を構えた。江戸期の「新編武蔵」は木蓮寺・寺竹・三木・花木・中神5か村の総称を金子郷としている。なお,同書は他に入間郡の広域称として金子領を載せている。〔新版 角川日本地名大辞典〕  女影原から小手指ヶ原に進んで来た北条軍ですから、「昨日加入」となれば、現在では小手指のある所沢市のお隣の埼玉県入間市の金子氏と推測されます。女影原での北条軍の勝利を耳にして参加してきたのかもしれません。このような細かい部分もさすが松井先生です。  なお、「武蔵七党」については、『日本国語大辞典』によると以下の通りです。    平安末期から南北朝期にかけて武蔵国を本拠として活躍した武士団のうち、主な七つをいう。同族的性格をもち、いずれも武蔵国の国司の子孫が土着したものといわれる。七党には異説があり、数え方も一定しないが、野与・村山・横山・猪俣・児玉・丹・西・私市(きさい)・綴(つづき)の諸党の中から挙げられる。大武士団の成長をみない武蔵国ではこれらの小武士団が割拠し、それぞれ源氏の従者となっていった。武蔵の七党。  ただ、金子党が「派手」というのはどうなのでしょうか。埼玉県の出身だという松井先生ですから、県内の地域性を反映したりしているのかもしれませんね。そういえば、このあたり出身の金子という名前の知り合いがいたのですが、ちょっとヤンチャな感じでした(笑)。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  キラッキラな時行に「イラァ…」「ビキビキビキ」の「うま」がどうなるのかが実は最も気になる今回ですが、「背伸び乗り」や「縁起物の大将」によって爆上がりする士気など、こんな知識やそれに基づく発想はどこでどうすれば得ることができるのだろうかという驚きがありました。  日本の中世の思想を研究している自分ですが、中世の人々のありふれた生活と素の気持ちをしっかり見ることができているのかなと、『逃げ上手の若君』を読むたびに思わされてしまいます。 〔阿部猛・佐藤和彦編集『日本中世史事典』(朝倉書店)を参照しています。〕
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