第17回 たいまつやハリボテ人形で戦いを制することなんてできるの? それらは『太平記』のヒーローも使う技です!

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第17回 たいまつやハリボテ人形で戦いを制することなんてできるの? それらは『太平記』のヒーローも使う技です!

 敵かと思った美少年・吹雪は、時行もトキメキの郎党候補で一安心の『逃げ上手の若君』第17話ですが、見るからにアブナイ集団の「征蟻党(せいぎとう)」の小隊を、幼子たちと三度全滅させたということでした。  ちなみに、弧次郎と亜也子を「敵の斥候(せっこう)」かと思い攻撃したと吹雪は述べていますが、「斥候」とは「敵状・地形等の状況を偵察・捜索させるため、舞台から派遣する少数の兵士」〔広辞苑〕のことを意味します。  さて、「大人が全員殺されていました」という村に残された幼子たちを「立派な戦力」として指導する吹雪でしたが、落とし穴や仕掛け弓は破壊力・攻撃力を感じることができても、「たいまつ」や「(おとり)のハリボテ」なんて、そんな効果あるの?と思った方もあるのではないでしょうか。  ーー実は、たいまつもハリボテも、古典『太平記』ではシニア世代を中心にダントツの人気を誇る智謀の将・楠正成がとった策でもあるのです。 ***********************************  幕府軍との戦いで赤坂城で死んだと思われた楠木正成(実は偽装自害だった)が天王寺に出現! 宇都宮公綱(うつのみやきんつな)が幕府の命を受けてその追討に向かうのですが、直接対決を避けた正成は軍を引き、宇都宮軍はそのまま天王寺に入りました。ところが四、五日後、正成は野武士たちを利用して大量に遠篝火(とおかがりび)を焚かせます。  〝敵の大群に包囲された!〟と思った公綱は京に撤退し、その翌朝、正成は公綱と入れ替わりに天王寺を占拠したのです。  また、ハリボテは千早城(ちはやじょう)での戦いに登場します。千人足らずの小勢で幕府軍百万騎を迎え撃ったことで有名な戦いです。  攻め上ってくる者たちに大石を落として矢を射かける、給水路を断とうとして水源に待ち伏せた敵に逆に奇襲をかけるといった、地の利を生かした正成のゲリラ戦術はご存じの方も多いかと思います。  どうにもならんとみた幕府軍は、兵糧攻めに作戦を切り替え、一切の攻撃をやめてしまいます。そこで、楠木正成は打って出ます。  明け方に、城の方より大音声で(とき)の声が鳴り響きます。  とうとう城から兵が出て来たと、幕府軍は敵陣に押しかけました。対する楠木軍は、最前列で木陰に潜ませた兵を残し、次第に城の上に後退して行きます。身動きもせず残っている二、三十人ばかりを討とうと、幕府の兵たちが集まってきたところに、正成は大石を四、五十個、彼らの上へと一気に落としたのです。これにより、一瞬にして敵兵約800人が死傷したと『太平記』では語られます。  生き残った幕府の兵たちは気づきました。  「哀れ大剛(だいごう)の者かなと覚えて、一足(ひとあし)も引かざりつる(つわもの)、皆人にはあらで(わら)にて作れる人形なり」 ***********************************  『逃げ上手の若君』で描かれた、大人たちを失った村に残った非力な子どもたちを思うと、戦乱の世のむごさに胸が痛みます。しかし、「生」そのものは、子どもであってもそれを希求する者に対して、今この瞬間に自らのなすべきことが何かを教え与えるのだと、吹雪と子供たちの姿を見て感じることができました。  今回は『解説上手の若君』のページがありませんでした。歴史的な事実ではないストーリーの回だからだと思います。しかし、学校で学ぶ「歴史」、学問としての「歴史」ではなく、フィクションが描く、人間が生きることとは何かをつむぐ「歴史」からの学びは、松井先生の描くカットのひとつひとつからあふれ出てくる回であったと、私はそうとらえています。 〔ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
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