第25回 現実を見る足利尊氏・直義兄弟と消えゆく「神」諏訪頼重の苦悩

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第25回 現実を見る足利尊氏・直義兄弟と消えゆく「神」諏訪頼重の苦悩

 『逃げ上手の若君』第25話では、冒頭より足利尊氏の舎弟(しゃてい)・足利直義(ただよし)が登場! 期待を裏切らないイケメンぶりでしたが、皆さんお気づきになったでしょうか? 子どもの頃の二人を見るととてもよくわかるのですが、尊氏がタレ目、直義がツリ目です。  こちらは伝足利尊氏像(浄土寺蔵)です。確かにタレ目ですよね。 6b1dd7ab-64c3-4c14-980b-21333d8894a4  こちらは伝足利直義像(神護寺蔵)です。涼しげな目元ですね。 1f61b4d2-4527-4112-8e2b-9dc460e5d14d  画像はもちろんですが、古典『太平記』を読んでも〝この兄弟似てないよな……〟と、いつも思います。母親も同じで歳も近い兄弟だったということですが、画像の尊氏のは気のいいオッチャンにしか見えません。対する直義はいかにも切れ者の雰囲気です。  「武のカリスマと直感の尊氏」「智と冷徹と理論の直義」「正反対のタイプの俊才二人だが 兄弟仲はすごぶる良かった」という作品中の説明は、二人の史実的な部分をよく言い表していますが、言葉以上に松井先生の絵には説得力があると感じました。  さて、この二人、当初はお互いの不足を補うような理想的な兄弟として幕府の基礎を作っていくのですが、気づくと尊氏は高師直(こうのもろなお)と〝べったり〟なのです。  尊氏や師直、直義の和歌について分析している人がいましたが、尊氏や師直が出された題(テーマ)に従って軽快に歌を作っている感じなのに、直義の歌はやたら重い……生真面目な性格が知れる、とあったのを思い出します。仲の良かった兄弟も歳を取るに従って、お互いの違いが際立ち、補い合うのではなく反発の方に力が働いたのかもしれません。  ちなみに、古典『太平記』での足利尊氏の評価は〝強運〟です。  え、尊氏ってラッキーマンなの!?ーーですよね。『太平記』の語り手も直義については当時の価値観で良くも悪くも評価をするのですが(どちらかというとほめています)、尊氏については評価しあぐねていたようです。〝よっぽど前世での行いがよかったのだろう〟という、かなり投げやりな印象の解釈です。    また、『太平記』においては人知で理解できないことを「不思議」として片づける傾向があるのですが、当時の人たちにとって尊氏は〝不思議ちゃん〟だったのかもしれません。  そのような点も、大胆な解釈で松井先生は作品中に取り入れている可能性は大ですね。 ***********************************  一方の諏訪では、頼重が時行に「神力」について語ります。  指一本で諏訪湖の氷を真っ二つにした頼重の表情はいつになく悲しげです。そして、時行は頼重の後ろにいてその表情が見えなくとも、こう語りかけます。  「頼重殿も…いつか消えて無くなるのですか?」  頼重が時行を(かくま)い、尊氏に戦いを挑むことの意味をここでもう一度考えてみたいと思います。  今は諏訪神党によって「明神」として崇められている頼重ですが、もし万が一、戦いに負けた時はどうなるでしょうか……。「明神」としての権威は失墜し、神党の結束が揺らぐことを予測できない頼重ではないと思います(実際、諏訪の大祝は一年半後の挙兵ののちに没落を余儀なくされます)。  最初から負ける気でいるとは思いませんが、頼重は、尊氏がもはや人間の域を超えるような力を有している情報をつかんでいます(第15話参照)。ーー時行を大将として尊氏に仕掛けるこの戦いは、自らと一族を滅ぼしかねないものであるのです。  しかし、ここで思い起こしてほしいのは、第1話で頼重が時行に語ったこの一言です。  「全ては北条家への忠義のため!」  私は、自分が諏訪一族の末裔であることを、説明のつかない何かの導きで知りました。最近は、夢を見たり妙に勘が冴えることがあります。以下は戯言(たわごと)と思って聞いてくださって欲しいのですが、北条氏と諏訪氏との関係に「友達」という語が浮かんできました。  諏訪氏と北条氏は〝ファミリー〟のようなものだったことをこのシリーズの第23回で記しましたが、諏訪氏が現人神となって一族と地域を掌握するというかなり特殊なあり方をバックアップしたのは北条氏でした。その支配の形態も、それを当時の政権のトップが支持するというのも、異例なことだと思います。  これはのちのちの作品の展開に関わるかもしれませんで詳しくは触れないでおこうと思いますが、ある説によると、諏訪氏はその出自ゆえに相当に疑り深く慎重な一族であるようなのです。そうした中、血族と地縁的に強固となった関係の者たち以外で心を許せた唯一の存在が、北条氏であったのではないかというのが、私の意識にのぼった「友達」という語の解釈です。  もちろん、北条氏と諏訪氏とは主従関係にあるのですが、孤独な一族であった諏訪氏は、北条氏に対して家族愛とも友情ともつかない熱い思いをずっと寄せていたとすればどうなのか……と、推測するのです。  私の中の諏訪の血は、損得や目に見えるものだけを動機として彼らの行動を読み解くことを否定します。  「人が現実だけを見るようになれば神も神力も全て消えて無くなるでしょう それが時代の流れなのです」  南北朝時代には、「婆娑羅(ばさら)」という、神仏や伝統・権威を否定するあり方が流行しました。先に、足利尊氏と〝べったり〟になったと紹介した高師直も、「婆娑羅大名」と称された一人です。彼らや尊氏(あるいは尊氏を支えた時期の直義)は、現実を見て自らの身の振り方を処するのに長けていたのかもしれません。  未来が見えるはずなのに、それでも「現実だけ」は見ない、ある意味、時代遅れでもある「神」の責務を負う頼重が見ていたものは、一体何であるのか……。  頼重は「御神渡(おみわた)り」のことを、「いずれこれも自然現象として説明される日が来るでしょう」と時行に語ります。  しかし、いかに科学でそれが〝どのような仕組みで〟起きるかが解明できても、〝なぜ、何の目的で〟起きるのかは、私たち現代人にも知る由はありません。  消えゆく「神」の存在意義。ーー尊氏が「御仏(みほとけ)」をも餌にするというのであっても、侵すことのできない領域はあると、私は信じたいのです。 〔ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
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