第60回 「変態の思い出ばっか!!」という時行の気づき、そして、生まれ変わった瘴奸の行く末が気になりすぎる……

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第60回 「変態の思い出ばっか!!」という時行の気づき、そして、生まれ変わった瘴奸の行く末が気になりすぎる……

 「私です 皆さんの指揮するの」  子ども子どもな感じで右手を挙げてそう告げる時行と、次のコマの三浦八郎たち鎌倉党の「この世の終わりか」(弧次郎)という表情のコントラストが激しすぎて、無事に挙兵できるのか心配ながらも笑いの起こる『逃げ上手の若君』の第60話冒頭。  「三浦」の名は、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも耳にしますね。 三浦氏(みうらうじ) 桓武平氏 (かんむへいし) 流。鎌倉時代の相模国 (さがみのくに) (神奈川県)の豪族。出自については諸説あり、その有力な一つは、平為道 (たいらのためみち) が前九年の役の戦功として1063年(康平6)相模国三浦郡を領して衣笠城 (きぬがさじょう) (横須賀市)に居したのに始まるとするが、一説には平安中期に活躍した平良茂 (よしもち) の孫三浦太郎公義 (きみよし) からとする。義明 (よしあき) の代に三浦大介 (おおすけ) を名のり、これより三浦氏の嫡流は三浦介を称した。1180年(治承4)源頼朝 (みなもとのよりとも) が伊豆に挙兵すると、義明と三浦一族は頼朝をたすけて功があり、のち義明の子義澄 (よしずみ) は相模国守護、孫の和田義盛 (わだよしもり) は侍所別当 (さむらいどころべっとう) に任ぜられるなど、幕府の重臣として活躍。義澄の子義村 (よしむら) は北条氏と協調して勢力を強め、泰村 (やすむら) も同じく北条氏と姻戚 (いんせき) 関係を結んで強勢を誇ったが、1247年(宝治1)北条時頼 (ときより) の策謀により一族はほとんど滅亡した(宝治合戦 (ほうじかっせん) )。このころ諸国に根を広げていた支族のなかから三浦介を継いだのは佐原盛時 (さはらもりとき) で、ついで南北朝期には時継 (ときつぐ) 、高通 (たかみち) ら子孫の活躍をみたが、義同 (よしあつ) (道寸 (どうすん) )・義意 (よしおき) 父子の代の1516年(永正13)北条早雲 (そううん) に滅ぼされた。ひそかに逃れた子孫のなかには、江戸幕府に仕えたり、明治には子爵や男爵を授けられた者がいる。〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕  『鎌倉殿の13人』のネタバレも含まれてしまっていますが、なかなか壮絶な一族です。『逃げ上手の若君』内の青年「三浦八郎」が誰なのかは、私の日本史の知識レベルではわからなかったのですが、古典『太平記』の中先代の乱の時には、上の解説にもある「時継」の名前が「三浦介入道」として、諏訪頼重の次の二番目に記されています。  また、やはり古典『太平記』には「三浦八郎左衛門」という人物がもっと後の巻で登場し、大河ドラマ『太平記』では「三浦八郎」の名で演じられていたという情報もありました。  いずれにせよ、北条氏と三浦氏、鎌倉・南北朝時代と三浦氏は、切っても切り離せない関係といったところでしょうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  「…いや失礼だ 世話になってる信濃の皆が変態だなんて 普通の人もきっといる」  時行の記憶がカオス過ぎますね。ひそかに推しのモブキャラ「保科党の門番」さん以上のモブである「インド人」までいます(笑)。  そして、「普通の人もきっといる」と言って思い出したのが、ドヤ顔の頼継ですから、〝いや、彼も普通ではないでしょ…〟と突っ込みたくなりますが、おそらく時行が見ているのは、神・頼継の背後で困った顔をしている諏訪(信濃)の人たちなのではないかと思いました。  瘴奸が、信濃の人間ではないところも、時行は狙っているのではないでしょうか。時行の思いついた策が、一体どのようなものなのか、今からあれこれ考えをめぐらせてしまいます。  さてそこで、時行の場面から、小笠原貞宗に仕えて信濃で地頭となったその瘴奸が登場します。ーー瘴奸、まったく人間が変わってしまっていました!  「外道」どころか、本当はイイ奴だったんじゃないのか、もし自分の生まれた土地でそのまま領主になっていたら、幸せに一生を終えたのではないか……そんなことを想像してもしまいますが、私はそうでない可能性も考えています。  「おじさんはねお嬢ちゃん 仏様に心を洗われ 今の大殿に命を救われた」  当時は、武士たちが所領をめぐり一族内でも殺し合うような時代でした。鎌倉新仏教を興した有名な僧の一人である一遍のことをかつて紹介しましたが、彼もそうした争いの中で人を殺めてしまったことが出家の動機ではないかと記しました。 「第22回 修羅を生きる武士…当時の武士の出家の理由あれこれ」 https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=22  ここでは、斯波氏頼という武士も紹介していますが、兄弟間の争いが起こる前に出家をして、そのまま俗世との縁を絶っています。  所領が与えられなかったからといって、所領をめぐって争いに巻き込まれそうになるからといって、結果的に誰もが外道三昧になるわけではないのがわかります。  一方で、信じられないくらい残虐な武士もいました。  第12話の『解説上手の若君』に出てきた「馬庭(まにわ)の末に生首たやすな、切りかけよ。」と家来たちに〝武芸〟を奨励したという男衾三郎(おぶすまさぶろう)を思い出される方もあると思います。  また、古典『太平記』には、結城道忠という武士が、「常に死人の生首を見ていなければ心が塞ぐと言って、僧俗男女を区別せず、毎日二、三人の首を斬って、わざわざ自分の目の前に掛けさせる」とあります。  やはり瘴奸は、もともと外道の要素があったので、残虐な行為をくり返していたのだと私は考えます。そして、時行の「鬼心仏刀」によって死を覚悟しました(子どもたちに特にひどいことをしていたのですから、子どもの時行に命を奪われるのは、天罰だとでも思ったのではないでしょうか…)。  しかしそれでもなお、命を救われたという体験が自分を変えたのだという思いが、瘴奸のこのセリフには込められている気がしてならないのです。    「闇にいれば迷い苦しみ 光が差せば過去の罪が照らし出される 結局どこに行こうがこの世は地獄よ」  先にもここで名をとりあげた一遍の話になりますが、一遍は、本当にダメなところまで堕ちた人間が、救われたいと思えば、その思いはとても強く、偽りがないから、阿弥陀仏も聞き届けてくれる……といったことを語っています。  瘴奸と、瘴奸を慕う女の子とのやり取りには、少年漫画における設定や脚色を差し引いたとしても、当時の等身大の武士の悩みや苦しみ、生き様が凝縮されているのを感じます。  以前、松井先生の担当編集である東氏のプレゼンの動画で、瘴奸にはモデルがいるということを言っていらして、誰なのかなと気になり、先にこちらのシリーズでもこの人か?みたいなことは触れましたが、具体的な人物を超えたところでの、時代を生きた人々の魂が込められた瘴奸は、まさに創作作品ならではの登場人物であり、大きな魅力を感じます。  ……しんみりなところで最後なんなのですが、そういえば「麻呂」こと清原国司はどうしているのかなと思いました。実は、麻呂にも瘴奸と同じようにキャラとしての魅力を感じます。信濃におけるこれからの戦いのどこかで、きっと登場しますよね!? 〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
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