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第71回 小笠原貞宗に礼を尽くす時行…ほか、亜也子パパが手にする岩や丸太をめぐって調べたり考えたりしてみる
「あの長寿丸が北条時行! よりにもよって本家本元北条の嫡子!」
市河が止めるのも聞かず、単身で諏訪の本陣に馬を駆る小笠原貞宗……存在感が違います。貞宗が時行の正体を知った衝撃同様に、諏訪の兵たちも「あいつまさか…」で始まった、『逃げ上手の若君』第71話。
ここで、亜也子パパである望月重信が、戦闘中もその身から離さず手にしていた丸太で貞宗の放つ矢を受けるのですが、〝うわ、やっぱこれ週刊少年ジャンプの漫画だ!〟と思う展開は、時行と貞宗の関係性の描き方でも感じました。
今回はもう、史実や物語に照らすなんて野暮なことはしないで、ファン目線で思いだけ語れば!?など思ったりもしますが、『逃げ上手の若君』という作品の奥深さを知るのに、歴史や文学の世界を持ち出す意味はおおいにあると考え、あえていつも通りでいくことといたします。
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望月重信が、第37話で「神」と書かれた岩を持って登場し、以降、戦場でもずっと手にしているのに対して、南北朝関係の友人が〝どういう意味があるのだろうか〟という疑問を投げかけたことがありました。私は怪力キャラの演出のひとつだろうくらいにしか思ってなかったのですが、その一言で少し立ち止まって考えてみました。
第41話では、四宮の「「北」の市河はどうしてる?」という問いに対して亜也子が「今日一日は釘づけにできます!」「望月軍が嫌らしく市河の背後を襲っているので!」と答えている場面があります。
重信は「なぞのおじさんだよ~」言って「神」と書かれた岩を片手に襲ってくるのを市河が嫌がっているカットがあるのですが、市河は重信の妙なテンションではなく、この岩を嫌がっている可能性もあると考えました。ーー僧兵たちが神輿を担いで行う強訴のようなものなではないかと推測してみたのです。
強訴(ごうそ)
寺社の僧徒・神人が、朝廷・幕府に対し、仏力神威を楯にして、集団で示威行為による訴えや要求をすること。平安中期に始まり末期には盛んに行なわれた。特に興福寺の僧が春日神社の神木をかざし、延暦寺の僧が日吉神社の神輿をかついでするのが有名。〔日本国語大辞典〕
引用にある「神木」や「神輿」に矢を射かけたりするのは、神罰や仏罰を恐れるこの時代の人々にとっては絶対NGの行為であるから、こうした形での強訴は成り立ちます。
諏訪においては、石や岩が御神体として神と見なされる信仰が今にも残ることを聞きます。そして、中先代の乱に入っては、重信は岩ではなく「神」と記した丸太を手にしています。ーー『逃げ上手の若君』のファンの方であれば、それは丸太でないでしょ!とツッコミが入りそうですね(私もわざとここまでその言葉を記さないできました)。
おそらく、あの巨木というのは、諏訪の民が今もなお愛してやまない「御柱」ですよね。重信は単に戦勝を祈願して神を戦場にお運びしているだけとも取れますが、一般人の兵だったら恐れ多くて攻撃できないことも狙っているのかとも思いました。
もちろん、打倒・諏訪を誓う屈強な小笠原軍と無法の国司軍には、もはやそんなことは関係ないのかも知れません。なんたって、現人神の頼重も攻撃しているのですから(笑)。
とはいえ、重信のが貞宗の矢から「御柱」で時行を守ったというのと、貞宗の矢のものすごい威力には度肝を抜かれました!
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「よく見よ盛高」「遠目にも時行様の興奮が判る」「この信濃で一番楽しそうに逃げるのは… いつもあの貞宗に追われている時だった」
時行は、貞宗を〝敵〟とは思っていなかった。ーーこの展開にはハッとさせられました。
中学校の国語の教科書にも採用されている、熊谷直実が自分の息子と同じ年頃の平敦盛を討ち取った『平家物語』の話を私は思い出しました。
直実は、一の谷の戦場で出会った敵方の大将が「容顔まことに美麗」であるのにはっとして「助け参らせん」とするも、味方がやって来たので泣く泣く首を取ります。そして、討ち取った少年の持ち物の中に笛があるのを見て、今日の夜明けに耳にした笛の音が彼のものであったことにも気づきました。ーー直実はこのことをきっかけに出家をしてしまいます。
直実は敦盛のことを「やさし」と思い、また、源氏方の大将・源義経をはじめとする武士たちもこの笛を目にして涙します。
この時代の「やさし」には、「優美である。上品だ。風流である。」という意味がありますが、古語辞典によると、もともとは「やせる意の動詞「痩(や)す」(サ下二)に対応する形容詞。身がやせ細るような思いだ、の意が原義。」〔全訳古語辞典〕とあります。
『逃げ上手の若君』でも、貞宗は時行の「品性」をずっと怪しみながらも、一方ではそれを高く評価し、時行が幼い子どもであっても対等に向き合ってきたのではないかと思います。そして、時行もまた、弓の名手であり礼法を修した貞宗の「やさし」さを全身で感じとり、「厳しき師」として我知らず敬意を払っていたのですね。
これまで、平野将監入道(瘴奸)、清原真人(麻呂)といった実在した人物が、松井先生の手によって『逃げ上手の若君』のキャラクターとして現代によみがえり、自らの生に向き合う姿に魅了されてきました。
小笠原貞宗は諏訪氏の宿敵ですし、初登場も薄気味悪い感じでとても嫌でした。しかしながら、市河助房とのユーモラスな絡みに笑わされてりもする中で、気づいたら、好きなキャラクターの一人になっていました。
それと同時に、時行の少年漫画の主人公としてのこれまでにない魅力、鎌倉末期と南北朝期を舞台にしながらも、それと似る混迷する現代を生きる我々に対して送られるメッセージの数々に気づかされるのです。
〔ビギナーズ・クラシックス日本の古典『平家物語』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
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