第79回 古典『太平記』で女好きと言えばあの人ですが……権力、腕力、金、顔、若さ……そんなものに価値を見出さない女性もいるのです

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第79回 古典『太平記』で女好きと言えばあの人ですが……権力、腕力、金、顔、若さ……そんなものに価値を見出さない女性もいるのです

 海野様……ずっと生死が気になっていました。生きていらしてよかった(涙)って、『逃げ上手の若君』第79話の見せ場はそこではないですよね。すみません。  「すげえやっぱド変態だあの若君!」と言って沸く諏訪神党にもツッコミたくなりますが、時行と弧次郎はいったい何を考えているのか……。  先に瘴奸を倒した時行と吹雪の「二牙白刃」の動きでもないですし、孫二郎の言う通り「何この意味不明な戦い方?」ですね。ーーしかし、常識的でないからこそ勝機があるというのは、松井先生がご自身の作品で描いてきているテーマの一つです(楠木正成の顔も浮かびます)。  渋川のことを「…フフフ 恐ろしく強いが やはり若い」と評する海野様にはどうやら〝見えて〟いるようです。孫二郎の「疲労…?」と弧次郎の「今ならやれます」はおおいなるヒントだと思われますが……。  「オッサン」と言えば、望月パパも奮戦しています。人体二つで岩松の「馬鹿重い刀」を防ぎました(南無阿弥陀仏…)が、何十年も前の大学での法学の宿題を思い出してしまいました。課題は死刑。江戸時代に死刑囚で日本刀の試し斬りをして、人体二つとか三つだとかいう表現で、その切れ味の等級を表したというのを本で読みました。うろ覚えだったのですが、日本国語大辞典や角川古語大辞典に「二胴」という語を見つけました。 ふたつどう 【二胴】 〔名詞〕 二人の胴体を重ねておいて、刀の一振りで二人とも切り離すこと。刀の切れ味の優れていることを表す。また、姦通した妻とその相手を男が処刑する方法としてもいう。〔角川古語大辞典〕  用例は江戸時代のものばかりなのですが、日本刀おそるべし。それならば、岩松の「艶喰」だって人体2つでもいけるのではないかと思うのですが、重い刀というのはそうではないようです。高校の日本史の授業の時だかに、西洋やアジアの剣というのは、日本刀のように刃のスペックで〝切断する〟のではなく、力で〝押し(叩き)斬る〟のだというのを聞いたことがありました。  第78話であったように、「切れ味は確実に我が国の刀が優れていたが…見ろこの幅広の重い刀」「まるで鈍器だ」と言って、元寇での武器に驚く武士たちのセリフのとおりなのではないでしょうか。岩松自身も「どの武器使おうがへし折るだけだから」と望月に言い放っていますね。  日本の刀鍛冶の力量をもってしても、岩松の「艶喰」には「鈍器」的な要素があって、武具着用の「二胴」までは無理だったのかと推測しました。  いずれにせよオッサンは、自らの失われた若さをよくよく知って、腕力では押さないのですね。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  さて、話題は変わりますが、単行本の7巻に「ライバルがずっとオッサンなただ1つの少年漫画」といって貞宗と瘴奸がキラキラに描かれていたのをご覧になっていますか。  『逃げ上手の若君』は、ミドルからキッズまで超個性派の魅力的な男性にあふれていますね(笑)。誰かひとりに絞れと言われたら、私も迷ってしまうと思います(…何を?)。  作品中で岩松は、常に女性をそばにはべらせているモテ男くんですが、最初は嫌がっていても最後にはみんな自分の女になるって、すごい自信です。そんな彼に「信濃の女を舐めるにも限度があるわ」と、雫と美人巫女三人組がNO!をつきつけますが、ふと、岩松のこのポジションって、古典『太平記』だと高師直ではなかろうかと思いました。  ーーそうです、物語をご存じない方は、『逃げ上手の若君』に出てくる高師直しか知らないと思うので驚かれるかもしれませんが、尊氏に仕える足利家の〝絶対執事〟である師直です。『太平記』の中ではかなりやらかしています。『太平記』とそれをベースとした『仮名手本忠臣蔵』のせいで、師直=エロオヤジみたいなイメージになってしまったようです。  『逃げ上手の若君』では人相は悪いものの、師直かっこいいですよね。おそらく、有能で、保守的な面も持った人物であるという最近の研究の成果を反映した人物像だと思っています。その分、キャラクターとして面白みのある部分は、岩松で生かされたのかなと勝手に想像してみました。  『太平記』での高師直は、塩冶高貞(えんやたかさだ)という武士の妻に横恋慕します。先にこのシリーズ第37回でも少しだけ紹介していますが、どうあっても自分のものにならない高貞の妻を手に入れるために、高貞を讒言で陥れるという禁じ手を使います。しかし、師直の目論見は破れ、高貞の妻は子とともに自害して果てます。二手に分かれて自国の出雲で妻子を待っていた高貞はその報に接し、師直を強く恨みながら切腹を遂げます。  これに先立って、高貞が師直の卑劣なやり口に怒りを覚えて挙兵を決意した際、妻には自分と別れて生き延びてほしいということを暗に告げるのですが、彼女はそれを否定します。  「ただ(いづ)くの海山の()て、兼ねては知らぬ苔の下道の暗き闇には迷ふとも、もろともにと覚ゆるに、などかくや聞え侍るぞや」  ーーこの世のどこへでも、あの世をさまよっても、あなたと一緒にと思っているのに、どうしてそんなことを聞かされないといけないのですか。ーー  前世からの縁で高貞と結ばれたのに、思いもよらない男(師直)から言い寄られただけでも嫌だったし、高貞以外の男と再婚するなんてことはまったく考えられないと、高貞の妻はそうも夫に伝えています。ーー師直完敗!  師直は、のちに強い権力を握るようになると、貴族の娘たちを次々自分の女にしていきます。力で奪い取っているのですが、過去にそれには屈しなかった女性がいるわけです。高貞と高貞の妻との間には、高貞が自分がたかが武士であるのを気にするような身分の違いもあったというのですから、なんだかますます師直が哀れに思えてきます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  『太平記』も『逃げ上手の若君』も「物語」ですから、そんなのありえないというのはいくらでも言えます。作品中の師直も岩松も、もちろん実像ではないでしょう。  「物語」は、語られることによって何らかの「もの」が動くことを目的としています。それは、目に見えない私たちの気持ちであるかもしれませんし、未来や人生だと人もあるかもしれません。  歴史を題材としていたとしても、物語には物語の、歴史の学問のあり方とはまったく別次元の方法と目的があると私は考えています。 〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)を参照しています。〕
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