第98回 「北条って… やっぱすげーな」ーーその理由を帝王学、法と欲、元寇(!?)をキーワードに調べてみた

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第98回 「北条って… やっぱすげーな」ーーその理由を帝王学、法と欲、元寇(!?)をキーワードに調べてみた

 「…鎌倉に来て実感したけど」「…うん どっかでナメてたわ」「若って…というより」  「北条って… やっぱすげーな」  ※友達んちに行ったらやたら家がでかく急にビビる感覚  最後のコマのこの説明は、子どもの感覚としてすごくわかりやすいですね。子供同士対等な関係と思っていたのに、それが一瞬にして崩れて、子共の世界に大人の現実がどーんと出現するという。  時行の二つ名「全裸逃亡ド変態稚児」とはうって変わっての「キラキラ坊々」展開に委縮する弧次郎たち郎党ですが、時行との変な距離感を感じないでほしいなと思った『逃げ上手の若君』第98話でした。  しかし、郎党たちが圧倒されているのは、北条氏の権力や財力では決してないのがわかります。だから私も北条氏が大好きです。松井先生はその数々の事実を、この第98話に丁寧に織り込んでくださっていました。本シリーズですでにそのことに触れている回も紹介したりしながら、私も〝北条アゲアゲ〟してみたいと思います! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  冒頭で時行は「信濃で食べた鯛の味には遠く及ばない」として、まず自分の直属の部下たちをねぎらっています。そして、秩序を重んじる上で態度には差異は付けているとしても、思いに限っては「諸将と民との謁見」でも変わらないのに気づきます。(マウントをとったりはしません。そこには〝慈悲〟(現代の言葉だと〝愛〟がいいでしょうか)があります!)ーー私個人としては、これこそが真の為政者の姿であると考えています。  しかし、もちろんこれだけではありません。上に立つ者にはそれだけ厳しく自らに課すものもあります。  今回『逃げ上手の若君』に登場した「兼好法師」は、三大随筆で有名な『徒然草』の中で、北条時頼の質実な様子を書いています。 第32回 時行の鎌倉での生活は質素だった…? 足利直義の脇を固めているのは一体誰…(予想などしてみる)?? https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=33  兼好法師は、時頼のようなあり方をよしとする人物で、心情的には北条氏寄りだったのかもしれないと想像します。中央公論新社のマンガ日本の古典『徒然草』の著者であるバロン吉元氏は、「『徒然草』はまさに後醍醐天皇とその治世に対する批判ではないか」(「あとがき」)と記しています。確かに、例えば古典『太平記』では、政治を放棄した北条高時について語り手は一貫して否定的態度を示しますが、全体としては北条氏の自らを律する態度と治世に対する評価を惜しみません。  『徒然草』で記される時頼やその母の倹約の精神はおそらく、為政者たる節制(規律正しく、行動に節度があること。放縦に流れないように欲望を理性によって統御すること。)に基づいた行動の一部であると私は考えます。  時頼はまた、京都の摂関家から迎えた時の将軍に対して、「文武の稽古をすべきであると手紙で諫めた」という事実があるそうです(呉座勇一『日本中世への招待』)。そして、それは同様に、事実上の最高権力者である得宗(北条氏の本家嫡流)に求める姿勢でもあったようです。ーーこれが、泰家の言うところの「帝王学」の一端でしょう。  将軍と同じように文武に励んでいたというのであれば、『貞観政要』(『鎌倉殿の13人』でも泰時が読んでいました!)といった政治思想書なども学んでいたはずで、「頼重殿に政治の勉強を本格的にやらされる」という時行のセリフにリアリティが増します。  ※帝王学…帝王になる者がそれにふさわしい素養や見識などを学ぶ修養。  ※貞観政要(じょうがんせいよう)…唐の太宗が群臣と政治上の得失を問答した言を収録した書。帝王学の許可書として愛読された。10巻。唐の呉兢編。『日本中世への招待』には、「基本的に、中国は文が上で、武が下に見られる社会だが、軍事的才能も傑出していた唐の太宗は文武両道を非常に重視した。『貞観政要』にも武を重んじる太宗の政治理念が反映されているので、武士にとっても比較的馴染みやすいものだったのではないだろうか。」とある。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  「北条氏が作った基本法「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」は 明治維新まで使われたほど優れた法であった」  大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の最終回で、北条義時の子である泰時が草案を練っていたのがこれです。そして、「御成敗式目」が「優れた法」であることを一般の方にもわかりやすく解説している(…とはいえ、ガチガチの専門書に比較してです)のが、山本七平氏の『日本人を動かす原理 日本的革命の哲学』です。 https://amzn.to/3Y55R8h    「他の時代の法が中国や西洋の模倣なのに対し この法だけが日本人の道徳や価値観をベースに作られている」  作品内のこの解説は秀逸で、「御成敗式目」の本質をずばり一言で表しています。中国の法の模倣とは律令制度であり、西洋の法の模倣とは大日本帝国憲法(戦後の日本国憲法も、ですか…)です。  少しだけ、山本氏の本に基づいて補足すると、模倣した法が「自己と無関係なあるものを見て、それに自己を適応させようとしただけである」のに対して、「御成敗式目」は「「自然的秩序(ナチュラル・オーダー)絶対」という思想を自ら創出し」た点で「革命」そのもので、山本氏は泰時のことを「革命家」と評しています。  「自然的秩序(ナチュラル・オーダー)絶対」というのは、「「今ある秩序」を「あるがままに認める」ことですが、第98話の泰家が「あとは時代に合わせ改良するだけよ」と言うように、御成敗式目には本編にあたる五十一条の他に、その時々に起きた問題に合わせて制定された「追加法」というのが付されています。  ただ、泰時は師事していた明恵上人(山本氏は、御成敗式目の成立には明恵が思想的に大きな役割を果たしているとしています)から、「自然的秩序に即応する体制を樹立するには「先ず此の欲心を失ひ給はば、天下自ら令せずして治るべし」と、寡欲であることの重要性を教えられているそうです。「その背後には「政治は利権である」が当然とされていた律令制の苦い歴史的体験があるであろう」とも山本氏は指摘しています。  北条氏と法については、このシリーズで私も触れています。 第28回 「最も潔く死んだ一族」に秘められた冷酷な血と法への絶対服従……!? https://estar.jp/novels/25773681/viewer?page=29  ある見方からすれば、北条氏は、世界をつかさどる大いなる「法」に従ったがゆえに潔く歴史の舞台から姿を消したのかもしれません。それが、法のもとに秩序を保ち、冷酷な行いも辞さなかった自覚を持つ一族の、ケジメのつけかたなのだとしたら悲しいですが……。  私は第28回でこのように書きましたが、そうではなく、北条の寡欲を求める「自然的秩序」の対極にあるのが、『逃げ上手の若君』では足利尊氏に潜む「欲」の魔物ではないかと考え、北条氏の滅亡に強い関係があるのではないかと妄想するようになっています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  「権力争いだけの一族に 民の平和を百年守り 超大国の侵略を撃退し 七百年続く武家政権の秩序を築く事ができるだろうか」  「超大国の侵略」とは、『逃げ上手の若君』でも何度か取り上げられている「元寇」です。  ※元寇(げんこう)…鎌倉時代、元の軍隊が日本に来襲した事件。元のフビライは日本の入貢を求めたが鎌倉幕府に拒否され、1274年(文永11)元軍は壱岐・対馬を侵し博多に迫り、81年(弘安4)再び范文虎らの兵10万を送ったが、2度とも大風が起こって元艦の沈没するものが多かった。蒙古襲来。文永・弘安の役。  最近私は、主として南北朝時代の働きによって〝勤王〟とされている一族について調べているのですが、戦前・戦中に天皇との関わりの中で過剰に持ち上げられた武将や一族、あるいは、神国思想を基にして日本人を鼓舞するような出来事や人物が、戦後になってGHQによって〝消された〟、あるいは日本人自らによって〝アンタッチャブル〟にされているのを、いくつも目にしています。そしてその中に、元寇の時の鎌倉幕府執権・北条時宗(ときむね)が含まれているのを知りました。  余談ではありますが、ネット上のAIとは恐ろしいもので、YouTubeさんは私の検索履歴などなどを勝手に解析しているのでしょう、ダイエットサプリの宣伝に交じってちょっと右寄りな情報を提供している会社の広告動画があがってきます。外国でビジネスか何かをしているオジサマが、〝海外でモンゴル軍を撃退した日本のリーダーに北条時宗っていうのがいるって言ったらみんなすげーなって言う〟と話をしています(笑)。  一 神社を修理し、祭祀を専らにすべき事    右、神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ。(以下略)  一 寺塔を修造し、仏事等を勤行すべき事。    右、寺社異なるといへども、崇敬これ同じ。(以下略)  これは、御成敗式目の冒頭です。いきなり神仏を敬うことが条文で示されています。  一度話題を第98話に戻します。事務処理に長けた諏訪頼重や盛高の姿に意外な思いをされた方もあるかもしれません。実際の所、御家人には「大番役」という京都の宮廷や鎌倉の幕府を警護する当番制の役目があったということですが、諏訪氏は取り調べや裁判に関する仕事、金沢文庫での文書に関わる仕事などもあったようです。  武士としてのパワーは先に登場した三浦などには及ばないのかもしれませんが、神官家として頭脳労働もこなしたというところでしょうか。そして、諏訪氏にはもうひとつ、「諏訪明神」という「神」の仕事(?)もあります。  『逃げ上手の若君』第24話(「不可思議」)では、素性を隠した「諏訪大社関係者S・Y氏」が、「蒙古襲来で元軍を沈めた「神風」ね… あれ諏訪大社(うち)が祈って吹かせたんですよ」と発言しています。「神風」でないにしても、最新の研究では、嵐によって元軍は壊滅していないとされているというのを聞いたことがあります。  しかし、どうでしょうか。御成敗式目の冒頭、諏訪氏を明神として引き立てた時の権力者北条氏、そして、元寇。消された北条時宗に、神風なんて吹かなかったという学説……。  これらが事実だという鎌倉時代とその周辺をめぐる〝リアル〟に対して、個人的には驚きとともに強い関心があるのですが、ここに『逃げ上手の若君』の最大の謎のひとつである足利尊氏に巣食う欲の魔物を加えた時に、松井先生のことですから、我々の予想を超えた大胆なストーリー展開と現代人にとって切実なテーマを突き付けてくるのではないかと期待がふくらむばかりです。 〔山本七平『日本人を動かす原理 日本的革命の哲学』(PHP研究所)、日本思想体系『中世政治社會思想 上』(岩波書店)、呉座勇一『日本中世への招待』(朝日新書)、マンガ日本の古典『徒然草』〔バロン吉元〕(中央公論新社)を参照しています。〕
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