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おもちゃ売り場のさかきくん
『ご来店中のお客様に迷子さんのお知らせを致します。8階おもちゃ売り場にてさかきくん34歳をお預かり致しております。お連れ様は至急8階おもちゃ売り場までお越し下さいませ』
店内に響く迷子アナウンス。二回ほど繰り返される。
ある一部分を除けば、いたって普通のアナウンスだ。
これは30年前から毎週日曜日の17時に流されているアナウンスなのだ。
毎年1歳ずつ年を取る『おもちゃ売り場のさかきくん』
そして今に至るまで一度も迎えが来る事がなかった『おもちゃ売り場のさかきくん』
不思議な迷子のお知らせアナウンスに世間で話題になった事もあったが、今では誰も気にも留めていない。
そろそろ止め時なのかもしれない。
俺、三山榊は30年前このデパートのおもちゃ売り場に母親に置き去りにされたらしい。
らしいというのは、小さすぎて当時の事をあまり覚えていないのだ。
ただ一人残された不安と虚無感だけは今でも覚えている。
当時も何度も迷子のお知らせアナウンスを流してもらったらしいが誰も現れなかったという話だ。
勿論警察にも届けたが分からずじまいだった。
このデパートの社長夫婦は実子を病気で亡くしてすぐだったためか、捨てられた俺を不憫に思ったためか、俺を自分たちの籍にいれ実の子どものように大切にたいせつに育ててくれた。
本当に優しい人たちだった。
そんな育ての親も4年前、交通事故で揃って亡くなってしまった。
俺はまた一人置いて行かれた、と思った。
俺は実の母親に捨てられたと分かった時も、育ての親が亡くなった時も涙は出なかった。
確かに悲しい気持ちはあるはずなのに、何かが感情に蓋をしてしまっているのかどちらの親の事を考えてみても表情が動く事はなかった。
葬儀の席でも涙一つ見せない俺に周りは、「やはり血が繋がらない子は…」とひそひそと囁き合っていた。
俺はそれを聞いても何の感情も抱く事はなかった。
血が繋がらないのは事実だし、自分が泣いていないのも事実だ。
ただ、三山の両親の事を悪く言われる事だけは嫌だと思った。
だから俺はこのデパートの社長として三山の両親に恥をかかせないように寝る間も惜しんで働いた。
そのおかげで段々と味方も増えていき、陰口をたたかれる事も殆どなくなった。
*****
ある日、それは偶然だった。社長になって3年目、俺は33歳だった。
日曜の17時、デパートに流れた迷子アナウンス。
「これは――?」
秘書に問うと育ての親、前社長が29年間毎週アナウンスさせていたというのだ。
俺の頬を熱いものがぽろりぽろりと零れて行った。
長年蓋をしてしまっていた感情。
突然溢れ出して、胸が締め付けられる。
育ての親の大きな愛情。
感情表現がうまくできない俺の事をいつもあの人たちは怒る事なく大切に慈しんでくれていた。
「父さん……母さん………」
『私たちの子どもになって幸せかい?』
以前父さんに問われた言葉。
俺は答える事ができなかった。
実の母親でさえ自分を捨てた。この人たちだっていつ自分を捨てるか分からない、と思っていたから。
いつまでも続く幸せなんてないと思っていたから。
父さん、母さん、俺は二人の子どもになれて―――幸せでした。
生きている間に言えばよかった、と後悔の涙がとめどなく流れ続けた。
そして俺は30年目である今日を最後にこの『おもちゃ売り場のさかきくん』の迷子のお知らせアナウンスを止める事に決めていた。
たとえこのアナウンスを聞いて母親が現れたとしても、俺の親は4年前に亡くなってしまった三山の親しかいないのだ。
だから、もう俺を捨てた母の事など求める意味もないし、よくしてくれた三山の両親の為にも求めてはいけないと思った。
俺は長年自分を縛り続けていた鎖から解き放たれた気がした。
過去の事に囚われるのはもう終わりだ。
と、おもちゃ売り場にあるベンチから重い腰を上げた。
「―――あ、の…」
振り向くと、高校生くらいの少年が立っていた。
無言でその少年を見ていると、
「―――『さかきくん』ですか?」
その少年はおずおずとそんな事を言った。
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