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離れた距離を保ったまま、美月は紺野と話をした。
店を閉めたあとのおじいさんについて問うと、存命中らしい。
ほっと胸を撫で下ろす。
親しいといえるほどの間柄だったわけでないが、裏メニューを振る舞ってもらえる程度には常連だった。十代の女子でありながら、同い年の男子を上回る食欲を見せる美月を、祖父ともいえる世代の店主は、目をかけてくれていたと自惚れる。
紺野に、店の話を訊いてみると、彼は雇われ料理人らしい。自身で店を構えられるほどの資金がないとか。年齢的にもまだまだ――と自嘲する彼は、現在二十八歳。思っていたよりも若かったとは、内心で呟くに留める。
そのとき、ポケットに忍ばせていたスマホが震えた。昼休み終了五分前の合図だ。
画面を見て慌てる美月に、紺野も姿勢を直す。そして、机に置いていたボールペンを美月に手渡した。
「一瞬、プレゼント返しかと思った」
「使いかけなんてあげませんよ、失礼だし。あ、箸置き、ありがとうございます。すっごく素敵。大事にしますね」
自然に漏れた美月の笑みに、紺野は目を泳がせる。
「……あー、うん」
「さっきの話じゃないですけど、御礼になにか」
「いや、いいよべつに。どうしてもっていうなら、その……」
「どうぞ、ご遠慮なく。いつも美味しい食事を堪能してますので、なんなりと」
ぐっと拳を握る美月に、紺野はなにかの覚悟を決めるような声で申し出た。
「俺が働いている店に、食べにこいよ」
「是非。むしろ積極的に行きたいですし、お店があるか訊こうと思ってたぐらいです」
「そっか。店の場所だけど」
「明日、メモ入れておいてください」
「わかった、そうする。ちなみに明日は海老の出汁が効いた餡かけがオススメ」
「注文します!」
ポケットのスマホが、さらに時間を主張する。ダッシュで戻らなければ、午後の始業に間に合わない。
「では、ごちそうさまでした」
「明日も待ってるから」
「はい、また」
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