1 運命共同体

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1 運命共同体

1393cc5c-6d09-4f66-a7cf-157f66041ae0  私は思わず自分の耳を疑った。 「──ごめん。今、何て言った……?」  そう聞き返すと、目の前にいる双子の弟の(のぞむ)が口角を上げて悲しそうに微笑んだ。月明かりに照らし出されたその端正な容貌は、姉の自分から見ても見惚れるほど綺麗だ。  前髪の間から覗く色素の薄い茶色の瞳は、私だけを見て私だけを映している。昔からこの瞳の色が羨ましくて、同時に大好きでもあった。でも、今は少し怖いとすら感じる。  私達以外誰もいない静かな夜の公園が、二人だけの空間を作り出している。いつもは心地いいそんな空間も、今はひたすら重い空気を助長するだけだ。  私はなぜかこの場から逃げられないような、包囲されているような──そんな不安感を覚えた。瞳と同色の彼の髪が柔らかな夜風に(なび)く。次の瞬間、望は再び口を開いた。 「何度でも言ってやる。ずっと、千鶴(ちづる)のことが好きだった」  最初は聞き間違いかと思った。いや、何かの間違いだと思いたかった。  けれども、望はしっかりと私の目を見つめ、私の名前を呼び足を踏み出した。そして、私に顔を近づけて再度「好きだ」と言い放つ。  今日は、私達の十七歳の誕生日だ。まさかそんなおめでたい日に、実の弟から愛の告白を受けるとは思わなかった。  男女の双子で二卵性だから、そこまで外見がそっくりというわけでもない。  でも、似ている部分は確かにあって──自分との血縁関係を思わせる彼の顔が間近に迫ったことに焦りを覚えた私は、たじろぎ気味に後退る。 「あ、ああ……ええと。家族愛的な意味だよね? 改めて言われなくても、ちゃんとわかって──」 「恋愛的な意味で、だ。ずっと昔から好きだった」  望は敢えて気付かないふりをしている私を見て、少し苛立った表情を浮かべた。 「す、好きって……私達、姉弟だよ!? しかも、義理じゃなくて、ちゃんと血の繋がりがあるんだよ!?」 「わかってる。それでも好きだ。言葉では言い表せないくらいに愛してるんだ」 「そ……そんなこと言われても……」  私自身、ブラコンと言われも過言ではない程に望を愛している自覚はあったのだが……「恋愛対象として好きだ」と言われたら、やはり頭を殴られたような衝撃を受けてしまった。  私達は良い両親に恵まれず、虐待を受けて育った。誰も助けてくれず、味方はお互いしかいなかった。だから、ずっと二人で支え合って生きてきた。  そんな両親が事故で死んで、やっと虐待から解放されても、変わらず支え合ってきた。  どちらかが欠けても駄目で、常に『二人でひとつ』だった。離れるなんて考えられない程、強い絆で結ばれている。  生まれた時からずっと一緒でいつも隣にいてくれた大好きな男の子なのに、私は望の気持ちを受け入れることができない。 「本当は、一生胸に秘めておくつもりだった」 「……?」 「でも、お前はあいつと付き合い始めた。千鶴の幸せを願ってこの一年、ずっと嫉妬心を抑えてきた。血を吐く思いで耐えてきた。でも……このままでは、お前はいつかは結婚して完全に手の届かないところへ行ってしまう。……そう思ったら、居ても立っても居られなくなったんだ」  望の言う『あいつ』とは、もう一年以上も前から交際している私の恋人のことだ。私達双子の共通の友人でもある。  望は凡人な私と違って成績も優秀だし、運動神経も良いし、おまけに外見も良い。だから、よく学校で女子生徒達から言い寄られている。  それなのに、彼女達には一切興味を示さず私に構ってばかりだった。その行き過ぎたシスコンぶりに、友人達から「弟くんさ、いくらなんでも千鶴を構いすぎだし、過保護すぎない? ちょっと異常だよ」と心配されていたくらいだ。その理由がこれなのだとしたら、今までの行動にも合点がいく。  わざわざレベルを下げてまで私と同じ学校に行きたがったり、他の男子の話題をすると不機嫌になったり……。 「き、きっとあれだよ! シスコンを拗らせてるだけだよ! 知ってると思うけど、私もブラコンを拗らせてた口だから、このまま一生恋人ができないかもなんて思ってたけど、ちゃんとできたし!」 「拗らせているだけで済んだら、どれだけ楽だっただろうな……」  切なげにそう呟いた彼の目は、至って真剣だった。決して生半可な気持ちで言っているわけではなさそうだ。 「お願いだ。これ以上、遠くに行かないでくれ……」  そう言いながら、望は私との距離をさらに縮める。 「俺を選んでくれないか……? これからは、俺だけを見てほしいんだ」  望はそのまま私の頭に手を伸ばすと、愛おしそうに、大切なものに触れるように髪をすくい、優しく頬を撫でた。  私は思わず体を強張らせる。仕草や視線が、完全に恋人に対するそれだ。今、目の前にいるのが自分の弟ではなく、全く知らない男に見える。 「も、もう一度よく考えてみて? ただの気の迷いではなくて……? だって、世間から見たら絶対おかしいって言われるし……仮に恋人同士になったとしても、そんな関係、間違ってるでしょう!?」 「……気の迷いなんかじゃない! いつだって、本気だった! たとえ間違っているとしても、千鶴と一緒になれるなら俺は周りの目なんて気にしない! 世間を敵に回しても構わない!」  望はそう叫びながら、真剣な眼差しでこちらを見据えた。その勢いに怯み、思わず気迫負けしてしまう。 「の、望が気にしなくても……私が気にするよ……。誰にも言えない関係なんて、辛いだけだよ……」 「それは、俺が弟じゃなかったら良いということか? 血の繋がりだけを気にしているのか?」  しまった。確かに、そうともとれる言い方をしてしまったかもしれない。ああ……私、何でわざわざ勘違いされるようなことを言ってしまったんだろう……。 「え……!? いや……そんなこと一言も言ってな──」  望は狼狽える私の手を取ると、するりと指を絡めてきた。それに驚き、ますます体が強張る。 「知ってるか? 男女の双子は前世で結ばれず心中した恋人同士で、『来世では二人でいられるように』と願って生まれ変わったという言い伝えがあるんだ。……俺が千鶴にこんなにも惹かれるのは、案外そういう理由なのかもしれないな」  突然、何を言い出すんだろう……?  普段の彼はどちらかと言うと現実主義者で、迷信なんて信じるタイプではなかったはずだ。今日の望はやっぱりおかしい。そう思いながら困惑していると、今度は反対側の手を腰に回され引き寄せられた。 「俺もずっと姉弟であることを悩んでた。何度その変わらない事実に苦しみ、嘆いたかわからない。でも……もう、血の繋がりなんてどうでもいい。お前のためなら全てを捨てる覚悟だってある。……俺と千鶴は結婚できないから、周りから祝福して貰えないし、そう言った意味では幸せにしてやれないかもしれない。苦労もかけると思う。でも……俺は、千鶴のことなら誰よりもわかっているつもりだ。そして、誰よりも愛してる。だから、ずっとそばに居てほしい」  耳元でそう囁かれ、強く抱きしめられる。  嫌な予感がして望の顔を見上げると、陶然とした表情で微笑み返され、ぐいっと私の顎を持ち上げ唇を寄せてきた。  この流れは……。ああ、どうしよう……何とかしないと……。 「い、嫌……!」  これから起こることを察した私は、反射的に望の胸を両手で押して自分の体から引き離した。 「望、どうかしてるよ! 友達からも『あなた達の関係はおかしい』って言われて、変な目で見られて……。もう、どうしたらいいかわからなかったよ! それに、ずっと私をそんな風に見ていたなんて……はっきり言って気持ち悪いし、異常だよっ!」  涙目になりながらそう訴えると、望は目を大きく見開き、やがて酷く寂しそうな表情を浮かべた。 「……そう……だよな。気持ち悪いよな。異常だよな……。強引に迫って悪かった……」 「あ……ご、ごめん……」  拒絶してしまった。この世でたった一人の家族なのに。大切な片割れなのに。きっと、彼自身が一番言われたくなかったであろう言葉を言ってしまった。 「最初から、こうなることはわかっていたんだ。受け入れて貰えるわけがないって、わかっていたのに……。それでも、抑えられなかった。千鶴が俺を置いて遠くへ行ってしまうのが怖かった」 「望……」 「暫く、ここで頭を冷やそうと思う。……先に戻っていてくれ」  そう言うと、望は倒れ込むようにベンチに腰掛けた。そして、激しく後悔するような表情で俯き額に手を添え頭を抱えた。 「あ……あの……」  そこまで言って、言葉に詰まってしまう。何て声をかけたらいいかわからない。 「大丈夫だ。普通の姉弟に戻れるように努力する。だから──」  そう言うと望は一旦言葉を止め、少し考えた後、「俺を嫌わないでほしい」と付け加えた。それに対して、私は「うん……」と小さく返事をして頷く。  これ以上、彼のそばにいても事態が悪化するだけだと判断した私は、先に学校の敷地内にある寄宿舎に戻ることにした。公園を出て信号待ちをしていると、なぜか望が「待て、千鶴」と叫びながら後を追ってきた。 「そんな格好じゃ、寒いだろ?」  望はきょとんとしている私の首にマフラーを巻いてくれた。もう12月だというのに、薄い部屋着の上にコートを羽織っただけの私を見て寒そうだと思ったのだろう。  迫られて切羽詰まっていたとはいえ、あんなに酷いことを言って拒絶してしまったのに。相変わらず、私の心配をしてくれるんだ……。 「でも、望が……」  そう返すと、望は「俺は大丈夫だから気にするな」と言い、私の頭にポンと手を乗せた。「子供扱いされているみたいで悔しい」と思う反面、昔からこうされることにいつも安心感を覚えていた。 「……ごめん、ありがとう。先に戻ってるね」  信号が青に変わった。私は小さく手を振っている望に手を振り返し、横断歩道を進んでいく。  ふと、猛スピードでこちらに向かってくる車の存在に気付いた。ブレーキが壊れたか、居眠り運転か……或いは、発作の類かも知れない。運転手の状況が把握できているわけではないので憶測でしかないが、とにかく尋常ではない様子だった。 「えっ……?」  だが、時すでに遅し。もう、すぐそこまで車は迫っていた。私は思わず横断歩道の真ん中で立ち尽くす。すぐに判断して動けば、ぎりぎり間に合うのかもしれない。  それなのに、どういうわけか体が動かない。死が迫った瞬間って、意外と動けないものなんだな……と思った。 「馬鹿! 何やってるんだ!」  固まったまま動けずにいる私を見て、望が走り寄ってきた。  彼はもう間に合わないと判断したのだろう。咄嗟に私を抱え、少しでも生存率が上がるようにと守るような体勢を取った。でも……何となく、どちらも助からない気がした。  ──ごめんね、望。今まで頼りっぱなしだったけど、最期まで迷惑かけちゃったな。  車が私達に衝突する間際、望は私の手を握ってくれた。それに応えるように、私も彼の手を強く握り返す。  言葉を交わす余裕などないけれど、望の手の温もりは私の恐怖心を和らげてくれた。そして、「大丈夫。一人で死なせはしない」と言ってくれているように思えた。  ああ……私達、生まれたときも一緒だったけど、死ぬときも一緒なんだ。双子だけあって、運命共同体なのかな。でも、これで寂しくないね。  唯一の心残りは、勇気を出して「好きだ」と言ってくれた望を、あんな言い方で拒絶してしまったことだけかな。今、そのことを本当に後悔している。  きっと、凄く悩んだだろうに。ずっと一人で抱えて、苦しかっただろうに。  私はその心の痛みの欠片も気づいてあげられなかった。もし本当に生まれ変われるなら、来世でもう一度彼に巡り会いたい。そして、今度こそ後悔しないように一緒に生きていきたい。  猛スピードでこちらに向かってきた車は、容赦なく私達を跳ね飛ばした。  凄まじい衝撃と同時に身体が勢いよく宙に舞い、もう自分は助からないのだと悟らされた。周りの景色が、まるでスローモーションのように見える。  けれども……それでも、私達は互いの手を固く結び決して離さなかった。  ──ねえ、望。最期の瞬間まで手を繋いでいてくれてありがとう。
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