16人が本棚に入れています
本棚に追加
えみの黄金色の日々が失われた件について
あのころのしあちゃんの、ぴっかぴかぶりったら、なかった。しあちゃんがいるだけで、あたりいったいが輝いているみたいに見えた。
しあちゃんは、きりりとした顔立ちを、おしみなく崩してぴかぴかと笑う女の子だった。頭の回転が早く、運動神経もばつぐん、おおぜいの中にいても、ぽんと一番に目に入ってくる、それがしあちゃんだ。
どんな子にもくったくなく話しかけ、小学生なのに大人にももの怖じせずに意見をいう。いい子いっぺんとうってわけでなく、いたずらなところもあって、にくめない。しあちゃんを嫌うひとなんていなかった。
担任の先生が教室の戸を開けたとき、なにかが上から落ちてきた、という事件は、当時のクラスメイトの自慢ばなしだ。
それは定番の黒板消しでなくて、紙吹雪で、生徒たちはせえので、「おたんじょうびおめでとう、先生」と拍手し、さらさらと舞い散る花びらのなか、先生は立ちつくしたんだそうだ。おお盛りあがり。
先生は感激して大泣きだった、とか。
こういういたずらを考えるのが、しあちゃんは得意だった。ピタゴラスイッチみたいのも、教室にある小物ですぐに作っていたから、ほんとうに頭がよかったんだと思う。
しあちゃんのいる教室はいつも一致団結して、運動会や発表会なんかでかならず入賞した。
合唱コンクールでクラスの指揮者に選ばれたしあちゃんだけど、舞台上で指揮棒を振りながら、夢中になって、誰よりも大きな声で歌い出した、なんて本人にとってはすごい恥ずかしいらしい、おちゃめな失敗もあった。
しあちゃんの特技はものまねで、なかなかにうまかった。それは観察眼がもとになっていて、悪意はなく、まねされたひとのほとんどがくすぐったそうに笑った。
おなじクラスでなくても、上級生や下級生にも有名人で、「上倉さんとおんなじ学年なんていいなあ」と、それだけでうらやましがられ、ちょっと得意になれた。
しあちゃんが小学校という太陽系の中心なら、わたしは太陽に向かって咲くひまわり、の陰にひそむ毛虫だった。ずっと葉っぱに隠れてまぶしいおひさまを見つめ、けして自分からは話しかけない。
わたしはしゃべるのが苦手だ。誰かに話しかけられても、すぐに答えられず、ひと呼吸おいてしまう。
気の短い子はいらいらするらしく、つめよられてあせったわたしがだまりこむと、怒り出した。
女子はわたしに距離を置いたけれど、男子は態度に出した。
「ダルマ」
男子が口にする、わたしのあだ名だった。
下校途中、そう呼ばれてふり返ると、男子がふたり立っていた。かけっこの早い相馬くんと、腰ぎんちゃく田中くん。
そのころの自分にとって、男子は理不尽で乱暴な生き物で、苦手中の苦手だった。
「ダルマ、返事しろよ」
おなじクラスだったけれど、どちらとも口をきいたことはなかった。とはいえ、わたしはほとんどのクラスメイトと話したことはなかった。
「口、ないんかよ」
「だから、ダルマってか?」
「そう思うだろ?」
相馬くんは田中くんに説明し始めた。
「違うん。髪の毛長くしててよく見えんけど、こいつ、黒目がきもちわるいくらいでかいんやって。ほんで、ダルマ」
無視しているわけではなかった。ふたりの会話が早すぎて入れなかったのだ。
「へえ。算数んときも当てられて、ずっと黙ってたし、そんで口のないダルマっていうんかって思ってた」
「答えんのは、頭悪いからじゃねえ?」
昼の算数の問題は、答える前に頭の中でもう一度検算していたら、じれた先生が別の子を当てたのだ。
昼の住宅街、車もほとんど通らない道で、ふたりはダルマダルマとはやし立てた。相馬くんの赤の長靴がスキップを踏むと、朝方の雨の残りがぴちゃぴちゃはねた。田中くんは濃紺の長靴で、きゃあきゃあいってはしゃいでいだ。
桜はとっくに散り、時季特有の、むんとする青くさいにおいが帰り道に満ちていた。かなしかった。
とっくに自覚はあった。自分は、のろい。
父にお土産をもらって、すぐに喜んだ妹と違い、自分はさっと礼がいえなかった。みっつ下の妹がつるつるしゃべるのに、わたしはどもったり、ひと呼吸おいたりするので、母に心配された時期もあった。
「ダルマ、ダルマ、ダルマ」
傷ついたりはしなかった。
まったくそのとおりだったので、反論も思い浮かばなかった。
わたしはダルマと名づけられてから、前髪を伸ばして、なるべく目元が見えないようにしていた。隠しているつもりだった。
もちろん親には目に悪いと何度も注意された。けれど黒目が不気味なほど大きいのは、家族でわたしだけなので、どう説明したらいいかわからなかった。
当時髪を切っていたのは近所の散髪屋さんで、親はついてきてなんのかんのと説得しようとした。けれどわたしはけして譲らず、散髪屋のおばさんはわたしのリクエストどおりにしてくれた。うしろはじゃまにならないていど、ショートでもなければセミロングでもない、中途半端な長さで、特に気にしていなかった。
「ほら、しゃべれんし、前川ってバカなんじゃ」
田中くんはげらげら笑った。
まったくおなじことを、わたしも感じていた。
そのとき、
「そんなことないと思う」
すずやかな声が流れた。
まさかと思った。
目の前を流れ星が横切ったみたいに、ぱっとかがやいた。男子ふたりはふり返り、わたしはほうき星のきらきらの余韻にぼおっとしてから、うしろを見た。
「前川さんみたいにていねいに話すひとは、話し出す前にいろんなこと考えて、ことばを選んでるんじゃないの」
しあちゃんだった。
すらりと立つ姿に、きれいな水色のランドセルがよく似合っていた。手にはまっ白な傘を持ち、それは子ども用でなくて、もうおとなのサイズだったけれど、不自然ではなかった。なんてかっこいい、とわたしは思った。
六年生になってはじめて、しあちゃんと同じクラスになったけれど、しあちゃんはまぶしすぎて、わたしが近づけるような子じゃなかった。
いつもクラスの中心にいる子が、わたしのようなはみ出しものをかばうなんてありえなくて、わたしはどぎまぎしてしまい、口の中がねばねばになって、ますます動けない。
「上倉かよ」
男子はあきらかにひるんだ。
「ただぺらぺらしゃべるより、考えながらしっかり話す前川さんて、すごいんじゃないかな」
あの、クラスの太陽、しあちゃんがわたしの名を知っていた。しかも、わたしがどんな子か、知っていた把握していた。
すごいことだ。わたしは祝福の鐘が耳元でおおきく鳴り響いたように、耳がじんじんした。生まれてはじめてあびた、スポットライトだった。
「上倉が、そういうんなら」
相馬くんと田中くんはうれしそうに腰をくねらせた。
男子はしあちゃんの前に立つと、右腕を左腕に絡めたり、片足をもう一方の片足にまきつけたり、とにかくぐねぐねするのだ。
「前川さんに、なにか用事があったんじゃないの」
しあちゃんは男子にいった。相馬くんははっとして、
「そうやった、今日の給食で、当番だった前川、おれのおかず少なくよそったんだよ」
といった。
確かに今日、わたしは給食当番で、シチューをよそう係だった。えっ、といったつもりだったけれど、やっぱり声は出ていなかったらしく、しあちゃんと男子はわたしを見ながら反応を待った。
わたしの薄いリアクションは伝わらず、けっこうたってから、しあちゃんは相馬くんに向き直っていった。
「わざとじゃ、ないんじゃない」
「でも他の女子は黙ってても、大盛りにしてくれるもん」
体育が得意な相馬くんは、女子に人気があった。田中くんはそうだそうだとはやし立てる。
しあちゃんはなにかいいかけて、やめた。それからもう一度、
「これからは大盛りにしてほしいときは、口に出して頼んだら」
「えー、ふつういわなくても大盛りにするもんだろ、ダルマが変なんだよ」
相馬くんがいった。変ということばが、わたしの胸にざくりときた。
「いいこと思いついた」
しあちゃんはぱっと笑った。「明日のドッジボール、この四人でチーム組もうよ」
相馬くんと田中くんはぎょっとしたらしかった。「上倉と、おれら?」
「そう、前川さんと四人。今日の、記念チーム。どうさ。この四人で、優勝めざそうよ!」
しあちゃんは敏捷でボールをかわすのが得意なうえにボールのコントロールもうまく、誰もが組みたいメンバーだった。のろいわたしが加わっても、十分カバーできる戦力を持っていた。
しかも、しあちゃんがいるチームは、かならず明るく楽しい。願ってもない話だと思ったのだろう、男子はふたりして両手を挙げ、給食の件も忘れ、うわうわいった。
「よーし、明日な! ぜったいな!」
男子と脇道で別れ、「前川さんこっち? わたしも」という奇跡レベルの会話があって、さらにしんじられないことに、しあちゃんはわたしが歩き始めるのを待って足を止めていた。
やっとわたしはしあちゃんにいった。
「わ、わたし、が、無理。ドッジ苦手だから、みんなのじゃまになる」
「前川さん、逃げるのと投げるの、選べっていわれたらどうする?」
「ど、どっちも苦手」
「ドッジなだけに? 前川さん、おもしろ」
しあちゃんはくくくと笑った。なにがおもしろいのか、わからなかった。
「ごめんごめん、しいていえば、どっち?」
「しいて……受けるのなら、あんまり、落とさないかも」
「いいね、投げるほうは、わたしフォローするから、いっしょにやろうよ」
しあちゃんに見つめられると、さっきの男子みたいにくねくねしたくなってきた。音楽を聴くと踊り出すお花のおもちゃのように、人間はみんなそういうものなんだという気がした。
「そう、かな」
「あ、今からおばあちゃんちに行くんだけど、いっしょに行かん?」
そのときのきもちを、どう表現したらいいのだろう。
なんと、しあちゃんのおばあちゃんの家は、うちのご近所さんらしかった。今日はじめてしゃべったクラスメイトを、しあちゃんはまた、さらりと誘うのだ。わたしに断わる選択肢などあるはずがなかった。
そこからは頭が真っ白になってしまった。その日のことは、フラッシュにたかれた後のように、ふわふわして覚えていない。たぶん、すべてが奇跡の連続だった。
出されたカルピスが、ものすごくおいしくて感激した記憶があって、その日のことのような気がするのだけれど、ほかの日にも出してもらえていたので、ほんとうはどの日のことなのかはわからない。
おばあちゃんはいつも、わたしたちがテレビの前に座るとすぐ、濃いめのカルピスを出してくれだ。カラコロ、氷が音を立てるたび、金色の幸福感に包まれた。カルピスはきれいな、江戸切子のグラスに入っていて、いつも氷が三個、浮いていた。
おばあちゃんは水とカルピス原液を、どんな割合で合わせて、あのおいしいカルピスを作ってくれていたのか、小学校を卒業してから、自分で何回か試したけれど、あの黄金比に到達したことはない。
ただ、おばあちゃんがさいごに「またおいで」といってくれて、わたしはそのことばを、胸でぎゅっと抱きしめるようにして帰った、この思い出はぜったい、さいしょの日だった。
「また」、それは楽園への金色の切符だった。
それは、いつまでもきらきらと輝き、そのあとの中学生時代を支えてくれた。
次の日から、わたしはしあちゃんに誘われるのを、こころ待ちにするようになった。生きる目的といってもいいくらいだった。
しあちゃんはわたしのそんなきもちを知っているのか、おばあちゃんちに寄るときは、ちゃんとわたしに声をかけてくれた。
しあちゃんのおばあちゃんは、白髪のボブがうつくしい、手足の長い華奢なひとだった。いつ会っても、うす青のすとんとしたワンピースを着ていて、そのシンプルなライン、そのもののような生活を送っているように見えた。
そう口数の多いひとでは、なかったように思う。落語が好きだとかで、いつもラジオを聞いていて、水を打ったアプローチを歩いて行くと、奥からいろんなおじさんの声が流れてきた。
ごひいきの落語家がいるらしく、一度、もう亡くなったひとなんだけど、このひとがいまでも一番よ、と教えてもらったはずなのに、残念ながらその落語家さんの名は覚えていない。
おしゃべりのなかで、わたしはしあちゃんの事情をいろいろと聞き知った。
しあちゃんのおうちは子が四人きょうだいと多いこと。ご両親は厳しく、バラエティ番組をテレビで見ることは制限されていること。
ネットは、家族でパソコン共有の手前、ひんぱんには使えないこと。そこで、おばあちゃんがテレビ番組をたくさん録画しておいてくれること。
おばあちゃんちに呼ばれるようになっても、学校ではしあちゃんのまわりには近づけなかった。
しあちゃんも、さいしょは声をかけてくれたけれど、わたしの気おくれが伝わったのか、教室では目があっても手を振るだけになった。
しあちゃんをひとりじめできるのは、帰りぎわに誘われ、おばあちゃんちにいくときだけだった。三人いるという、しあちゃんののきょうだいは、だれもおばあちゃんちには来なかった。
えみ、しあちゃん、と互いを呼ぶようになったのも、このころだ。
夏休みは最高だった。
ほとんど毎日、おばあちゃんちに行った。
たまに母がおやつを持たせてくれて、おばあちゃんはかならずていねいに受け取ってくれた。それを出してもらうと、わたしは平気で食べた。いま考えるとなんてずうずうしい子どもだったんだろうと、恥ずかしくて泣きたくなるけれど、おばあちゃんは迷惑そうなそぶりをまったく見せなかった。
いつもごろごろしていた居間は風とおしがよく、冷房がなくても快適だった。すだれは前から知っていたけれど、よしずはそこではじめて覚えた。
たまに、なにかのひょうしでしあちゃんとふれたとき、熱がぶわっと伝わってきて、驚いた。しあちゃんはおそらく、他の子より体温が高かった。子ども特有の激しい熱を、ぐるぐるぐるぐる、からだのうちにめぐらせていた。
なまなましい熱には、生の厚みそのもののような絶対的な存在感があって、わたしはそのありがたさに涙が出そうになった。しあちゃんという子が、ほんとうにここにいる、その証拠のように思えた。
あの場所は、わたしにとって、楽園そのものだった。
しあちゃんはまんざいのネタ番組が好きで、録画して何回も繰り返し見たり、おばあちゃんの携帯で動画を探したりした。そういう番組になじみがなく、どう反応したらいいかわからなかったわたしに、しあちゃんは自分が高らかに笑うことで、楽しみ方を教えてくれた。なにがおもしろいというものなのか、どういうときに笑えばいいのか、そのポイントを学ぶことができたのだ。
そのうち、わたしにもひいきの芸人さんが何組かできて、そのひとたちの出番を待つようになった。
特にしあちゃんとわたし、ふたりとも気に入ったのがピンキーモンキーだった。
おんなのひと、ふたりのコンビで、ことばのいい間違いで笑わせるネタが得意。わたしたちふたりはおおきく口を開けて、いつまでも笑った。
ものまね番組も好きだった。しあちゃんがそれをさらにまねして、有名人のしぐさを再現し、わたしがそれが誰のまねか当てて遊んだりもした。
おばあちゃんはそのあいだずっと、穏やかに見守ってくれて、カルピスを作ったりお菓子を出したりしてくれた。
人生の黄金期だった。
あの夏は、カルピスのあまずっぱいにおいと、しあちゃんの笑顔で満ちていた。夏休みが終わってからも、しあちゃんはわたしに声をかけ続けてくれた。
このすばらしい日々は小学校卒業まで続き、中学校入学と同時に終わりを告げた。
最初のコメントを投稿しよう!