前髪ぱっつん

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えみの黄金色の日々が失われた件について  あのころのしあちゃんの、ぴっかぴかぶりったら、なかった。しあちゃんがいるだけで、あたりいったいが輝いているみたいに見えた。  しあちゃんは、きりりとした顔立ちを、おしみなく崩してぴかぴかと笑う女の子だった。頭の回転が早く、運動神経もばつぐん、おおぜいの中にいても、ぽんと一番に目に入ってくる、それがしあちゃんだ。  どんな子にもくったくなく話しかけ、小学生なのに大人にももの怖じせずに意見をいう。いい子いっぺんとうってわけでなく、いたずらなところもあって、にくめない。しあちゃんを嫌うひとなんていなかった。  担任の先生が教室の戸を開けたとき、なにかが上から落ちてきた、という事件は、当時のクラスメイトの自慢ばなしだ。  それは定番の黒板消しでなくて、紙吹雪で、生徒たちはせえので、「おたんじょうびおめでとう、先生」と拍手し、さらさらと舞い散る花びらのなか、先生は立ちつくしたんだそうだ。おお盛りあがり。  先生は感激して大泣きだった、とか。  こういういたずらを考えるのが、しあちゃんは得意だった。ピタゴラスイッチみたいのも、教室にある小物ですぐに作っていたから、ほんとうに頭がよかったんだと思う。  しあちゃんのいる教室はいつも一致団結して、運動会や発表会なんかでかならず入賞した。  合唱コンクールでクラスの指揮者に選ばれたしあちゃんだけど、舞台上で指揮棒を振りながら、夢中になって、誰よりも大きな声で歌い出した、なんて本人にとってはすごい恥ずかしいらしい、おちゃめな失敗もあった。  しあちゃんの特技はものまねで、なかなかにうまかった。それは観察眼がもとになっていて、悪意はなく、まねされたひとのほとんどがくすぐったそうに笑った。  おなじクラスでなくても、上級生や下級生にも有名人で、「上倉さんとおんなじ学年なんていいなあ」と、それだけでうらやましがられ、ちょっと得意になれた。  しあちゃんが小学校という太陽系の中心なら、わたしは太陽に向かって咲くひまわり、の陰にひそむ毛虫だった。ずっと葉っぱに隠れてまぶしいおひさまを見つめ、けして自分からは話しかけない。  わたしはしゃべるのが苦手だ。誰かに話しかけられても、すぐに答えられず、ひと呼吸おいてしまう。  気の短い子はいらいらするらしく、つめよられてあせったわたしがだまりこむと、怒り出した。  女子はわたしに距離を置いたけれど、男子は態度に出した。 「ダルマ」  男子が口にする、わたしのあだ名だった。  下校途中、そう呼ばれてふり返ると、男子がふたり立っていた。かけっこの早い相馬くんと、腰ぎんちゃく田中くん。  そのころの自分にとって、男子は理不尽で乱暴な生き物で、苦手中の苦手だった。 「ダルマ、返事しろよ」  おなじクラスだったけれど、どちらとも口をきいたことはなかった。とはいえ、わたしはほとんどのクラスメイトと話したことはなかった。 「口、ないんかよ」 「だから、ダルマってか?」 「そう思うだろ?」  相馬くんは田中くんに説明し始めた。 「違うん。髪の毛長くしててよく見えんけど、こいつ、黒目がきもちわるいくらいでかいんやって。ほんで、ダルマ」  無視しているわけではなかった。ふたりの会話が早すぎて入れなかったのだ。 「へえ。算数んときも当てられて、ずっと黙ってたし、そんで口のないダルマっていうんかって思ってた」 「答えんのは、頭悪いからじゃねえ?」  昼の算数の問題は、答える前に頭の中でもう一度検算していたら、じれた先生が別の子を当てたのだ。  昼の住宅街、車もほとんど通らない道で、ふたりはダルマダルマとはやし立てた。相馬くんの赤の長靴がスキップを踏むと、朝方の雨の残りがぴちゃぴちゃはねた。田中くんは濃紺の長靴で、きゃあきゃあいってはしゃいでいだ。  桜はとっくに散り、時季特有の、むんとする青くさいにおいが帰り道に満ちていた。かなしかった。  とっくに自覚はあった。自分は、のろい。  父にお土産をもらって、すぐに喜んだ妹と違い、自分はさっと礼がいえなかった。みっつ下の妹がつるつるしゃべるのに、わたしはどもったり、ひと呼吸おいたりするので、母に心配された時期もあった。 「ダルマ、ダルマ、ダルマ」  傷ついたりはしなかった。  まったくそのとおりだったので、反論も思い浮かばなかった。  わたしはダルマと名づけられてから、前髪を伸ばして、なるべく目元が見えないようにしていた。隠しているつもりだった。  もちろん親には目に悪いと何度も注意された。けれど黒目が不気味なほど大きいのは、家族でわたしだけなので、どう説明したらいいかわからなかった。  当時髪を切っていたのは近所の散髪屋さんで、親はついてきてなんのかんのと説得しようとした。けれどわたしはけして譲らず、散髪屋のおばさんはわたしのリクエストどおりにしてくれた。うしろはじゃまにならないていど、ショートでもなければセミロングでもない、中途半端な長さで、特に気にしていなかった。 「ほら、しゃべれんし、前川ってバカなんじゃ」  田中くんはげらげら笑った。  まったくおなじことを、わたしも感じていた。  そのとき、 「そんなことないと思う」  すずやかな声が流れた。  まさかと思った。  目の前を流れ星が横切ったみたいに、ぱっとかがやいた。男子ふたりはふり返り、わたしはほうき星のきらきらの余韻にぼおっとしてから、うしろを見た。 「前川さんみたいにていねいに話すひとは、話し出す前にいろんなこと考えて、ことばを選んでるんじゃないの」  しあちゃんだった。  すらりと立つ姿に、きれいな水色のランドセルがよく似合っていた。手にはまっ白な傘を持ち、それは子ども用でなくて、もうおとなのサイズだったけれど、不自然ではなかった。なんてかっこいい、とわたしは思った。  六年生になってはじめて、しあちゃんと同じクラスになったけれど、しあちゃんはまぶしすぎて、わたしが近づけるような子じゃなかった。  いつもクラスの中心にいる子が、わたしのようなはみ出しものをかばうなんてありえなくて、わたしはどぎまぎしてしまい、口の中がねばねばになって、ますます動けない。 「上倉かよ」  男子はあきらかにひるんだ。 「ただぺらぺらしゃべるより、考えながらしっかり話す前川さんて、すごいんじゃないかな」  あの、クラスの太陽、しあちゃんがわたしの名を知っていた。しかも、わたしがどんな子か、知っていた把握していた。  すごいことだ。わたしは祝福の鐘が耳元でおおきく鳴り響いたように、耳がじんじんした。生まれてはじめてあびた、スポットライトだった。 「上倉が、そういうんなら」  相馬くんと田中くんはうれしそうに腰をくねらせた。  男子はしあちゃんの前に立つと、右腕を左腕に絡めたり、片足をもう一方の片足にまきつけたり、とにかくぐねぐねするのだ。 「前川さんに、なにか用事があったんじゃないの」  しあちゃんは男子にいった。相馬くんははっとして、 「そうやった、今日の給食で、当番だった前川、おれのおかず少なくよそったんだよ」 といった。  確かに今日、わたしは給食当番で、シチューをよそう係だった。えっ、といったつもりだったけれど、やっぱり声は出ていなかったらしく、しあちゃんと男子はわたしを見ながら反応を待った。  わたしの薄いリアクションは伝わらず、けっこうたってから、しあちゃんは相馬くんに向き直っていった。 「わざとじゃ、ないんじゃない」 「でも他の女子は黙ってても、大盛りにしてくれるもん」  体育が得意な相馬くんは、女子に人気があった。田中くんはそうだそうだとはやし立てる。  しあちゃんはなにかいいかけて、やめた。それからもう一度、 「これからは大盛りにしてほしいときは、口に出して頼んだら」 「えー、ふつういわなくても大盛りにするもんだろ、ダルマが変なんだよ」  相馬くんがいった。変ということばが、わたしの胸にざくりときた。 「いいこと思いついた」  しあちゃんはぱっと笑った。「明日のドッジボール、この四人でチーム組もうよ」  相馬くんと田中くんはぎょっとしたらしかった。「上倉と、おれら?」 「そう、前川さんと四人。今日の、記念チーム。どうさ。この四人で、優勝めざそうよ!」  しあちゃんは敏捷でボールをかわすのが得意なうえにボールのコントロールもうまく、誰もが組みたいメンバーだった。のろいわたしが加わっても、十分カバーできる戦力を持っていた。  しかも、しあちゃんがいるチームは、かならず明るく楽しい。願ってもない話だと思ったのだろう、男子はふたりして両手を挙げ、給食の件も忘れ、うわうわいった。 「よーし、明日な! ぜったいな!」  男子と脇道で別れ、「前川さんこっち? わたしも」という奇跡レベルの会話があって、さらにしんじられないことに、しあちゃんはわたしが歩き始めるのを待って足を止めていた。  やっとわたしはしあちゃんにいった。 「わ、わたし、が、無理。ドッジ苦手だから、みんなのじゃまになる」 「前川さん、逃げるのと投げるの、選べっていわれたらどうする?」 「ど、どっちも苦手」 「ドッジなだけに? 前川さん、おもしろ」  しあちゃんはくくくと笑った。なにがおもしろいのか、わからなかった。 「ごめんごめん、しいていえば、どっち?」 「しいて……受けるのなら、あんまり、落とさないかも」 「いいね、投げるほうは、わたしフォローするから、いっしょにやろうよ」  しあちゃんに見つめられると、さっきの男子みたいにくねくねしたくなってきた。音楽を聴くと踊り出すお花のおもちゃのように、人間はみんなそういうものなんだという気がした。 「そう、かな」 「あ、今からおばあちゃんちに行くんだけど、いっしょに行かん?」  そのときのきもちを、どう表現したらいいのだろう。  なんと、しあちゃんのおばあちゃんの家は、うちのご近所さんらしかった。今日はじめてしゃべったクラスメイトを、しあちゃんはまた、さらりと誘うのだ。わたしに断わる選択肢などあるはずがなかった。  そこからは頭が真っ白になってしまった。その日のことは、フラッシュにたかれた後のように、ふわふわして覚えていない。たぶん、すべてが奇跡の連続だった。  出されたカルピスが、ものすごくおいしくて感激した記憶があって、その日のことのような気がするのだけれど、ほかの日にも出してもらえていたので、ほんとうはどの日のことなのかはわからない。  おばあちゃんはいつも、わたしたちがテレビの前に座るとすぐ、濃いめのカルピスを出してくれだ。カラコロ、氷が音を立てるたび、金色の幸福感に包まれた。カルピスはきれいな、江戸切子のグラスに入っていて、いつも氷が三個、浮いていた。  おばあちゃんは水とカルピス原液を、どんな割合で合わせて、あのおいしいカルピスを作ってくれていたのか、小学校を卒業してから、自分で何回か試したけれど、あの黄金比に到達したことはない。  ただ、おばあちゃんがさいごに「またおいで」といってくれて、わたしはそのことばを、胸でぎゅっと抱きしめるようにして帰った、この思い出はぜったい、さいしょの日だった。 「また」、それは楽園への金色の切符だった。  それは、いつまでもきらきらと輝き、そのあとの中学生時代を支えてくれた。  次の日から、わたしはしあちゃんに誘われるのを、こころ待ちにするようになった。生きる目的といってもいいくらいだった。  しあちゃんはわたしのそんなきもちを知っているのか、おばあちゃんちに寄るときは、ちゃんとわたしに声をかけてくれた。  しあちゃんのおばあちゃんは、白髪のボブがうつくしい、手足の長い華奢なひとだった。いつ会っても、うす青のすとんとしたワンピースを着ていて、そのシンプルなライン、そのもののような生活を送っているように見えた。  そう口数の多いひとでは、なかったように思う。落語が好きだとかで、いつもラジオを聞いていて、水を打ったアプローチを歩いて行くと、奥からいろんなおじさんの声が流れてきた。  ごひいきの落語家がいるらしく、一度、もう亡くなったひとなんだけど、このひとがいまでも一番よ、と教えてもらったはずなのに、残念ながらその落語家さんの名は覚えていない。  おしゃべりのなかで、わたしはしあちゃんの事情をいろいろと聞き知った。  しあちゃんのおうちは子が四人きょうだいと多いこと。ご両親は厳しく、バラエティ番組をテレビで見ることは制限されていること。  ネットは、家族でパソコン共有の手前、ひんぱんには使えないこと。そこで、おばあちゃんがテレビ番組をたくさん録画しておいてくれること。  おばあちゃんちに呼ばれるようになっても、学校ではしあちゃんのまわりには近づけなかった。  しあちゃんも、さいしょは声をかけてくれたけれど、わたしの気おくれが伝わったのか、教室では目があっても手を振るだけになった。  しあちゃんをひとりじめできるのは、帰りぎわに誘われ、おばあちゃんちにいくときだけだった。三人いるという、しあちゃんののきょうだいは、だれもおばあちゃんちには来なかった。  えみ、しあちゃん、と互いを呼ぶようになったのも、このころだ。  夏休みは最高だった。  ほとんど毎日、おばあちゃんちに行った。  たまに母がおやつを持たせてくれて、おばあちゃんはかならずていねいに受け取ってくれた。それを出してもらうと、わたしは平気で食べた。いま考えるとなんてずうずうしい子どもだったんだろうと、恥ずかしくて泣きたくなるけれど、おばあちゃんは迷惑そうなそぶりをまったく見せなかった。  いつもごろごろしていた居間は風とおしがよく、冷房がなくても快適だった。すだれは前から知っていたけれど、よしずはそこではじめて覚えた。  たまに、なにかのひょうしでしあちゃんとふれたとき、熱がぶわっと伝わってきて、驚いた。しあちゃんはおそらく、他の子より体温が高かった。子ども特有の激しい熱を、ぐるぐるぐるぐる、からだのうちにめぐらせていた。  なまなましい熱には、生の厚みそのもののような絶対的な存在感があって、わたしはそのありがたさに涙が出そうになった。しあちゃんという子が、ほんとうにここにいる、その証拠のように思えた。  あの場所は、わたしにとって、楽園そのものだった。  しあちゃんはまんざいのネタ番組が好きで、録画して何回も繰り返し見たり、おばあちゃんの携帯で動画を探したりした。そういう番組になじみがなく、どう反応したらいいかわからなかったわたしに、しあちゃんは自分が高らかに笑うことで、楽しみ方を教えてくれた。なにがおもしろいというものなのか、どういうときに笑えばいいのか、そのポイントを学ぶことができたのだ。  そのうち、わたしにもひいきの芸人さんが何組かできて、そのひとたちの出番を待つようになった。  特にしあちゃんとわたし、ふたりとも気に入ったのがピンキーモンキーだった。  おんなのひと、ふたりのコンビで、ことばのいい間違いで笑わせるネタが得意。わたしたちふたりはおおきく口を開けて、いつまでも笑った。  ものまね番組も好きだった。しあちゃんがそれをさらにまねして、有名人のしぐさを再現し、わたしがそれが誰のまねか当てて遊んだりもした。  おばあちゃんはそのあいだずっと、穏やかに見守ってくれて、カルピスを作ったりお菓子を出したりしてくれた。  人生の黄金期だった。  あの夏は、カルピスのあまずっぱいにおいと、しあちゃんの笑顔で満ちていた。夏休みが終わってからも、しあちゃんはわたしに声をかけ続けてくれた。  このすばらしい日々は小学校卒業まで続き、中学校入学と同時に終わりを告げた。
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