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テレワークとは、パソコンなどを使うことで場所や時間に捉われず柔軟に働ける仕事のことを指す。だが、これをするにあたりいくつか問題点も挙げられるだろう。
その代表的なものが、コミュニケーション不足である。何につけても言えるが、対面に勝るコミュニケーションは無い。視線や仕草、表情など、そんな些細なシグナルは意外なまでに相手への感情を左右させる。しかしテレワークでは、このオンラインという怪しげな世界を通すことで、対面では得られていたシグナルの見逃しひいては相手への無機質感が増し、人間らしい円滑なコミュニケーションを取りにくくなってしまうのである。
「そんなテレワークコミュニケーション阻害問題を憂いた私は、ついにこれを開発したのだよ」
「何ですか、これは」
物部博士の手のひらには、もこもことした緑色の塊。身も蓋も無い言い方をしてしまえば、カビの生えた大福餅に似ていた。
「何って君も手伝ってくれていただろう、雨季君」
「助手なので手伝いはしますが、何ができるかには興味なかったので」
「え……ずっと説明していたのに」
「すいません、聞いてなくて」
「そこは聞いといてくれよ。これは、主人の望んだ感情表現をしてくれるロボット『モチタ』だ」
そう言うと、博士は手元のスマートフォンでアプリを操作する。すると、途端に『モチタ』は楽しそうに身をくねらせ始めた。
「おや、可愛いですね」
「うむ、これは喜びを表している。他にも“相手を称賛する”、“挨拶をする”、“恥ずかしそうにする”、“悲しむ”など多岐にわたる感情表現ができる。ちなみにプログラムも微妙にいじっていてな、ロボットではあるが個体差もあり、表現する感情は同じでも少しずつ違いが出るようになっている」
「へぇ。ですが、それがどうしてコミュニケーションの円滑化に繋がるんです?」
「このロボットの狙いは、ボディランゲージの可視化にある。まあ試しにやってみよう」
そう言うと、物部博士は雨季助手の手にモチタを乗せて物陰に身を潜めた。
雨季助手のスマートフォンにメッセージが届く。物部博士からの文面には、「明日の有給取得、考え直せないだろうか』と書かれていた。
と同時に、モチタが土下座するようにぺこぺこと頭を下げ始める。不躾なメッセージが届いた時にはイラッとした雨季助手であったが、一方で健気なモチタを見ているうちに荒れた感情は少しずつ凪いでいった。
「……なるほど。無機質なメッセージも、モチタを併用すれば人間味が出てくるというわけですか」
「その通りだ!」
「それはそれとして明日は休みますが」
「ぐぬう!」
こうして、『テレワーク専用コミュニケーション促進ロボット・モチタ』が全世界に向けて販売されたのである。
そしてモチタは、今やテレワークのお供と呼べる存在になった。
世界的な感染病により在宅勤務を余儀なくされた時も、モチタがいれば安心であった。何せわざわざ対面会議やビデオ通話を行わずとも、モチタが代わりを果たしてくれるのである。上司や取引先の元に自分のモチタを渡しておけば、たとえ失言を放ったとしても、アプリで“謝罪”のコマンドを指示すればすぐにモチタが愛嬌たっぷりに謝ってくれた。
逆に、モチタを導入しない会社は非道徳的ですらあるとみなされ始めたのである。モチタは不器用でコミュニケーション下手な人にとって、ある種の救世主であった。彼らは、人間よりもよっぽど上手く愛らしく動くことができたのだ。
そうして、やがてモチタをより上手く操れる人間が求められるようになった。重要な取引先にはより高性能のモチタがあらかじめ贈られ、就職活動の面接はモチタを通して行われることが前提となった。
世界は、モチタを中心に回り始めたのである。
「……まさか、ここまでモチタが必要とされるとはねぇ」
緑色のモチタを手に乗せて、物部博士はため息をついた。
「結果として、感染症が収まって対面でのコミュニケーションが可能となった今でもモチタは売れ続けている。ああ、私の望んだ世界は決してこうではなかったのに」
「まあ良いではないですか」
販売仲介業者のモチタが媚びるようなダンスを踊るのを眺めながら、雨季助手は言う。
「聞きたくもないおべっか、面倒な挨拶、長ったらしい気遣い。それら全てを、このモチタが担ってくれるようになったんです。人は、シンプルで分かりやすいメッセージだけを送ればそれで良くなった」
「だがなぁ、やはり人と人とのコミュニケーションは……」
「あ、物部博士、それ以上はこちらで」
雨季助手は物部博士にモチタを差し出した。物部博士はもう一つ大きなため息をつき、手元のアプリを操作してモチタをしょんぼりとさせたのである。
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