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とうとう仕事辞めちゃった。
(一)退職
特別支援学校では、以前の学校と違ってパワハラもなく、いじめられることもなかった。しかし、元々は世界史で教員試験に受かった浩輔である。特別支援学校独特の「家庭科」や「図画工作」や「生活単元」なんて出来るわけがなかった。
また、浩輔の妻は島へ行くことを嫌がり、結局離婚届を出すことになった。
こうして、認知症で介護が必要な父親と実家で二人暮らしをすることになった。
浩輔の父は地元で酒屋を経営していた。駄菓子屋とタバコ屋も兼ねていたのだが、コンビニなんかの進出で客足は遠のくばかりであった。その上に認知症にかかってからは国民年金に頼って生活をしていた。年金は独り身の父にしては多く支給された。元々警察官をやっていて、共済年金が下りていたからだ。酒屋は亡くなった母が片手間にやっていたものであった。
やがて浩輔は何とかして特別支援学校で生徒を卒業させ、その後十年勤めた教員を辞めてしまった。浩輔三十三歳の時であった。
預貯金は300万ほどあった。それで暮らしていかなくてはならない、否、新しい仕事を見つけなくてはならない。先ずは仕事探しからだ。
しかし、当時はリーマンショックの影響で企業も次々とリストラを敢行していた頃であった。教師なんていうつぶしのきかない仕事をやっていた浩輔に職はなかなか見つからなかった。
それでも浩輔は何度もハローワークへ足を運んだ。
先ずは、元教師でもやっていけそうな学習塾を探した。数学や英語の教師の募集はあったが、浩輔の専門は社会科、特に世界史である。募集している塾なんかほとんどなかった。そこで、浩輔は一般の企業をあたってみた。
いつものようにコンピュータの画面でハローワークに来ている求人票にめを通す浩輔。見つからない。それでもめげずに求人票を見て履歴書を持って面接に出かけた。
「教師をやっていたそうですけど、うちで探しているのは営業職です。ノルマもありますが、やっていけますか?」
「やっていけるかどうかは分かりませんが、とにかく頑張ります」
「多いんですよねえ、そう言って求職されている方が。でも大半の方は企業をリストラされた方です。あなたのような教員をなさってた方なら学習塾なんかにお勤めなさった方がよろしいんじゃないですか?」
「学習塾もあたったんですけど、社会科の求人なんかなかったのです」
「そうですか。では学習塾が駄目だったのでうちを希望されたということですか?うちは車のディーラーです。お車についての知識はあるんですか?」
「いえ、全く」
「それじゃあ、話になりませんねえ、まあ、結果は追って発送します」
そして大抵は不採用の通知が届くのであった。仕方なく、浩輔は慣れない体で鉄工所に勤めることになった。
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