大卒の俺にいじめが始まる。

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大卒の俺にいじめが始まる。

(三)父親の状態の変化  鉄工所の勤務は朝八時半から昼の休憩を挟んで五時半までであった。時給は九五〇円。ブラックではなかった。教師の方がブラックだと考えていた。  しかし、ここでも年下の工員からのいじめが存在した。  浩輔の仕事は金具を大きな金属製の針のついた板にはめ込んでいき、それがたまったら持って行って炉に投げ込むという単純なものだったが、途中で金具を落としたりし、失敗が多かった。それを見ていた高卒で若い溶接工が口汚く罵るのである。  「おい、おっさん、もっと速く金具をいれられないんか?大学出はそんな仕事しかできんのか?」  工員はみんな高卒である。大卒の浩輔をよく思っていなかった。また、教員をやっていたということも彼らの態度を悪くした。  「学校の先生いうたら、わしらにあんなに説教しておいて仕事させたら何もできんやないか?」  そんなことを言われる毎日が続いた。  それでも五時半にはきちんと家に帰れた。帰って来ると父の介護が待っていた。  父親は認知症の初期段階で、自分で料理を作ったり、買い物に行ったりすることはできた。車の運転さえしていた。  浩輔の実家は大変な田舎だったので車がなければ生活できなかったのである。  その父に変化が起こったのは浩輔が教員を辞めてから二年後、浩輔三十五歳の時であった。  何の用事だったのか、浩輔は日曜日に高速バスに乗って遠出した。高速バスのバス停までは父親に送ってもらった。距離にして家から三キロもない辺鄙な田舎に高速バス遠坂のバス停があった。ここから高速バスに乗って神戸へ出かけた。  その日の夜、浩輔はバスを遠坂で降りると携帯で家へ電話を入れた。  「ああ、お父ちゃん、今遠坂のバス停にいるねん。車で迎えにきて」  「わかった」  いつもの返事である。十分くらいすればバス停まで迎えに来られるはずだ。  浩輔は父親のスズキの軽が来るのを駐車場で待っていた。  一時間ほど待ったであろうか?なぜか父は来なかった。  「事故でも起こしたんやないやろか?」不安になった浩輔はバス停の駐車場を出て坂を上り、県道まで出た。そして神戸に住む妹に電話をした。  「お父ちゃん、遠坂のバス停で一時間待っても来ないねん。今から県道へ出て歩いて行くわ」  「わかった、私もそっちへ向かう」  いつもとは様子が違うことを感づいたのだろうか?妹は神戸からこちらへ向かうと言ってきた。  浩輔は歩きに歩いたが、父親の車らしきものは見つからなかった。どこで何をしているのだろうか?  県道へ出て三十分くらい経った頃、普段は通らないのだが、タクシーが通った。浩輔はタクシーに乗って家へ向かった。  タクシーは山の頂上へさしかかった。浩輔は何か嫌な予感が全身を走るのを感じた。そしてタクシーが山を一キロほど下りた所で父親の車を見つけた。その車はなぜか前進したり後退したりを繰り返していた。道路でである。まかり間違えば大事故である。  「ここで降ろして下さい」そう言って浩輔はタクシーを降りると、父親の車へ直行し、運転席にいる父に声をかけた。  「何しよるんよ?」  「いや、これから遠坂のバス停まで行こうと思って」  「危ないからわしが運転する。家へ帰ろう」  そう言って父を助手席に乗せ、そこから一キロほど下った家へ向かった。    玄関から中へ入ると父の様子が明らかにおかしかった。  「まだ晩飯食うてないんや。今から八巻ホールへ行こう」  食卓には食事をした痕があった。八巻ホールというのは父に弁当を届けてくれるお弁当屋さんである。浩輔は仕方なく浩輔の車を出して父親を八巻ホールへ連れていくことに」なった。ところが浩輔にとっては不運なことに、その八巻ホールというのがどこにあるのか全く知らない。幸い父親はよく知っているようであったので、車は浩輔が運転して五キロほど離れた八巻ホールまで行った。  当然のことであるが、夜なので閉まっていた。  「あれー、弱ったなあ、まだ晩飯食ってないねん」と父がか細い声で言った。  家に帰ると妹が既に到着していた。  「お父ちゃんどないしたん?」  「いや、それが何かおかしいねん」  と言った途端、父親は後ろへ倒れて癲癇の発作でも起こしたように体を痙攣し始めた。  「わー、こりゃえらいこっちゃ、救急車、救急車」  妹が救急車を呼んだ。間もなく救急車が到着した。そして救急車はそのまま県立病院へ直行した。  医者が脳波やCTなんかを撮って、父を寝かした。  翌日、精神神経科の検査を受けることになった。  父のかかりつけであった青木医師が尋ねる。  「大山さん、百から七を引いて下さい」  「うーん、九十三」  「そこからもう一度七を引いて下さい」  「うーん、わかりません」  「私が誰だかわかりますか?」  「うーん、分かりません」  「『あ』のつく人なんですけど」  「すみません、わかりません」    CTの結果が出た。脳梗塞等はないが、脳内に水が溜まっているということで、そのまま精神科病棟に入院することになった。 *  浩輔は、まだ鉄工所で働いていた。相変わらず若い工員から注意を受けながら我慢した。父の面倒を見なくてはいけないからだ。  その間、鉄工所が大変なことになってしまった。若い事務員が工員の給料を着服し、そのままどこかへ逃げてしまったのだ。  「えらいことになってしもた。倒産や」社長が頭を抱えて言った。  そして翌日の朝礼でその話が出た。 「大変申し訳ないことですが、今月は皆さんの給料を払えそうにありません。何とか銀行にかけあってみますが、期待しないで下さい」と社長は言った。  実は、賃確法という法律があって、こういう場合には国が従業員の給与を立て替えてくれるのだ。しかし世間知らずの浩輔はそんなことまで頭になかった。  「どうせ倒産や。それに若い連中にいじめられるくらいやったらこっちから辞めてしまおう」  そう考えて簡単に辞表を出したのだ。  それからまた職探しが始まった。その間に父親も退院して、酒屋を再開した。  浩輔の手元には二百万の預金があった。それに少額だが、父親の年金もあった。しばらくはしのげそうである。  新しい職はなかなか見つからなかった。「もう、こうなったらコンビニででもアルバイトをするか?」そう思い、コンビニで夜勤をすることになった。  店長は浩輔と同じ歳で、商業高校の出身であった。  最初の面接で、店長はぶっきらぼうに尋ねた。  「大学出ですね。他に仕事はなかったのですか?うちに腰掛けで居られても困るんです。これからお客様への接待の方法やレジの打ち方とか覚えてもらわないといけないのでね」  「一生懸命やります。どうかお願いします」  「大学出のあなたが、しかも先生をなさっていた方がお客様に頭を下げられますか?」  「できます」  「じゃあ、頭を下げて『いらっしゃいませ』と言って下さい」  浩輔は悔しさを抑えて大声で言った。  「いらっしゃいませ」  「だめやね。不採用」  「ど、ど、どうしてですか?」  「何ができてないか自分で考えて下さい」  ここまで言われて浩輔の我慢は限界に達した。鉄工所でもいじめられ、ここでもまたいじめられるのか?  「いいです。もう来ません」そう言って履歴書を丸め、出て行った。  出て行ったからと言って、何のあてもなかった。コンビニの店員もできない。ならば俺に何ができるのか?  こうして浩輔は家業の酒屋を継ぐことにした。浩輔は酒が飲めない。だから酒のことは何も分からない。そこで退院したばかりの父親に尋ねながら働いた。  お金は食費と光熱費で消えていった。一方、酒屋での収入はほとんどゼロに近かった。酒屋なんて既に時代遅れなのだ。
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