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[四]
一年目、到着当日の記録。
私は資料で見た通りの扉を叩いていた。見たところ、この辺りではよくあるような普通のマンションである。一回、二回、三回。暫く待ってから、チャイムが隣にある事に気が付いた。
「……」
改めてチャイムを鳴らして、数秒。
外廊下に、冬の木枯らしが吹き抜ける。
寝ている……のだろうか。しかし、出直すにも待つところはない。部屋は間違っていないはずだし、もう一度鳴らしても出なければ公園でも探す事にしよう。
そう予定し、インターホンに手を伸ばし――止めた。部屋の中から、微かにだが荒っぽく近付いてくる足音が聴こえてくる。音が止まると同時に、扉が勢いよく開き、
「はい、どちら様で?」
面倒な様子で見下ろしてきた彼と目があう。インターホンにカメラが無いなら、ドアの覗き穴で確認すればいいのに……だが、おかげで第一関門突破だ。
「初めまして、私は二百年後からタイムトラベルしてきましたアンドロイドです。名前はありませんが、以後お見知りおきを」
笑顔を形作り、挨拶をする。瞬間、閉じられようとしていた扉に足を挟ませ、「中でお話させて頂いても宜しいでしょうか?」と尋ねた。
「断る」
間髪入れずに言い放ち、無理矢理扉を閉めようとする彼に「お願いします、お互いの為にも」と見つめる。マニュアルに、このパターンの対応は定められていたから対処は簡単だ。
「いいんですか? このまま立ち続けますよ? 近所からの視線が痛いでしょうね」
「通報するぞ」
それに、直ぐ様返す。「何度でも来ます」
暫しの沈黙。やがて、諦めたように彼は言った。
「……入れ」
「で? 端的に言うと、お前は未来から俺に小説を書いてもらう為に態々タイムトラベルしてきたと」
さして広くないマンションの一室で、彼は脚を組みながら尋ねた。壁沿いのパソコンデスクの椅子に掛けた彼に合わせ、近くのフローリングで正座をする。「そうです」
「知ってるか? 俺は今小説家で、既に本は出してるんだが」
つまるところ、何故催促をしに来ているのかを知りたいのだろう。それならば、説明用マニュアルから抜粋すれば問題ない。
「私の居る未来では、小説や漫画、アニメ、イラストを作れる人間は居ません。人間が科学ばかりを発展させていった結果、そういった娯楽に関する創作の感性が長い間で無くなっていったと予想されています」
他にも、諸説はあるが。一番有力な物はそれである。彼が口を開きかけたのを遮るように、私は先回りして補足する。
「仮に作ろうとしても、何処かで見たことがある作品を真似したような物しか出来ないのです。分かりやすく例えますと、センスがない、と言えばいいでしょうか」
センスだなんて、私には定義し難く理解し難い言葉であるが、彼は納得したようで口を閉ざす。それを確認して、私は説明を締めた。「その為、過去の作品が主に供給されていますが、需要に反して供給量に限りがあります」
「それで、追加で貰いに来たと……」
頬に手を当てながら言った彼に、私は頷き、改めて依頼をした。「期限は、私のエネルギー補充が不要な三年の間。気が向いたらで構いませんので、書いて頂けないでしょうか?」
部屋に静寂が訪れる。
彼は深く考え込んでいるようで、目を閉じていた。当たり前だろう、三年間、アンドロイドとはいえ家に居させるのだ。難しい反応をされるのは予想されている。
「私は高性能アンドロイドです。大抵の事は出来ます。物体的な報酬はない分、出来る事は何でもさせて頂きます。睡眠や食事も必要ありませんし――」
続けてアピールしようとした私を、手で制した彼の口から出たのは思わぬ言葉だった。
「……タイムパラドックスは起きないのか?」
タイムパラドックス。タイムトラベル等で過去と未来に矛盾が生じる際の変化の事だ。まさか、その単語が出てくるとは思いもしなかった。
いや、彼は小説家だ。題材として取り扱う事があったならば自然か。「お詳しいですね。……確かに、貴方が小説を書く事で未来は変化するでしょう」
しかし、同時に私が造られない未来になる可能性もあるし、造られたとしてもこの過去に来ない未来に変化している可能性もある。そんな未来に戻ったとしても、私はタイムトラベルをした意味が無い。
それを解決する為に、研究者達は縦の時間だけではなく、横の時間も考える事にした。
「厳密に言えば私は時間を逆行するだけでなく、世界も移動しているのです」
その説明だけで、彼は直ぐ様呟いた。「パラレルワールドか」
ある世界から分岐し、並行して進む世界。それらは分岐の数だけ増え続けており、当然私が此処に来なかった世界もあれば、彼が私を家に入れなかった世界もある。
「はい。時間を逆行し、小説を書いてもらう。私がこの時代に来た時点で、貴方がこの一連の流れについて知り、小説を書いた世界へと分岐しますが――三年後、私は遡行と同時に世界を跨ぎ、誰もタイムトラベルについて知らない未来へと戻る訳です」
「……ふうん」
彼は少し黙った後、椅子から立ち上がり、廊下に続く居間の扉を開けた。その背に慌てて質問を投げる。「どちらへ行かれるんですか?」
「出掛ける。お前用の布団とか服を買うから着いてこい」
予想外の回答に、動作が一瞬停止する。が、すぐに理解が追いつく。つまり、
「話を、受けて下さるんですか?」
それに、彼は直接答える事も、こちらを見る事もなく、呟いた。「……丁度、仕事以外の小説を書きたかったところなんだよ」
聞いて、私は立ち上がり、驚く彼の手を取って微笑んだ。そして、すかさず感謝のテンプレートを述べる。
「本当に、ありがとうございます」
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