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[六]
遊園地を出た私は、飲み物を買ってくると出掛けた彼を待っていた。空には陽はもう無く、幽かに星が瞬いているのが見えるだけだ。街路灯に凭れかかって、私は時間を呟いた。「五時、五十二分」
あと少しで、期限の時間だ。
そろそろ、通信部に向けて現在位置を発信しなければならない。この様子だと此処で別れる事になるだろうか。
「悪い、待たせたな」
彼の声で、振り向く。彼は何故か私を見つめた後、意を決するようにポケットから二つ折りの紙を渡した。「……ん」
「これは……?」
受け取り、首を傾げる。渡されるような物はあっただろうか。メモ帳の頁を破っただけに見えるそれは、どう見ても特段重要そうな物には見えない。
「ただの……手紙みたいな物だ」
「手紙……?」
歯切れ悪く答える彼に、鸚鵡返しで確認する。頷くのを確認して、アンドロイド相手に手紙なんて、と言いかけた言葉を呑み込んだ。
ゆるゆると、帳が完全に落ち始める。
「三年間の本当の最後は、お前個人にやりたくて」
彼は顔を背けながらそう言うと、私が何かを返すよりも早く背を向け、冷たく別れた。「じゃあな」
僅かに見えた口の動きが、本当にその言葉を発していたかは分からない。彼が、ありがとう、と言う必要性が分からなかったからだ。
「あ、ありがとうございました!」手を振りはするが、彼が振り返る事はない。すぐに背中は見えなくなり、夜に私だけが残される。
現在位置を通信部に通達し、街路灯を背に目を閉じた。これで、三年間の任期は終了。終わったのか、……もう。
「そうだ、手紙……」
紙を開き、瞠目する。手紙ではないけれど、それ以上に言葉の詰まった物。彼の、本当に最後の作品。
そして、私への初めての小説。
観覧車のゴンドラは、橙に満たされていた。いつ見ても、彼女の顔は整っていて、その度に人間ではない事を実感する。この顔も、あと一時間もしない内に見られなくなると思うと、この感情をどう処理すれば良いのか分からなくなって、ひたすらに現実逃避をしてしまいたくなる。
「あと、少しですね」
知ってか知らずか、彼女は外を眺めながら言った。心臓が跳ねそうになるのを抑え、平静を取り繕って話をすり替えようと試みる。「……ああ、もう陽が落ちるな」
「そうではなくて」
「頂上に着くって事か?」
無機質な瞳に俺を写した彼女は、「私は、貴方に感謝しています」とゆっくりと切り出した。
それから続く感謝の言葉は、正直どうでも良かった。むしろ、紡がれる毎に終わりを痛感してしまって。適当に、大した事はしていない、とあしらった俺を、彼女は否定した。
「そんな事、ありませんよ」
その台詞に、力強く引き寄せられた。意識が、目が、耳が、何もかもが彼女に向いて。
「本当に、三年間ありがとうございます」
あの日、初めて会った時に触れた手が思い返される。冷たい彼女に浮かぶ表情は――もう、人間のようにしか見えなかった。
読み終わって、私はやっと三年間の誤解に気が付いた。
私が思っていた彼は、冷たくて無関心だったけれど。見えていなかっただけで、彼は私を見てくれていたし、暖かくて――あの作品を書けるのも、納得で。
「こんな事に気付く為に、三年間もかかるだなんて……馬鹿だなぁ」
空を仰ぐ。宵空の彼方から、青い光が近付いてくる。迎えのタイムマシンがどうしてだか、歪み、ぼやけて見える。
アンドロイドの、人間擬きであっても。
「私も、彼のように――」
そして、いつかまた、彼に会いに来れますように
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