小学三年生。私と彼の距離は、どんどん開く。

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小学三年生。私と彼の距離は、どんどん開く。

こんな場所でも、夜空は見える。オリオン座、仔犬座、大犬座…。それらをそっと繋ぐと、冬の大三角形が浮かび上がる。ベテルギウス、シリウス、プロキオン…。これは小学生の時、一希が教えてくれた。私は毎年それを思い出すのだ。あの年の、忘れられない冬の事を。 小学三年生。私と一希は初めて同じクラスになった。私達にとって二年のブランクは大きい。私にも、一希にも、他に仲の良い友達ができていた。クラスが同じでも、話すことは殆ど無い。その時の私は、彼に近づく術を持ち合わせていなかった。一希に拒絶されたあの秋の日、私と彼の間には決定的に何か溝の様な物が生まれてしまった。 その頃、一希は天体観測にハマっていた。例によって、クリスマスに貰える現金を貯めていた彼は望遠鏡を買ったらしい。クラスの男の子にそう話しているのが、聞こえてきた。自分のためのクリスマスプレゼントを初めて手にする彼は、私の知っている魔法を使えなくなってしまった、まるで知らない人の様な気がした。 「望遠鏡を通すと、細かい星まで見えるんだ。」 「星なんて、点々と空にあるだけじゃん。図鑑だと、確かにきらきらしているけどさ〜。」 「それが望遠鏡なら、ちゃんと図鑑みたいに見えるんだぜ。凄いだろ!」 「それ本当か? 俺も見てみたい!」 「俺も、俺も!」 「じゃあ、俺の家に泊まりにこいよ。父さんも母さんも居ないから、大丈夫だと思う。」 冬休み前の終業式、そんな話をしているのが聞こえた。もう二年も一緒にクリスマスを過ごせていない。今年こそ、なんて淡い期待は誘う前から粉々になった。 「繭ちゃん、明日のクリスマスパーティーのプレゼントもう買った?」 同じクラスの女の子に、不意に話しかけられる。明日は女子会しよーね! なんて随分背伸びをした約束を仲の良い四人でしたのだ。 「買ったよ! 楽しみだね。」 四人でプレゼント交換する約束をしている。私は当時流行っていた、香り付きのペンセットを買った。ママはもっとクリスマスぽい物にしたら? と隣で囁いていたが、私は自分の置かれた社会生活の中で、どうしたら上手く生きて行けるのか身に付けていた。 「ねえ、ママ。これなぁに?」 それは町外れの小さな雑貨屋のショーウィンドウに、ディスプレイされていた。ドームの中に、キラキラと粉雪が舞う。中には小さな雪だるまとクリスマスツリーが閉じ込められていた。 「これはね、スノードームっていうのよ。こういう風に飾りとラメを一緒に、ドームの中に閉じ込めるの。綺麗な置物でしょう。」 その時、私はこの中に一希の魔法の力が閉じ込められている様な気がした。一希がこれを持っていれば、一生あの魔法は続く様な……。そんな気がしたのだ。 「ママ。私、クリスマスプレゼントはこれがいい。」 「パーティーのプレゼントは、さっき買ったじゃない。」 「違うよ! 私へのママからのプレゼントはこれが良いの。」 真剣な顔でそう伝えると、ママはゆったりと微笑んだ。 「それなら、ママの宝物をあげる。繭のおばあちゃまが作った、スノードームがあるわ。それを、貴女に譲ってあげる。」 そう言ってママは家に帰ると、お店より一回り小さなスノードームを私の掌に乗せた。その中には小さな天使が二人寄り添って頬にキスをしていた。その周りをキラキラと粉雪が舞う。私の掌に収まるほど、小さな、小さな天使達。片方の天使には蝶の羽根が生えている。蒼い不思議な色の羽根が冬の日差しを受けて輝いている。もう一方の天使には、小さいけれど鷲の様な勇ましい立派な白い羽根が生えている。 「この天使達はアムールとプシュケーと言うのよ。おばあちゃまはフランスの人だからね。自分で粘土で模型にして、これに閉じ込めたのよ。」 祖母とは三回ほどしか会った事はない。ママの故郷イギリスに祖父と一緒に住んでいた。私はその時、祖母がフランス人だったという事を知った。そして自分の中に、イギリス、日本、フランスと三カ国もの血が流れているという事に驚いた。 「ママ、この天使はモデルが居るの?」 「そうね……。アムールとプシュケーという有名な絵画があるわ」 そう言ってママは、自分のスマホでそのイラストを見せてくれた。スノードームの天使はそのイラスト通りではあったが、羽根の形が違うことに気づいた。 「ねぇ、これは羽根の形が違うよ。何で?」 「これはね、おばあちゃまのオリジナルなのよ。おばあちゃまは蝶が好きなの。中でもモルフォ蝶がね。蝶の研究を自分の専門学問にしていたの」 「じゃあ、これはモルフォ蝶の羽なの?」 「そうよ。モルフォ蝶は世界でも美しい蝶として有名なのよ」 そして私の掌のスノードームを包み込みながら、ゆっくりとママは私と目を合わせる。 「繭。あなたの榛色の瞳と、柔らかなその髪色はね。おばあちゃまの血なのよ。ママがそうだから。でもね、鼻筋がスッと小さいのはパパの遺伝よ。そしてねあなたの名前は、おばあちゃまとその妹のフェデラー叔母さまが付けてくれたの。おばあちゃまは、日本で生活する事がとても繭にとって生きづらい事を分かっていたのね、幼稚園の頃の様に。でも二人はね、この子はたくさん苦労するかも知れない。見た目や親が日本人に近くない事で。でもね美しい蝶や花は、辛い事を沢山乗り越えた方が美しく成長するはず。そう言って繭という名前をつけてくれたの。」 そう言ってママは私を抱き締めた。 「繭。どんなに辛い事があっても希望を捨てては駄目なのよ。貴女には随分と苦労をかけていると思う。それでもね、貴女は貴女らしくいればいいの。本当に大切なものはいつだって、自分の心の中にあるはずよ。忘れないでね」 その後、仕事を終えたパパが私にクリスマスプレゼントと言って、お手製の木で出来た髪飾りをくれた。今年は雪の結晶の形のヘアゴムだった。さっそくポニーテールにして髪に付けると、大好きなあの豪快な笑みを浮かべながら、くしゃくしゃと頭を撫でた。 それがパパに触れた最期。パパは、その日の夜勤で現場で後輩を瓦礫から庇い、下敷きになった。頭蓋骨が粉砕して、即死だった。
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