最初の奇跡

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

最初の奇跡

幼稚園の時、私は自分の容姿が人に好まれる物では無い事を知った。特に女性には。ハーフの私は明らかに、周りの子達と見た目が違った。ママの生き写しとまで言われた私は、その後の人生は見た目でとにかく苦労した。容姿は人間の情報の大半を占める。私が日本人であるパパから引き継いだのは控えめな細い鼻と、薄い唇。ぱっちりとした二重の瞳と頬の柔らかい曲線、何より目立つ榛色の瞳と髪の色はママから引き継いだ。その顔は日本人離れした顔で、周りの子と違う物だった。それは幼い人間からすると奇妙なことに思える様だ。 「繭ちゃんはガイジンだもんね」 「日本語わかる? 」 「英語を喋ってみてよ」 クラスメイトの悪意の無い好奇心が私を苦しめた。母は家で日本語しか話さないため、私は英語は話せない。母が海外に帰省するということもほぼ無かったので、英語に触れる機会は全く無かった。 「ガイジンのくせにしゃべれないの?」 「繭ちゃんの髪の毛、なんでそんな色なの?」 「目の色も違うね、変なの!」 悪意の無い言葉達によるストレスが、私に襲いかかる。その自衛の為なのか失語症を発症した。自分の意志となる言葉が、喉に張り付いて取れないのだ。膜みたいに喉に張り付き、呼吸まで苦しくなる。ぱくぱくと口を動かす。声が、出ない。そんな様子を見て、担任の先生ですら困った目で私を見た。そして、私は幼稚園に行けなくなった。 「ねぇ、繭。幼稚園でね、ひまわりがきれいに咲いたんだ」 「今日のおやつは、何だろう」 「絵本読もうよ。どれがいい?」 そんなたわいも無い話を、一希は私に話しかける。一生懸命、毎日、飽きもせず。 「一希はきいろ、好きだもんね」 「今日はプリンだと嬉しいな」 「しろくまちゃんのホットケーキ、読みたいな」 そう答えたいのに、声が出ない。喉がひゅっと音を立てて、苦しい。悲しい。怖い。 「繭にはぼくがいるよ。繭の話したいことはちゃんと聞こえているよ」 あの頃、一希の言葉だけが私の全てだった。私の声は、彼にだけはちゃんと届いていた。 声が出なくなったことを心配した両親は、私を様々な病院に連れて行った。喉の検査や口の中、脳みその検査など徹底的に検査される。 「繭。父さんが必ず声が出る様にしてやるからな!」 そう言ってパパは連日、私を病院に連れ回した。幼い私にとってそれは苦痛でしかなかった。暴れる私を何人もの看護師が押さえつける。声が出ないと、泣き叫ぶこともできない。心の中で嫌だと繰り返しても、誰にも伝わらない。 「もう病院に通うのをやめたほうがいいんじゃ無いかしら……。幼稚園でのストレスが原因だとしたらこのまま家に居て、声が出るのを待つしか無いんじゃないの……」 「繭の為なんだ。どうしたら繭の声は出るのか、手当たり次第でも医者に診てもらった方がいいと思う」 「もう何人ものお医者様に診てもらったじゃない。どこも異常は無いんでしょう。それなら……」 「分かっている。でもストレスが原因じゃ無いとしたら? 体に異変があったのだとしたら、俺はその時後悔しても遅いと思うんだよ……」 毎日悩んでため息を吐く両親の姿を見て、罪の意識を感じる。ストレスって何だろう。幼稚園での生活が嫌なのは分かっている。周りのみんなにガイジンって言われる、喋れない英語を話せと言われるのは嫌。先生が困った顔で私を見るのも嫌だった。家にいてそれが無くなった今、どうして私の声は出ないのか分からなかった。誰にもバレない様に、私はベッドの下に隠れ込む。悲しくて、苦しくて、もがく様にぽろぽろと涙をこぼしていると、ひょっこりと誰かが覗き込む。 「繭、みっけ!」 幼稚園を終えた一希が私の家に来た。もう一希の帰る場所は我が家と言わんばかりに、幼稚園のバスはうちに来る。紺色の制帽を被って、スモック姿の一希が笑った。 「そんな所で何してるの?」 無邪気に聞く。そうしてそのまま、ぺたんとベッドの下を覗き込みながら、首を傾げた。泣いている私を見て、一希は通園バックの中を漁る。そうして出てきた手には金色の何か。 「繭、見て!今日幼稚園で作ったんだ!」 そう言って一希は私をベットの下から引っ張り出した。ずるずると私の体はベッドから飛び出す。それを見た一希は満足そうに、私の首に何かをかけた。 「クリスマスメダルだよ! ツリーの上にお星様を飾るだろ。それってなんか、すごい力があるみたく見えたんだ。だからこのメダルは特別な物なんだよ。今日先生にどうしたら繭の元気が出るか、教えてもらって作った」 私の胸元には、キラキラと輝く折り紙の星がぶら下がっていた。涙で視界が煌めく中で、メダルは一層輝いて見えた。懸命な一希の努力が見えたような気がして私はまた泣いた。どうしようも無く胸が痛む。私の声を、彼はこんなにも取り戻そうと必死になっている。その気持ちが嬉しくて、同時に申し訳なくて、私の胸は締め付けられた。 そして、その瞬間。私は突然、一希の前で言葉を取り戻した。 「か、ずき。」 喉の膜を破りぽろっと、その言葉は出た。一希は呆然と私の顔を見つめ返す。その瞬間、手に持っていた通園バックを落とした。一瞬何が起きたか分からなかったが、小さな身体でぎゅっと私を抱き締めていた。 「繭。まゆ…。繭!」 「かず、き。かずき…。一希!」 涙がぽろぽろ溢れる。やっと、呼べた。やっと、話せた。やっと、名前を呼ぶことが出来た。 「繭! 声が…!」 「一希が、一希がね、喉の膜を破って、くれたの。一希と、ずっとお喋り、したかったの。そしたら、膜が破れたの」 「膜?」 「なんか、言葉が、喉のね。膜に張り付いて、出てこなかったの。それを一希が、破ってくれた、の」 途切れ途切れでも、今、伝えなければ。一希は6ヶ月もの間、私に沢山の事を伝えてくれたのだから。 「一希には、不思議な力が、あるね」 その言葉を聞いた一希は、少し考えてからふと何かに気付く。 「サンタさんが来たんだ!」 「サンタさん?」 まだクリスマスには早い。電飾やクリスマスソングが街を彩る様になったが、当日では無かった。そして、一希にはサンタさんは来ない。いつも現金でプレゼントを渡す、一希の父の顔が浮かんだ。まだ五歳の彼に、一希の父は息子に本当のことを知っていればいいと、常に言い聞かせていた。毎年、自分にはサンタさんは来ないんだ。と悲しそうに笑う一希を、私は知っている。 「今年こそ、サンタさんに来て欲しかったんだ。そうしたら、父さんもサンタさんが居るって信じてくれる筈だから。プレゼントは要らないから、繭に声を返してあげてください。そうやってお願いしたんだ」 そうやって初めてのサンタさんからのクリスマスプレゼントを喜ぶ一希を見て、また私は悲しくなった。良い子にしていたらサンタさんは来る。そうやって私の母は教えてくれたのに。一希はこんなにも良い子でいるのに、何故サンタさんが来ないんだろう。本当の事って何だろう。泣いている私を見て、一希は不安そうにこちらを見る。 「繭?」 「一希に、サンタさんが力をくれた、のかも」 「え?」 「サンタさんが、私に声を出せる様に、力を一希にくれたんだよ。サンタさんは、きっと、居るよ」 夏から出なくなった声は、一希に不思議な力を宿らせる為に出なくなったのかも知れない。一希にもちゃんと、サンタさんは来た。 「そっか。僕にもサンタさんは、来たんだよ。だって繭とまたお話できたんだから!」 そう言って一希は笑う。そのまま私の頬の涙を手で拭ってくれた。そこで漸く、私は久しぶりに安心して笑う事ができた。 五歳のクリスマス。私達は不思議な体験をした。私の声を聞いた両親は驚いて、心底安心した様だった。その後、久しぶりに笑ってくれた。一希の不思議な力のお陰だと言うと、ママはそっと涙ぐみながら私を抱きしめた。パパは一希の頭をわしわしと撫でた。外はしんしんと、粉砂糖のような雪が降っていた。寒さの中で、私は三人から温もりを貰う。その間、一希は私の手を片時も離さず繋いでいる。彼の照れ臭そうで小さな掌は温かく、幼い私を勇気付けてくれた。その手は立派な男の子の手だった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!