大切な人の話

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大切な人の話

当たり前の様に私達は、同じ小学校に入学した。入学式で私と同じクラスになれなかった一希は、心底不安そうに泣き出した。そのまま未だ幼さ残る丸い頬に雫を溢しながら、椅子に座っていた。 「一希。良い加減にしなさい。あなたもう、小学生なのよ。そんな事で、この先どうするの」 「お前の為に、父さんは仕事を休んでまで来てるんだ。いいか。幼稚園とは違う。学校は勉強する所だ。お前はこの先立派な大人、父さんと同じような医者になる為にきちんと勉強をするんだ。泣いている暇なんか、一秒もない」 一希の両親は一切容赦なく、責めた。両親の叱責を彼はどんな気持ちで受け入れていたのだろう。喚く訳でもなく、泣き叫ぶ事もなく、切長の目尻から雫が零れ落ちていく。その瞳はかつて、声の出なくなった自分と同じ。ベッドの下に引きこもっていた時の私と同じように光る事無く、ただそこに存在していた。 「一希。クラスが離れても、一希は私の一番だよ。寂しいなら休み時間も絶対に会いにいくよ」 「また、繭が嫌な思いしたらどうしよう。また、繭が苦しくなったら……」 「大丈夫!」 「何で?」 「一希の不思議な力が私を守ってくれるから」 「サンタさんのくれた?」 「そうだよ。一希がいるから、私は一人ぼっちじゃ無いよ」 いつもいっしょ。そうして私と一希は小指を結んだ。これが私と一希の初めて交わした、約束。けれど私はこの約束が、初めてしたものとは思わなかった。そう、何十年や何百年も昔。生まれる前の記憶の星空の下で、私と一希は同じ約束で指切りをした様な不思議な気持ちを思い出した。それはきっと前世でしたもので、それをずっと繰り返しながら私と一希は名前や姿を変えていっしょにいると思ったのだ。 それからも事あるごとに私達はいっしょに居た。一緒に登下校して、休み時間の度に一希の側で私は本を読んだ。それを一希はぼんやりと眺めながら 「繭。僕の側にいなくても良いんだよ。クラスの友達と遊びたいんじゃないの」 「今は読みたい本があるから」 「でも……」 そんな会話を繰り返した。当時から一希は女の子にモテた。頭が良く、優しくて、気の利く。何かと目立っていて常に隣にいる私は、同級生の女の子から嫉妬と羨望の的にされていた。 「南沢さんはなんで同じクラスじゃないのに、北川くんと一緒にいるの?」 幼馴染で大事な人だからだよ。 「北川くんを独り占めしてずるいよ」 独り占めなんかじゃない。 「私の方が北川くんのこと、好きなのに」 そんなの比べる物じゃない。一希は誰かの物じゃ無い。 そういう言葉を全部無視して、それでも一希の側にいた。そんな言葉が気にならないくらい、彼のことが心配だったから。ただ、そんな外野の言葉が私と一希の間に、少しずつ溝を作っていった。 「繭、今日はクラスの子とドッチボールする約束しているから」 「今日は友達の家に遊びに行くから」 「ごめん、繭。今日は塾があって忙しいんだ」 そう断られることも次第に増えていった。それは彼なりの優しさなのだと思う。外野の声から私を守る、一希なりの優しさと、気の利く所。でも、当時の私はその一言を言われるたびに泣きそうになる。どんどん一希が離れていく。こんな事は産まれてから一度もなくて、どうしたら良いのか分からなかった。 「繭、今日から学校行くのも一人で大丈夫だよ」 ある日、唐突にそう告げられた。いつかそんな日が来る気がしていた。木枯らしが吹く、肌寒い晩秋。黄色いカバーの黒いランドセルが遠ざかっていく。途中で二つ、三つにランドセルが増えるのを見た。私は一希を独り占めしたかったわけじゃない。いつもいっしょに居たかっただけだった。それを伝える術は無くていつも手を繋いでいた、手持ち無沙汰になった手をぎゅっと握りしめた。 その日を境に一希は殆ど、私の家にも来なくなった。クリスマスも家族三人で過ごした。ツリーの上に飾る星をどっちが乗せるか喧嘩して、パパに怒られることもなかった。毎年ママの作るいちごのショートケーキ。いつも一希といちごの取り合いをしていたのに、今年は好きなだけ食べられた。当たり前のことなのに、寂しい様な、悲しい様な、胸がツンと詰まる気持ちになった。 「繭、Happy Holidayよ!」 そう言ってママは小さな赤い包み紙のかかった箱を取り出した。 「はっぴー…ほりでい?」 「クリスマスはお祝いなのよ。そんな悲しい顔をしないで」 そう言ってママは腕を広げる。その胸の中に飛び込んだ。 「ママ。一希もクリスマスを楽しんでいるかな?」 「一希に心の中で、Happy Holidayと願ってみて。きっと思いは届くわ」 「今年のクリスマスはパパとママも、とっておきのプレゼントを用意したんだ」 パパにそう促されて、包みを開ける。そこには繊細な木彫りでできた蝶の髪飾りが入っていた。羽の隙間に綺麗な青色の硝子が嵌め込まれている。最近髪を伸ばしている私への、ぴったりなプレゼントだった。 「おいで、繭。髪を綺麗に結ってあげる。」 そう言ってママは髪を編み込み、交差したところに髪飾りを刺した。 「繭、お姉さんになったなぁ……」 しみじみとパパが言う。なんだか照れ臭くて頬を押さえた。 「これ、パパが作ったの?」 「そうだぞ!木を削って、ガラスを嵌め込んだ。繭に似合うと思ったんだ」 「あら。ママとお揃いね。ママの指輪もパパが作ったのよ」 二人が笑う姿を見て、私はなんだか満たされた気持ちになった。大切な人は一人ではない。そう教えてもらった気がした。 「君は随分と両親から愛されていたんだね。」 淡々と目の前の東野は感想を述べる。 「はい……。父も母も私のことをすごく大事にしてくれていました」 「それで、いつ殺害理由は話してくれるのかな?」 「今、話しています」 「君の思い出語りに付き合っている暇はないんだよ」 「ただの思い出語りなら、こんな話はしません」 「どう言う意味だ? 大体北川くんと仲違いしてしまっているじゃないか。それでいつもいっしょなんて笑わせる」 東野は困惑した表情を浮かべる。いつも一緒にいる約束をする間柄で、相手を殺してしまった事実は理解出来ないだろう。一希の肉体は私の側から、永遠に居なくなってしまったのだから。 「約束は必ずしも、相手が存在するから成立するものでは無いのです」 「どういうことだ?」 「もう二度と、会うことは出来なくても。気持ちと魂は望めば、ずっと私の中に存在し続けます」 はっと小馬鹿にした様に、東野は笑う。私は何も言えずに、黙る。 「へえ。南沢さん、本当にロマンチストなんだね。最近多いんだよ。若い女が、彼氏の事を傷つける事件。大体の場合がその彼の事が大嫌いか、大好きかで動機は別れるんだ。君は北川君のことが好き過ぎて、自分の物にでもしたかったのかな?」 くだらな過ぎる。一希は私の最愛の人でも、物ではない。私の所有物になるなんて事は有り得ない。 「彼も一人の人間ですから。私のものにしたいなんて、そんな非現実的な幻想は抱いていないですよ。馬鹿らしい」 誰か一人の人間を自分だけのものにする。そんな事は不可能だ。どんな人間にだって、感情、意思、人生があるのだから。その物語の登場人物になれたとしても、主人公になることは出来ない。私はそれを知っている。 「俺には君の言うことは理解出来そうに無いよ。殺したくなるほど好きなんだろう? それなのに自分の物にはならないと分かっているなんて。ならば余計、北川君を殺した理由は何なんだ? 君は何が目的だったんだ?」 「目的……。」 「殺害の動機、とでも言うのかな。今の君の話からはそれが見えてこない。」 「そうかもしれませんね。」 「一体どう言うことなんだ? 君は本当にどうして……」 「……それは……」 言い淀んだ私を見て、東野はさらに溜息を吐いた。 「……もういい。今日は遅い。終わりにしよう」 気づくと外は真暗だった。日の落ちるのが早いこの時期は、太陽を隠すのと同時に冷気を運んでくる。東野は私を独房に連れて行く。途中、女性の刑務官に私を引き渡した。 「明日もきちんと話を聞かせてもらうよ。ゆっくり休むように」 それだけ言った瞬間、エレベーターの扉が閉まった。
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