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熱気の立つ夕暮れ前の教室で、真剣な顔の男子高校生が隣に座る女子高生に向かって話しかける。
「甘えたい」
「甘えれば?」
大真面目な顔で語る男子高校生タイチに対して、答える女子高生マリは自分の机に向かって書き物をしながら、言われた言葉を気にする風でも無く言葉を返す。
予想外だったのだろうか、タイチは驚いた様な顔をするとマリに聞き返す。
「いいの?」
「この日誌が終わったらね。ほら、自分の分、止まってる。早く書いて。あたしも帰りたいんだから」
「ほんとに、ほんとに?」
「だから終わらせたらね。私にはどうでもいいことだし、好きにすれば?」
「やったぜ!」
タイチは喜んでガッツポーズを取るが、そんなタイチを見てマリは溜息をつくだけで、うっとおしそうな表情を隠そうともしていない。
なかなか自分の分の日誌のページを進めないタイチに、イライラとした様子をするとシャーペンでびしっと指差して宣言する。
「そうやってダラダラとさぼるのはいいけど、終わらせないと終わんないよ。早く終わらせないと帰っちゃうんじゃないの?」
「あ、そうか! そうかも! 何時までいるかな?」
「さあ? 私は知らない。帰られるのが嫌なら早く終わらせてってば」
「はーい」
そう言うとタイチも自分のシャーペンを手に取って、割り当てられた日誌のページに向かう。
少しの間二人の出すカリカリというシャーペンの鳴る音だけが、二人だけの夕暮れの教室に響く。
だが、タイチの方は気が散るのかすぐにシャーペンを鼻と唇で挟むと、ぼんやりとマリの方を見つめている。
だが、それに気付いたマリがタイチを咎める。
「日誌は?」
「なぁ、マリ」
「はぁ? 呼び捨て? マリさん、じゃないの?」
「え、めんどくせーもん、いいじゃん」
「……まー、いいけど」
「そいでさマリ。甘えるって、どうやったらいいと思う?」
「私に聞く? それ」
ため息を吐きながらマリはシャーペンを置くと、ジロリと睨むような視線でタイチの方に目を向ける。
だが、タイチは睨まれても気にならないようで、マリの方を向きながらシャーペンをもぐもぐと動かしている。
「いやー、俺はさただ単純にべたーっとくっついたり出来れば満足なんだけどさ、それ、嫌がってた時あったじゃん?」
「あったね。あれは当然だと思うけど」
「さすがの俺も人に嫌がられてまで自分の好き勝手に甘えたいとは思わないわけよ」
「それが分かってるんならいいんじゃないの?」
「でもそしたらどうやって甘えていいかわかんないじゃん!」
「ふーん」
熱っぽく語りかけてくるタイチに対して、マリの反応はいかにもそっけない。
タイチの話す悩みにも、まるで興味がないかのような素振りだ。
「好きなんだよ!」
「は、はぁ!? なにいきなり言い出してんの!?」
「わかってるだろ? 俺が好きなの」
「何度も聞かされたからね。でも私にはどーでもいいことだし」
「そんなこと言わないでさー。真剣に考えてくれよー。頼む!」
言葉のままにずいっと身を乗り出したタイチは、そのままマリの手を取って両手でぎゅっと握りしめてしまう。
「っ!? ぎゃーー!? 離せーっ!?」
驚いたマリがおよそ年頃の女子高生が男子の前で上げるとは思えない声で悲鳴をあげると、急いでタイチの手を振り払う。
「わっとと、なんだよ。お願いしてるだけじゃん!」
「だけじゃないよ!? いきなり手を掴むな!」
「マリがつれない……(しくしく)」
「……絶対頼み方違うと思う」
ぷらぷらと風で洗うようにしてマリは手を振ると、じっと自分の手を見つめている。
そこに手を振り払われたことが大して気になっていないのか、タイチが言葉を被せてくる。
「でさぁ、マリならどんな風に甘えられたい?」
「はぁ? 私?」
「うん。教えてよ」
「なんで?」
「知りたいから」
「やだって言ったら?」
「いーじゃん教えてよ」
「やだ」
「そんなこと言うなよー」
「……知ってどうすんの?」
「え、参考にする」
「参考ってどんな風に?」
「実践で試してみるとか」
「〜〜〜〜っ。…………やだ」
「えー! なんでだよ!」
「やなものは、ヤなの!」
ポンポンと短い言葉の応酬が勢いよく繰り返される。
あっけらかんとした様子のタイチにマリが噛み付くようにして返すが、タイチは気にならないようで思うままにすぐにボールを打ち返してくる。
「そんなこと言うなよ。聞かせろよ」
「参考にするようなヤツに言いたくない」
「あぁ、答えは自分で見つけろみたいなやつか。めんどくせーよなぁ、ほんとそういうの」
「あんたは女の子のこと、なんっにも分かってないよね」
「だから今勉強してんじゃん」
「……サイテー」
そう言うとマリはぷいっとタイチとは反対側の方を向いて、顔を背けてしまう。
そむけた顔の先は校舎の窓越しに校庭と、その先には校門が見えており、下校途中の生徒たちや、門の前で誰かを待つ女子高生や、仕事を終えて帰路につく教師の後姿があった。
マリはタイチに放った言葉の勢いそのままに、眼下の光景をなんとはなしに眺めて観察している。
だが、これにはさすがにタイチも明らかに機嫌を損ねてしまったと思ったのか、慌てて立ち上がってマリに謝罪する。
「あー、ごめんごめんって! 怒らせるつもりなかったんだよ! 失言したなら謝るから許して! お願い!」
「ほんとに悪いと思ってんの?」
「思ってる! 悪かったって!」
「じゃあもう、あたしの言葉を参考にするとか、あたしとの会話で勉強するとか、そう言うこと言わない?」
「言わない! 言いません! だからお願い!」
そっぽを向いたままのマリにタイチが手を合わせて謝り、頭を下げる。
それを横目でチラリと見たマリは盛大にため息をついて、座る自分よりも低い位置にあるタイチの頭を見て、またため息をつく。
「はぁーー……。じゃあ、32のアイスクリーム」
「へ?」
「こないださ、CMで32のアイスクリームのトリプルやってたじゃん。帰りがけにアレ奢ってよ。それで許してあげる」
「いいの!? さんきゅう! 奢る奢る! ……って、今日の帰り?」
マリのため息混じりの提案にタイチは飛び上がって承諾するが、すぐにあることに気付いて動きを止める。
マリはそれを最初から分かっていたのだろう、ニヤリと笑う。
「うん、そう。この後。明日になって忘れられたら困るし」
「おい、ちょっとそりゃないだろ。だって俺はこの後」
「わかってるってば。日誌が終わってアンタが行って、戻ってくるまで待ってるよ」
「……そのまま帰るかもしれないんだぜ?」
「それも分かってるって。その時はどうせ校門通るでしょ? こっから見てるからさ。それ見たらあたしも帰るよ」
あっけらかんとした様子で、マリがタイチの返答を先取るように返していく。
さっきは日誌を終わらせてすぐに帰りたいと言っていたはずなのに、どう言う風の吹き回しだろうか。
タイチには分からないままだが、そういうことなら彼にとって不都合はない。
「それでいいならいいぜ。奢ってやるよ。今日がだめだったらまた今度な」
「あぁ、その時はいつでもいいよ。別に。諦めるから」
「なんだそれ。まぁいいや。それで、許してくれたんなら教えてよ。マリならどんな風に甘えられたいのか」
「は!? 諦めてなかったの!?」
「うん」
タイチは当然、といった風でマリのことを見つめている。
マリからすればもう終わった話のつもりだったが、タイチは諦めていなかったようだ。
「………………聞きたいの?」
「うん」
「参考にしない?」
「しないしない」
「はぁー……」
マリは何度目かのため息をはくと、タイチの方を見ないようにしながら口を開く。
「んー……、そうだなー。朝起きた時とかにさ、隣で寝てる彼氏とかをゆすって起こそうとするんだけど、向こうが『もうちょっと……』とか言って抱き付いてきたりしたら、いいよね」
「ん? あの、マリさ、ん?」
「ん? こうさー、だらっとした日常の中でちょっと甘えられる、みたいな。のがいいかなー」
「……おまえそれ、彼氏とかいんの?」
「いあ、いないけど」
「妄想?」
「妄想」
「それって同棲とかしてるカップルとかのやつじゃないのかよ。俺たちまだ高校生だぜ。変なやつ」
「悪かったな」
マリのぼんやりとした妄想に、タイチが多少引きながら正直な本音を返す。
それを聞いてマリはケッとばかりに悪態をつく。
「ほらー、あたしのは語っただろー。これで満足かー?」
「おう、満足した」
「ったく、なんでこんなこと言わされたんだか。トリプル二つだかんね」
「げ、いいけど。そんな食えんの?」
「食べる。乙女のやけ食いなめんな」
「あいあい」
掛け合いながら、ふとマリが教室の時計を見る。
話し込んでるうちに大分時間が立っていたらしい。
そろそろ日誌の提出期限の時間が迫っていた。
「あ、やば! もう出さなきゃ! 書いた!?」
「あー、書いた書いた。だいじょぶだいじょぶ」
「前もそれですっごい適当なの書いて日誌当番またさせられたんでしょ。何回目よ」
「何回目だろ。たくさん? そいえばマリも毎回日誌当番してるよな。なんで?」
「……一応、内申の評価良くなるらしいし」
「ふーん。まぁいいや。俺出してくるわ。マリも書き終わってるんだろ?」
「うん」
「おっけー。じゃぁ行ってくるわ」
「よろしくー」
そういってタイチが二人分の日誌のページを受け取ると、教室から出て行こうと扉に手をかけたところで振り返る。
横目でタイチの動きを追っていたマリはそれに気づいて、扉の方を見る。
「マリ」
「ん?」
「話し、聞いてくれてありがとな」
「あぁ、いんじゃないの。別に」
「あんまりさー、こういうこと彼女に話しても聞いてもらえないから助かるよ」
「はん。あたしはさながら愚痴のはけ口か。すっきりしたならとっと日誌出して彼女にたっぷり甘えてきなよ。まだ校舎に残ってたら、だけどね」
「おう、そうする! ダメだったらさっき言った通り一緒に帰ろうぜ、32奢るわ」
「ふん。どーぞ」
それだけ言うと、タイチは扉は開けたまま廊下の外に走って行ってしまった。
残されたマリは少しの間、扉の方向を見ていたが、やがてそちらから視線を外すと、反対側を向き、窓越しに外の校庭と校門の様子を見る。
外は濃いオレンジの夕陽の色が増してきており、もうすぐ夕方も本格的な時間になりそうだった。
すでに校庭にも校門にも人影は無い。
それを見てマリは自嘲気味にぼそりとつぶやく。
「……あたしは嫌なオンナだなぁ」
マリにはわかっていた。
この後タイチはこの部屋に必ず戻って来ることを。
その核心は、さっきまで校門で誰かが来るのを待っていた女子高生の姿が無くなっているのを見たからだ。
タイチの甘えたい相手が誰かは十分に知っているが、マリはそれを告げなかった。
自分がその対象でないことも知っていたが、答えずにはいられなかった。
そんなこんなを思い返しながら、深い後悔の溜息をはきながらマリは机につっぷした。
「日誌……、明日こそはちゃんと書かないとなぁ」
すぐに廊下から聞こえてくるタイチの足音に敏感に気付くと、マリは少し服のしわを伸ばしてきれいにし、このあと何味のアイスクリームをねだろうかなどとぼんやりした気持ちに思いを馳せるのであった。
(おしまい)
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