15センチを探して

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 夏は、思いのほか早くやってきた。  遠く抜けるような青い空、それを追い出すように立ち昇る巨大な入道雲。  雨が降るほどには空はまだ青く、降り注ぐ太陽の暑さはアスファルトにこぼれてあふれかえっていた。 「あっつぃな……」 「栄太ー。なにしてんの、ほら、こっちこっち」 「分かった分かった。今行くから」  長い黒髪の少女が衣替えの済んだ半袖の制服を着て前を歩いている。  手には学校帰りの鞄、それと少し長めの定規が一本。  どれも都会の洗練されたデザインのものには遠く及ばない、ありふれたものだった。  名前を「瀬戸さゆり」という彼女は、一年生とはいえ高校生にもなったというのに無邪気に鼻歌を歌いながら定規を振り回している。  黙っていれば美人、という評を体現するかの如き淑やかさの欠片も無い粗雑さで、定規を草むらに突っ込むと小さく声を上げた。 「お、なんか発見」 「おい、変なものじゃないだろうな」  後ろをぼんやりとめんどくさそうに歩いていた少年が、さゆりの声に反応して慌てて小走りに近寄っていく。  だが彼女はそんな少年の様子を気にもせず、草むらからカランカランとなにかをかき出すと、手に取ってうなってみせる。 「ううーん、これはどうかな。結構良さそうじゃない。どれどれ」 「お前落ちてるモノまで拾うなよ」 「16.5センチ! ざんねーん!」  そう言うと今拾ったばかりの缶コーヒーの大型缶をぽいっと草むらに投げ返す。  カン、と石か何かに当たった音が鳴り、コーヒーの缶はすぐに見えなくなる。 「んー、なかなか無いなー。15センチ」 「お前なぁ。探すのはいいけど、あんまり手当たり次第に手にしたりするなよ」 「でも栄太、素敵な15センチがあるかもしれないよ!」 「俺は、そんなすごいモノだったら草むらなんかには落ちてないと思うけどね」 「栄太はなー。すぐそういうこと言うからなー」 「ほっとけ」  さゆりに指摘されて悪態をついた黒髪の少年は、詰襟の制服とさゆりと同じ形の鞄を片手で持って肩にかけ、さゆりを見失わない程度にゆっくり歩いていた。  彼の名前は「諏訪栄太」。  さゆりとは家も隣り、親同士も仲が良く、幼稚園から高校の今に至るまでずっと同じ学校と、典型的な幼馴染の道を着実に積み重ねてきていた。  ちょくちょくお互いの家で勉強会もしているせいで成績まで近い彼らは、志望大学まで被ってしまい、切れそうも無い縁を栄太はもうそういうものとして受け止めていたのだった。   学校でも、思春期がまだ来ていないのではないかと疑うようなさゆりの言動のお陰で、周りからはすっかり夫婦扱いだった。  今日も彼らはどちらから言い出したでも無く自然と一緒に帰っている。  とはいえ、栄太にとっていつもの帰路が、いつも通りだった試しなどただの一度も無い事だったが。  今日も同じだ。 「さぁ、栄太! 素敵な15センチを! 私の素敵な15センチを探すんだー!」 「また勝手な事言って……。私のって、俺の分はどうするんだよ」 「栄太の分?」 「そう。俺の分」 「ふむ……」  栄太の声に振り返ったさゆりが顎に指を当てて考え込む。  そしてろくに悩みもしないうちに手を打って答えを見つける。 「あ、簡単簡単。栄太の分は簡単だよ」 「どういう意味だ?」 「まず、私が私の素敵な15センチを見つけます」 「ああ」 「で、栄太も同じやつにする」 「はぁ!?」 「そしたら、私は私の素敵な15センチを見つけられるし、栄太は私の素敵な15センチを手に入れられる! どう! 完璧でしょ!」 「完璧から程遠い完璧さだなそれは?」  自慢げに腰に手を当てて胸を張るさゆりには、焼けるような暑さと相まって栄太はめまいを覚えそうな感じだった。  彼らが探す”素敵な15センチ”。  それは別に大層なものでも、不思議な事でも何でもない。  ただ、大分変った所のある彼らの学校の物理の教師が「身近なものの長さを体感してください。15センチほどのものを何か見つけてきてください」などという、とても高校教師が出すとは思えない課題を出してきた為だった。  小学生ならば皆喜んだかもしれないが、もう中学生とは違うという余計なプライドを持ち始めた高校生たちには、当然この課題は受けが悪かった。  だが、栄太のおかしな幼馴染であるさゆりは、一人嬉々としてこれを受け、勝手に"素敵な"などという枕詞までつけて、学校帰りに栄太の手を引きながら寄り道を提案し、途中で買った40センチほどもある大きめの定規を片手に"素敵な15センチ探し"を始めてしまったのだった。  だが、それに付き合わされた栄太としては一つ困った事情があった。  彼は言いにくそうに口を開く。 「なぁ、さゆりよ」 「ん?」 「あんまりこういうことは言いたくはなかったんだけどさ」 「なになに? どしたの?」 「帰らないか……?」 「え──!?」  割と本気で問いかけた栄太の言葉にさゆりは当然のように抗議の声をあげる。  分かってはいたことだった。  正面から向かっていっても乗ってこないであろうことは。  なので、搦め手を混ぜる。  つもりだった。 「もう暑いんだよ! 真夏の! 炎天下! 制服のまま! 途中で買ったコーラももう飲んじまったし、汗でシャツがべったりしてる気持ち悪さ! さゆりだって分かるだろ!?」  だが、余りの暑さに思わず本音をぶつけてしまう。 「まぁ、確かに。ちょっと暑いよね」 「いや、汗ダラダラにしてちょっととか、全然説得力ないけどな。い、言いたくないけど、ほらあれだ、その、汗とかかきすぎるとその、良くないこともあるだろ、ほら」 「なんのはなし?」  炎天下の中、アスファルトが反射する陽の熱を下からも浴びながら、二人の高校生は気付けば汗まみれになっている。  だが、さゆりの方をちらちら見ては時折視線をそらす栄太の様子に、さゆりは不思議そうに首を傾げながら彼に近づいていく。 「なにがよくないの?」 「近い!!」  ちょっと栄太が目を離した隙にさゆりは彼の目の前にまで来ていた。  栄太と同じようにびっしょりと汗をかいたさゆりのセーラー服は夏服であってもじっとりと濡れ、ところどころ肌に張り付いてセーラー服の下の薄着の気配を浮きだたせていた。  更に悪いことに、高校生になって大分背の伸びた栄太がすぐ近くまで迫ったさゆりの顔を見下ろせば、こちらを見上げてくるさゆりの顎先から首筋、そしてセーラー服の僅かに開いた胸元から覗く白い肌。  男の条件反射でそちらに目が行ってしまう。  そして。 「あ」  さゆりに気付かれた。 「あ、いや、待て! いまのは、ちが! 俺じゃなくて、お前が、いや、そうじゃなくて」 「あー、うんうん。分かってる分かってる。栄太のことは大丈夫全部分かってるから」 「いや、お前それは大分怪しいと俺は思うが」  こういう所ばかりきちんと敏感なさゆりが一歩栄太から距離を取り、セーラー服を押さえるように片手を首より下にあて、わずかな隙間を隠す。 「こないだユキちゃんが言ってました。男の子は危ないって。それは栄太も同じだって!」 「いや、さゆりちょっと待てって、それは確かにそうだけど、今の俺のは別にそんな」 「変なことしようとしてた」 「してない!」 「最近栄太の視線がちょっと変わってきたの分かってるんだよねー。ちょっと前まではなー、そんな感じも少なかったのに、高校入ってすぐぐらい、そっから栄太の私を見る目がなんかそれまでとは違うんだよなー」 「な、なんのことやら」  両手で自分を抱くようにしながらにじりにじりと後ずさっていくさゆりの背後、路端には割と大きめの樹が立っていた。  放っておくとぶつかりそうで、栄太は思わず駆け寄ろうとする。 「お、おい、さゆり!」 「ストーップ! 栄太! 取り調べは終わってません。栄太はそこにいなさい。動いちゃだめ。動いたらハサミで栄太のその髪の毛チョキチョキしちゃうよ」 「いや、さゆりそうじゃなくて後ろ後ろ!」 「ん?」  後ろに下がるさゆりを止めようとした栄太だったが、身体はさゆりの言う通りその場で止まっており、出たのは言葉だけである。  だが、さゆりは樹にぶつかるちょっと手前で足を止めると、栄太に向かって小首をかしげた。 「どしたの?」 「いや、樹にぶつかるって……。あぁ、いや、気づいてたならいいんだ」 「さすがに樹の影が見えたし気付くってー」 「あぁ、悪い悪い。……って、だから、さっきのは違うんだって!」  一瞬妙な間が空いた所で、栄太は元の話しの流れを思い出して抗議をしなおす。  いっそ忘れた振りをすればよかったのだろうが、あらぬ誤解とはいえ、実際には割と図星だったさゆりの指摘に焦る男子高校生の問題解決能力は低い。 「栄太は、見た」 「見てない」 「見た」 「見てないって」 「どーだかなー。栄太はすぐ嘘つくからなー」 「いや、それは、ほら嘘つかないって約束したわけでもないだろ、でもほんと、今回は見てないから」  不毛な争いをしている実感がとてもあった。  さゆりの物言いもなにかわざと話の結論を引っ張っているような作為的なものが感じられるほどだった。  こんないっそ干からびそうな日差しに上からも下からも照らされて、ただ疲れていくなど本当に無意味なことだった。  熱さで少しずつぼんやりしそうになる頭で、さゆりにまずはそれを分かってもらおうと、話しを区切る。 「待った、さゆり。ちょっと待ってくれ」 「ん? どしたの?」 「とりあえず、とりあえずだ、今の話、この場で続けるのはちょっとやめないか?」 「なんで? ははーん。栄太さんこれは犯行を喋ってしまったも同然だよー? 証拠隠滅を図るのはよくないなー」 「いや、そうじゃなくてっ。っていうかその話引っ張りすぎだろ。俺はただ単に陽射しが暑すぎるから、ちょっと木陰に避難しよう……って……」  そこで彼はようやく気がづいた。  なぜさゆりが訳の分からないともいえる言いがかりで、話しを引っ張り続けていたのか。  そして、なぜかさゆりの影が地面に落ちていないという事実に。 「あー、さゆりお前いつから木陰に!!?」 「あはははははは!!! 今気づいたの!? おっそいよー!!」 「いやお前、だって、俺をなんか変態みたいな扱いするから!」 「にしたって慌て過ぎだって。なんで私が樹にぶつかりそうなのには気付いたのに、木陰に逃げたのは気づかないのさ。あはははは!!」  耐えられないとばかりに身体をくの字に曲げて大笑いするさゆり。  それを見て一連の行動がさゆりの狙い通りであったことに気付く。  熱い中でひたすら耐えてた栄太一人が良い様に遊ばれてしまったのだった。 「ったく、やるレベルのイタズラが小学生と変わってないんだよ!」 「いやー、それに同じように引っかかってくれる栄太も小学生レベルなんじゃないかなー」  怒りと恥ずかしさのないまぜでずんずんと歩いて近づき、さゆりがいる木陰の中に栄太も身体を捻じ込む。  木陰は狭かったが、今度はさゆりは逃げなかった。  身体が触れるほどくっついているわけではない。 「……やっぱり冗談だったか」 「んー、でも、ちょっと見たのはほんとでしょ? 罰として少しぐらい暑い思いするのは仕方なくない?」 「…………」 「外出る?」 「分かった分かった! 悪かったよ! ちょっとだけな! ほんの少しだけだって!」  とうとう耐え切れず栄太が白状する。  その言葉に未だ引かぬ汗を手の甲で拭いながらさゆりが満足そうにうなずく。 「よろしい」 「はいはい。さゆり様にはかないませんって」 「うむ。じゃぁ、謝罪になにをくれるのかな?」 「んー、あぁ、そういや駅前の古カフェでアイス付きの新しいのが出たって言ってたな」 「行く!!」 「んじゃぁ、それで手打ちでいいですかね。ちょっと逆方向になるけど」 「いいよ! おっけいおっけい!」  急に機嫌を直したさゆりが喜びながら、木陰から出ようと一歩足を踏み出そうとしたところで小さく声をあげる。 「あ」  前に出した足を戻し、隣に立つ栄太を見上げる。 「ん?」  一瞬意図が分からず不思議そうな声を出す栄太。  そして彼女は二カッと笑って定規を取り出した。 「15センチ!」  さゆりの肘から伸びた定規が、栄太の脇腹に突き刺さった。  ― 〇 ― 「いや、さっきのはどうかと思う」 「えー、なんで。真夏のロマンチックって感じがしていいと思ったけど」  駅前のカフェ、外に出されたテーブルに向かい合って座りながら二人はアイスの乗ったカフェオレを飲んでいる。  今の所の主な話題はさっきのさゆりの発言だった。  だが、彼女は栄太の抗議に納得がいかないらしく定規の中ほどを持って振りながら抗議の色を隠さない。 「あそこはほら、二人の距離感を見つけたみたいな感じでさ。完璧だったと思うんだけどなー」 「お前の完璧は俺にはさっぱり分からないのと、付け加えておくと距離は間違いなく20センチ以上あった」 「え、こまか。そこ気にしちゃう? いいじゃん、大体15センチって感じで!」 「待て待て、なんだ距離感大体15センチって、お前それ物理の課題で提出する気か!? そして俺にもそれを出させる気か!?」 「だとしたら?」 「抗議する」 「誰に?」 「お前にだよ!」  当然のようにかみつく栄太にさゆりは面白そうにケラケラと笑っている。 「あはははは! いやー、相変わらずノリがいいよねー、栄太はさ。からかいがいがあるなー」 「俺をからかうのを人生の楽しみにしないでほしいんだが」 「ふふっ。それは諦めてね」 「笑われるし奢らされるし、今日はなんかいつにもまして散々だな」  半ばヤケクソ気味に栄太はコップに残った氷をガリガリと貪る。  アイスもカフェオレもあっという間に飲んでしまった栄太は、ちまちまと未だにアイスをすくっては舐めているさゆりを見て、小さく溜息を吐く。 「……お前の全然減ってねーな」 「んー、だって一気に飲んだらお腹冷えちゃうし、って栄太もう全部飲んだの?」 「あぁ」 「はっや。男の子だねー」  多少呆れ気味な様子で、さゆりは自分のストローに口をつける。  白いストローを茶色い液体が昇っていくが、コップから減ったのはちょっとだけだった。 「少しくれ」 「えー、横取りずるくない?」 「喉乾いたんだよ」 「そしたら、ほら、あそこに自販機あるじゃん。なんか買ってくれば?」  さゆりが指差す先には道路を挟んで自販機が置いてある。  振り返って栄太がそれに気づくと、「あー……」と気だるげな声をあげた。  日陰のテラスとは違い、先程までの暑さを思い出させるようなじりじりとした陽射しがまだ降り注いでいる。 「行きたくねーな」 「なんで」 「自販機の買ったらここ座れないだろ。日なたはエグイ」 「あー、そういう。変なとこマジメだよね栄太は」 「ほっとけ」  今彼らが座っているのは店のテラスだ。  店の商品以外の物を食べたり飲んだりする場所ではない、というのを栄太は結構本気で気にしていた。  さゆりの方は、商品は買ってるんだし一本ぐらいいいじゃないかと思っているのだが、口には出さない。  代わりに、カラン、とストローを回してから、また口をつける。 「冷たくて美味しい」 「俺にはくれないのか」 「……欲しいの?」 「欲しがっちゃいけねーみたいな口調だな」  反射的に返ってきた言葉に答えるように、さゆりはストローを栄太の方に向けてからコップを押しだす。 「どうぞ」 「お、なんだよ素直だな。わりーな」  栄太は嬉しそうにコップを手に取って、ストローを咥えようと口を開く。  その間際でさゆりが話しかけた。 「間接キス」 「がっ」  栄太の動きが止まる。 「…………気づいてなかったの?」 「言われなきゃ飲んでたな」  彼はまだ止まったままだ。  さすがにさゆりが呆れたように息を吐く。 「はー。栄太はいつになったら私が女の子に見えてくれるのかなー」 「い、いや、ちゃんと見えてるぞ。さっきだってそれだったから、ここで奢る羽目になったんだろ?」 「それはエッチな目じゃん。女の子を見る目がそれだけってのは問題が大きいと思います」 「うぬぬ……」  ぐうの音も出せずに栄太は静かにコップをテーブルに置く。  テーブルに戻されたコップは素早くさゆりの手に戻り、先程栄太がしようとしていたようにストローを咥え、カフェオレを飲む。  その口の動きを栄太は黙って凝視してしまう。 「………………」 「エッチ」 「っ、すまん」  視線を少し上にあげればさゆりの不満そうな眼差しと目が合う。  栄太はさゆりから目をそらしながら反射的に謝った。 「………………」 「………………」  二人の間を珍しく沈黙が支配する。  きまずい、と栄太は思いながらも視線を逸らしたまま戻せない。  少しずつ、最近少しずつこういう会話が増えてきた。  それまではもっと気の置けない自由な会話が出来ていたのだが、最近のさゆりは自分が女である、ということを栄太に分からせるかのようにわざわざ言い含めてくる時がある。  その度に栄太は自分の認識の甘さに言葉を詰まらせてしまう。  さゆりは高校に入ってすぐ評判の美少女などと呼ばれるほど俄かに注目を集めた。  もっともその評判も栄太というコブ付きと分かると、波は少しずつ引いていったのだが。  幼馴染である栄太としては初め相棒が評価されているのが単純に嬉しかったのだが、それが女としての評価なのだと気付くと少し陰鬱な気持ちになった。  当初、その理由は分からなかった。  それから少しして、自分が今まで彼女を女として見ていなかったことに気付く。  思春期が来ていなかったのは自分ではなかったのかと栄太が自覚した辺りから、さゆりの栄太に対する態度は徐々に変わり出してきていた。  今日も同じだ。  ふと、栄太の口が開く。  もしかして、と、思ってしまうことがあるのだ。 「なぁ……」 「ん?」  その声の向きでさゆりを見ずとも、さゆりの視線がじっとこちらに注がれたままなことに栄太は気づく。 「いや……」 「ふぅん」  思わず言葉が続けられずに口をつぐんでしまう。  また少し、二人の間に言葉が無くなる。  ややあって、さゆりが栄太を呼んだ。 「ねぇ、栄太。こっち向いて」 「ん?」  指名までされれば断れない。  栄太は逸らしていた視線をさゆりの方へと向ける。  さゆりは未だに栄太の方をじっと見つめていた。  普段は好奇心で満ちている黒い瞳が、今は底の知れない深慮を湛えたような湖のようにも見えた。  その瞳に吸い込まれそうになってしまい、栄太は視線を外せなくなってしまう。 「なんだよ」  緊張を隠すかのようにぶっきらぼうな口調になる。  それを見て、さゆりはふっと微笑んだ。 「栄太と私はさ」 「ん?」 「付き合ってると思う?」  少しの溜めの後に漏らされた言葉。  オープンテラスに涼しげな風が吹く。  探るような外せない視線がさゆりと栄太の間で絡まったままだ。  だが、その問いに対する栄太の答えは自明のものだった。  軽くため息を吐く余裕すらあった。 「いや、付き合ってないな」 「ふぅん。どうして?」 「そりゃ、そんな会話したことないからな。『付き合おう』なんてどっちかでも言ったか? 俺は覚えがねーな」  答えやすい質問にいくらか調子を取り戻したのか、栄太は両手を降参でもするかのように広げて見せる。  それでもさゆりの視線は変わらなかったが、片肘をついて手に顎を乗せながら、僅かにがっかりしたように溜息を吐く。 「はー。栄太は分かってないなぁ」 「なんだよ。今日は随分突っかかるな。なんかあったのか」  さすがに何か違和感を感じて栄太が尋ねる。  さゆりの様子は普段と少しだけ違っていた。  普段から人とは違っているが、今日は栄太の知るさゆり自身からも少し離れていた。 「栄太さ、こないだ教室でクラスの皆にからかわれた時『俺とこいつは別に付き合ってるわけじゃねぇ!』って叫んだでしょ」 「あぁ。なんだよ、事実だろ」 「それはそうなんだけど。その後、増えたんだよね」 「なにがだ」  真剣に聞き返す栄太に、さゆりはまだ分かんないのかこいつーとでも言いたげな胡乱な視線を向けている。  そして目の前の杓子定規に教えてやるべく彼女は口を開いた。 「告白」  栄太の動きがびしりっと止まる。 「んなっ、マジかよ!? ふざけんな!?」 「それまではちょろちょろっていうかほとんど無かったんだけどさー。あれから何日たったっけ、三日? その間にもう5回も告白されてるんだよね」 「もう5回も!? どいつらだ!?」 「うん。って、ややこしくなるから誰かとか言わないよ?」  思わず栄太が身を乗り出して聞いてくる。  彼はこの数日間、割と一緒にいたにも関わらず全く気付いていなかったのだった。  栄太の剣幕を軽く流して、さゆりは指先でくるくると自身の長い黒髪をいじっている。 「もう、まさに怒涛、だよね。明日も呼び出されてるし」 「マジかよ……」 「ということで、私はちょっと怒ってます」 「え?」 「これまで割とそういった面倒くさいのと関わらずに済んだのは、栄太がちゃんと一緒にいてくれて守ってくれてるんだと思ってたのに、まさか無自覚だったなんて全然思っていませんでした」 「う」  さっとさゆりが自身の髪の毛をはらって言葉を切る。  静かな丁寧語で語るさゆりの目は細められ、睨みに近いものになっていた。  そしてその目を悲しげに歪ませる。 「それに寂しかった」 「え」 「中学まではさ、そう言う風に言われても別に否定したりはしなかったでしょ。なんで急にあんなこと言うようになったの?」 「それは……」  栄太が答えに言いよどむ。  駅前のオープンカフェは今や裁判所のようだった。 「それは?」  静かにさゆりが問い返す。  栄太は慌てるようにまくしたてた。 「いや、その違うんだよ。その前に高木とか秋山からハッキリしないのは男らしくねぇとか言われててさ、それでからかわれたもんだからついカッっとなっちまって」 「なんで反対方向に男らしくしちゃうかなぁ」 「だってお前付き合ってないのは事実だろって、ん? 反対方向?」  呟くようなさゆりの返しに、栄太が一瞬不思議そうな顔をする。  だが、さゆりは最後の疑問には反応せずに言葉を返す。 「事実だとしても。あれで周りがどう動くか想像できなかったの?」 「……………………すまん」  栄太がいたから周りは引いたのだ。  その壁が自らどこかへ行ってしまえば、野獣共の動きなど分かりきっていたことのはずだった。  さゆりに彼氏が出来てしまえば、今までのような四六時中一緒にいるような遊び方は出来なくなる。  それ自体に対する危惧はしっかり持っていたはずだった。  なにせ彼女は栄太の幼馴染であり、親友なのだ。  そしてそれだけですらない。  これは昔お互いで宣言したのだから、間違いはない。  自分の失言の重さを今更のように栄太は気づいたのだった。 「悪かったよ」 「しかも、それだけじゃありません」 「えっ?」 「栄太さっきからそればっかり」 「あ、いや、すまん。でも、他にもってなんだよ」  少し気落ちした栄太に対して、さゆりからの更なる追い討ちがあるようだった。 「栄太も告白されましたね? 今朝」  確信の一撃だった。 「っっっ!!?」 「はい、図星ー」 「ちゃんと断ったぞ!!」 「あぁ、うん。それも知ってる」 「な、なんでお前そこまで知ってるんだ!?」  狼狽のあまりになんでも口を滑らせてしまいそうになっている栄太が逆にさゆりに質問をする。  さゆりは事もなげにそれを答える。 「聞いたから」 「誰から!?」 「誰からでも一緒じゃない?」 「……それもそうか」  さゆりの返しに妙に納得してしまう栄太。  後ろめたいことをしたつもりはなかったが、気付かれてないと思っていただけにバレていたショックで思わず狼狽えてしまう。 「なんて言って断ったの?」 「知りたいのか?」 「まぁね」 「まぁ、別に隠すこともないか」  ぼりぼりと首筋を掻きながら栄太は今朝のことを思いだす。  そして口を開く前に一つだけ前置きをした。 「あー、先に言っとくけど、これから言うのは今朝のヤツに言ったんであって、お前に向けていうわけじゃないからな」 「分かってるって。それと女の子を"ヤツ"とか呼んじゃダメ」 「ん、あぁ、すまん」 「それじゃぁ、はい、どーぞ」  さゆりがテーブル越しに右手を栄太の方へと伸ばして言葉を待つ。  ご丁寧に頭は下を向いて栄太を見ないようにしており、そのポーズは今朝栄太が受けたものと全く同じだった。  さゆりなりに再現しているようだが、それはつまり一部始終知られていたという証左に違いなかった。  そのことに気付いた栄太はこめかみをひくつかさせながらも言い辛そうに口を開く。 「あ、あー……『悪ぃ、お前とは結婚できないから付き合えない』」  一瞬、びくっとさゆりの手が震える。  だが、反応したのは一瞬だけで、手を引き顔をあげたさゆりの顔には、明らかにバカにした顔が乗っていた。 「栄太はほんとバカだよねぇ」  口でも言っていた。 「……悪かったな」  バカにされたというのに栄太は怒るでもなく、軽く悪態をついてそっぽを向く。  話しがこれで終わりのはずがない。  なにか裏がありそうだった。 「それで? さっきの言葉に対してお前はなにが言いたいんだ?」 「聞いちゃう?」 「当たり前だろ? 続きがあるから言わせたんだろ?」 「まぁねぇ」  明らかになにか意図がある。  だが、さゆりはそこから続くはずの何かを言い渋っているようだった。 「言いにくいのか?」 「んー、我ながら馬鹿なこと言おうとしてるなって思って」 「……寄り道したりダベったりで大分時間かかってるから、あんまし時間ないぞ。日も、大分西日だな。帰るには大分涼しそうだしな」 「うん」  急に言葉少なげになったさゆりが俯いてカフェオレのストローを咥え、一気に残りを飲み干す。 「ぷあ」 「腹冷やすぞ」 「だいじょうぶ」 「飲み終わったなら行くか。帰りながらでもいいよな?」 「んー……、待って。ここでいい。丁度他のお客さんもいないし」  立ち上がろうとした栄太を片手で制して、さゆりがキョロキョロと左右を見る。  確かにオープンテラス内には他の客は無く、外を歩いてこちらに注目していそうな人影も見えなかった。  栄太は座り直してからさゆりを急かす。 「じゃぁ、早めに頼む。飲み終わってるのに居座ってたら悪いからな」 「他に客もいないのに誰に遠慮してるんだか……。まぁいいや。栄太。じゃぁ、覚悟はいい?」 「え、覚悟? お、おう。なんでもいいぞ」  突然覚悟を決めろなどと言われて栄太は焦ったが、続きを促したのは栄太自身だったので、ここで引いてはいられないと首を縦に振る。  それを見てさゆりは苦笑するかのように顔を歪ませてから、すぐ真顔になった。  真剣な表情で栄太に話しかける。 「栄太はさ…………」 「お、おう……」 「栄太は……」  お互い椅子に座ったまま、さゆりは両手を握って胸に押し当てるようにして、口を開く。  目はしっかりと栄太の方を見据えていた。 「…………私のこと、好き……?」 「っっっ!!」 「もちろん女の子としてだよ。付き合いたいと、思う……?」  先ほどまで余裕たっぷりに光っていた黒い瞳は、西日の反射を受けて不安げに淡く揺れていた。  それは間違えようもないほどにストレートな言葉。  余計な聞き違いなど許さないはっきりとした質問。 「え……、あ……」 「……そっか。即答できないんだね」 「い、いや、待て! 違う! そうじゃない!!」  全く予想できていなかった言葉に狼狽える栄太を見て、更に表情を悲しげなものに変えて俯いていくさゆり。  そんな彼女へと慌てて立ち上がって栄太は手を伸ばす。  だが、意味のある言葉を栄太が発する前にさゆりが言い募る。  顔は伏せたままだ。 「私ともやっぱり『結婚できないから付き合えない』?」 「んなわけあるか!! お前以外の誰と結婚するんだよ!? 俺の相手はお前しかいないんだ! 分かってるだろ!?」  よほど今までのどの会話よりも恥ずかしい台詞を栄太は臆面も無く叫んでいた。  それだというのに彼の顔に浮かんでいるのは、照れでも恥ずかしさでもなく、単純な焦り。  当たり前のことを否定されて驚いているかのような姿だった。  栄太のその言葉を聞いて、さゆりはゆっくりと顔を上げる。  その顔には先程にも増して小バカにしたような笑みが乗せられていた。 「ほんっと。栄太ってバカだよねぇ」  今度もはっきりと口にして栄太をバカにして見せる。  西日のせいか頬には大分朱が混じっていた。  対して、栄太は憮然としたまま言い返す。 「こんなこと言わせるお前が悪い」 「まぁ、私も大概バカか」  自嘲気味にさゆりが笑う。  栄太が考えていることなど分かっていたはずなのに、聞くのを我慢できなかったのだから。  だが、彼の間違いはきっちりと指摘してあげなければならない。  幼馴染として、親友として、その先の相手として。 「栄太の良く言えば真面目っていうか、悪く言えば杓子定規っていうか直線っていうか融通が利かない真四角すぎる性格、読み易いから、まぁ、私は嫌いじゃないんだけど」 「随分棘の方が多いな」 「自分が約束を守るなら相手も絶対に約束を守るはずだ、みたいな思い込み、そろそろ気を付けた方がいいよ? それも小さい頃のやつまで全部守ってるとかおかしいし」 「う……っ」  そう。  栄太がいっそ盲目的なまでに信じきっている、昔の約束。 『ずっと一緒にいようね。大きくなったら結婚しようね』  それは他愛もない小さな子供同士の約束。  大人になれば誰しもが遠い過去のものとして忘れてしまう小さなはずの出来事。  彼はそれを律儀に守り続けていた上に、実際将来はそうなるのだと確信しているかのような素振りでこれまでさゆりの傍にい続けた。  だからさゆりは分からなくなってしまった。  栄太が一緒にいてくれるのが、好意なのか、約束なのか。  聞かずにはいられなかったのだ、夫婦と揶揄されても笑っていた栄太が、付き合っているかと言われた時にむきになって否定したその真意が分からなくて。  いつまでたっても親友として扱われ、いつになったら彼女になれるのかと悩んでいた日々。  どう見てもそこら辺の自覚すら芽生えていなさそうだった栄太に合わせて能天気に振る舞って見せていた中学時代。  高校生になって少しは意識されるようになったのかと思ってアプローチを変えてみても思ったようにいかない。  その上で、ド正面からの付き合ってない宣言。  正直さゆりはあの晩結構派手に泣いた。  こんなタチの悪い片思いは無いと、泣き散らした。  翌日から色んな連中が告白してきたのは、ただただ面倒くさかったが、栄太が気にしてくれるならと少し期待もしたりした。  なのに栄太は告白されていたことにすら気づかなかった。  気恥ずかしかったので人目につかないようにしたのがいけなかったようだった。  これだけ訳が分からなくなってる所で、更に追い打ちをかけるように今度は栄太まで告白をされてしまった。  下駄箱から靴を取ってきたら明らかに不自然な様子でトイレに行くとか言い出したのだから、分からないわけがなかった。  つけてみれば案の定、別クラスの大人し目で結構可愛い感じの子から告白されていた。  女の子の勇気にはむしろ敬服しそうな気持ちで告白の現場を見つめ、自分が栄太の成長の遅さを理由にあぐらをかいていたことにも気づいた。  そして栄太の断り文句の中身にもある種の期待を抱いて。  今もさゆりが落ち込んだような表情を見せる中、必死に言い訳めいた言葉を重ねる栄太を見て、栄太が自分をどう思っているのかはよく分かった。  それが間違いのなさそうなことなのだと分かれば、心の中の妙な焦りもスッと消えていくのが分かる。  今日一日は割とイライラしていて、普段よりはきつめに栄太で遊んでしまった。  それももう不要だと確信できる。  とはいえ、今度は逆に怒りが湧いてくる。  どうしてこんな常識外れの振り回され方で落ち込まなければならなかったのかと。  その怒りに素直に従うことをさゆりは心の中ではっきりと決めて、栄太を引き続きいじめることを決意する。  自然と顔に攻撃的な笑みが浮かんでいく。  つまらない言い訳をまくしたてていた栄太の口がひきつるようにして動きを止める。  彼とて長い付き合いなので多少は分かっている。  さゆりがはっきりと怒ってしまっているということが。 「いいですか栄太さん」 「はひっ」 「物事には順序があるんです。結婚を見据えていること自体は別にいいですけど、その前に踏んでおくべき手順というものがありますよね? ま・さ・か、恋人すら飛ばして成人と同時にいきなりプロポーズするつもりだったなんて、そんなバカみたいなこと、栄太さんは言わないですよね?」 「えっ」 「はぁ!?」 「あ、ああ、あぁ、も、もちろんそんなことないって。た、確かに手順大事だよな。分かる分かる」  カクカクと脅されているかのように手をパタパタと振って慌てる栄太。  座りながら見上げるさゆりに対して、立ち上がったままの栄太は、まるで立たされているかのようであった。  それは本人たちの意識の中でも限りなく正しい認識だった。  いずれにしても頷いてみせた栄太を見て、さゆりはにっこりと、今度はそれまでよりは優しげな笑顔で栄太に笑いかける。 「そう。じゃぁ、栄太はこれから何をしなきゃいけないのか分かるよね?」 「うっ」 「まーさーかー。ここまで私に言わせておいて、自分はなーんにも言わないなんて、そんなこと、しないよね?」 「そ、そうだな、もちろんだな! それはいえてる!」 「じゃぁ、言って」 「えっ」  早く早くとせがむさゆりに対して、栄太は戸惑った様子を見せる。 「なに。やっぱり言えないの?」 「い、いやそうじゃない! 言う! 必ず言う! 約束する!」  これを言わせてしまえば間違いない。  栄太が約束したことを守らなかったことは、ちょっと引くぐらい一度もないのだから。  だが、すぐに言いだしそうな雰囲気もなぜか無い。  さゆりはそれを聞いてみた。 「今は言えないの?」 「あ、あぁ、ちょ、ちょっと待ってくれ。気持ちの整理っていうか、心の準備が……」  うろたえながら言いよどむ栄太。 「乙女か!?」  思わずさゆりは叫んでしまっていた。 「あんたはもー、でかい図体して、ぶっきらぼうな口調に、割と鋭い目つきしてるくせに、乙女か!! 恋に初めて気づいた少女か!? あーもー! こいつは! こいつはー!!」  勢いのままに立ち上がると、テーブルを回って栄太の正面に立ち、手を伸ばして栄太の頭を掴むと、その髪の毛を盛大にわしゃわしゃとかきまぜた。 「ちょっ、こら! やめろ!!」 「うっさい! 乙女め!! 今の流れならちゃんと告白くらいしてみせろ!! このっ、このっ!」 「分かった! 待て! 待てって! やめろって!」  しばらく思うままにかき混ぜていたが、栄太に両手を取られてしまった為中断を余儀なくされた。  今さゆりは両手を吊りあげられているような状態だ。  それでも心意的優位性からさゆりの方が立場は上だった。 「で、いつ言うの? いつまで待てばいいの?」 「う……。分かった。じゃぁ、こうしよう」 「ん?」  栄太はそう言うと、片手をさゆりから離してテーブルの上に置いてあった40センチ定規を手に取った。 「15センチを見つけられたら言ってやる!!」 「栄太のバカぁーっ!!!」 「ぶああぁっ!!?」  パーンッと派手な音が栄太の頬から鳴った。  当然の結末だった。 「確かに私はこれ見つけるの楽しくやってるけど、い、いい、今の流れと、たかだか物理の課題と一緒にされたらさすがの私も結構怒るよ!?」  もう大分怒っていたが、火に油を注いだのは間違いないようだった。  しかし、杓子定規男は怯まない。 「いや、決めた! 15センチを見つけたらお前に告白する! 俺は決めたぞ! 必ずそうする!」 「あぁぁ、このバカほんとに。決め事にしちゃうし。バカ栄太!」  こうなったらテコでも動かないのを、さゆりはよく、本当によく知っていた。  知っていたくなかったぐらいに分かっていた。  なので、念の為確認を取る。 「ほんとに、15センチ見つけるまで私に告白しないの?」 「あぁ、しない!」 「見つけたらすぐに言う?」 「言う! 絶対に言ってやる!」 「念のため聞くけどなんて言うつもりなの?」 「好きだ! 付き合ってほしい!! に決まってるだろ!」 「………………そこまでハッキリ言ってたらもうなにも変わらないんだけど、栄太の中では別なんだよね?」 「当然だな」  なにやらブリキのロボットでも相手をしているような気分になってきたが、さゆりは眉間に手の甲を当てて少し気持ちを整理してから溜息を吐いた。  それでも赤くなった顔までは戻せない。 「はぁ。じゃぁ、約束だからね」 「あぁ。いいぜ」  その言葉をしっかりと聞いてから、さゆりは気を取り直して再び攻撃的な笑みをその顔に浮かべた。 「そう? 栄太が約束してくれるなら間違いないから安心だね」 「ん?」 「だって、今すぐ、言って、くれるん、だもんねぇ?」 「え、なんでだ。15センチを見つけてからだぞ! それまでは言わないからな!?」  さゆりの言葉が理解出来ないとばかりに言う栄太の前で、さゆりは飲み干したカフェオレからストローを引き抜いた。 「あ」  栄太は気づいたらしい。  そして、さゆりは自分の鞄に手を突っ込むと、その中からハサミを取り出す。 「おま」  杓子定規男から定規を奪い取ると、きっちりと長さを合わせて。  チョンッ  15センチに合わせた。 「はい、栄太。15センチだよ。確認して?」  それはいっそ天使の如き慈愛に満ちた微笑みだった。  天使の審判で地獄に叩き落とすという意味がこもっていたが。 「え、いや、その、あの」 「15センチ。見つけるまでに心の準備、済んだんだよね? 見つかったんだから、言えるよね?」 「うっ、なっ、ちょっ」 「言って」 「はい…………」  逃げ道を全て潰され、栄太は降参したとばかりに手の中に渡された15センチのストローを強く握ったのだった。 (おしまい)
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