1.どんなに眠れなくても

6/9
前へ
/586ページ
次へ
 彼を探すと、運転席を降りた外で煙草を吸っていた。小振りの雨の中、それでも子供達のために外で、だった。  琴子もそっと後部座席のドアを開け、外に出る。 「英児さん」 「おう。目覚めたか。ちょっとは眠れたか」  出会った頃から変わらない、目尻が優しく緩む笑顔。 「うん。眠らせてくれてありがとう。まさかもう朝になっているなんて……」 「俺も、うっかり寝込んじゃったんだよ。わりい。夜が明ける前に家に帰ろうと思っていたのに」  ほんとに? うっかり寝ちゃったの? それとも私が目覚めるまでそっとしておいてくれたんじゃないの?  琴子はそう思った。でも……黙っておく。どちらにせよ、問いただしたところで、英児は『だから俺も眠っていたんだ』と言い張るに決まっている。  そんな彼を、煙草を吸っている彼を琴子は見上げる。やっぱり目元が疲れているような……。 「英児さん。車屋の社長であることも忘れないで。お願い」  ちゃんと眠って。お客様の車に不備など出さないで。車屋こそ、貴方の生き甲斐。家族も大事。でも家族が出来る前に、貴方がここまでやってきたのは『車』でしょ。そう言いたい。  だけど案ずる琴子を見下ろした英児が、煙草を口の端にくわえたまま、腕を伸ばして琴子を抱き寄せてくる。  霧雨の中、彼が胸に強く抱きながら、やっぱり微笑んでくれている。 「あったりまえだろ。車屋でお前ら守っていくんだから」 「お願い。貴方もちゃんと眠って」  今度は琴子から抱きしめる。  雨雲が覆う海辺は、朝でも薄暗い。波の音もいつもより激しくて、不安をかき立てるような音に聞こえてくる。
/586ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2374人が本棚に入れています
本棚に追加