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区役所の文化財課で、茜は気の抜けた顔をした。もう秀一との休日は、滅多に得られないと覚悟を決めていたのだ。
「もちろん出られます……あ、シフトなんですか……」
区の募集要項には週休二日としか書いていなかったから、決まった曜日が休みになるものだと思っていた。応募者の人数が多かったからか面接は簡単なものだったし、集団で聞いた説明は仕事の内容に終始していた。案ずるより産んでしまったほうが早いのである。勤務先にも拠るのだろうが、区立の資料館は月一度程度の日曜出勤だそうだ。勝手に思い込んで、秀一に叱られた分損したような気分だ。詰めが甘いというか研究不足というか、とりあえず茜は自分で考えているより幼かったらしい。
みんな、そんなことを考えて確認しながら就職するのかなあ。そんな風に考えながら、自転車を漕いでアルバイト先に向かった。店長には、先に話は通してある。翌月のシフト表はまだ出来上がっていないから、簡単な手続きとスケジュールの確認の為に呼ばれただけだ。
「平野さん、辞めちゃうんだって?」
もう話を聞きつけた同僚が、話しかける。
「ん、今月いっぱい」
就職が決まらないからとアルバイトを掛け持ちしながら生活している男が、これ見よがしに溜息を吐いてみせた。
「いいな、主婦は気楽に辞められて。自分の遊ぶ分だけ稼げれば、後は旦那さんが食わせてくれるんだろ。平野さんなんて年離れてるし子供いないし、働く必要ないじゃん」
「えっと、就職が決まったの。契約職員だけど」
求職中の人間には、ひどく言い難い言葉だ。
「なんで? この就職難の時代に、なんで働く必要のない主婦なんか採用するんだよ。職に困ってる人に譲れよ」
そんなことを茜に言われても、困る。
「どこでどうやって採用されたの? ハローワーク?」
「区の資料館だよ。いっぱい志望者がいたから、多分筆記が良かったんだと思う」
「でも、高卒でしょ? 区の採用って、そんなにレベル低いんだ?」
失礼な奴がいたものだ。
茜は近隣では比較的ハイクラスの進学校で、トップレベルの成績を維持して卒業している。忘れかけていたプライドが、むっくりと起き上がるのが自覚できた。
「悔しければ、あなたも受ければ良かったじゃない。私は実力で就職先見つけたんだよ」
聞きようによっては高慢この上ないせりふだ。
「ただの主婦が、偉そうに。ロリコンの旦那に可愛がられて贅沢してんだろ?」
ただの主婦なんて、どこにもいない。専業主婦には専業主婦のプライドがあるし、兼業の主婦であれば家族とすりあわせをしながら生活しているのである。まして自分の大事な家族が仕事で得た報酬を、無為に贅沢に使える主婦がいれば、出て来い。茜の顔色が変わったのを見て、慌てたのは周りのほうだ。
「ねえ、自分の就職先が見つからないからって、言い過ぎ。丸山さんも求人探してるんでしょ?」
「面接受けてるんなら、いつか受かるって。決まったら辞めるつもりなんでしょ?」
口々に宥める声が上がる。
「このご時世で求人があるのなんて、舗装工事とか電工とか、碌なもんじゃない。面接なんて行きたい会社がないんだよ。それなのに、たまたまラッキーな就職できる奴が……」
丸山が言いかけた時、茜の中で切れたものがある。茜がかつて働き、秀一が在籍している会社は、まさに舗装工事を請け負っている建設会社だ。
「舗装工事のどこが悪いってのよ」
怒った分だけ、声が低くなる。
「一年中外で、身体使って稼ぐようなレベルの低い仕事じゃないか。俺は大学出てんだぜ」
茜の顔色に怯んだことを隠すように、丸山は胸を張る。茜の少々頼りなげな外見や、自分より年下なことを侮っていたことが、丸わかりだ。
「ふざけたこと言わないでよ。バカが図面読めるとでも思ってるの? 仕事したーいなんて言いながらアクション起こさない奴が、実際に働いてる人間になんて追いつくわけないじゃないの」
逆上するよりも、怒りで頭がクリアになる性質である。根底には秀一の仕事をバカにされたという事実がある。
「あんたみたいに世間舐めてる奴なんか、一生そうやって負け惜しみ言ってればいいわ。帰る」
くるりと踵を返した後、思い直してスタッフルームに一度向き直った。
「今月いっぱいは、まだ来まーす。明日もシフト入ってるから、よろしくー」
精一杯の笑顔を作ってから、出口のドアノブに手をかける。まだ言い返す気満々の丸山と、ハラハラしている周囲の顔が見えた。
腹立ちまぎれに力一杯自転車のペダルを漕いでいると、止めちまえと言った秀一の顔が浮かび、ちょっと怒りが折れた。
うん。わかったよ、秀さん。自分好みの条件、しかも勝手なイメージだけで持てるほど、職業って甘くないね。応援してくれるって言った秀さんもお母さんも、ないがしろにするとこだった。ごめんなさい。
スーパーマーケットの自転車置き場に乗り入れ、ポストマンバッグを袈裟懸けにする。レンコンが安い筈だからキンピラにでもしようかな、なんて考える時はもう、主婦の顔だ。
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