最後の女

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 茜がスマートフォンを弄っていることが増えたと、秀一も気がついてはいた。けれど会社にいる若いヤツらも休憩時間にはスマートフォンを弄っているし、自分にとっては連絡用でしかないそのツールを、下の世代たちが遊びに置き換えていることは、知っている。家の中は別に何も変わりないし、茜は相変わらず無邪気にアルバイトに行き、テレビのチャンネル権の主張をする。引っかかることがあるとすれば、やりとりが深夜にも及ぶということ。茜が結婚していると知っている人間ならば、隣に人が眠っているかも知れない時間帯に、遠慮なく連絡してきたりしない。少なくとも、二週間前まではなかった。  何かおかしい、とは秀一も思うわけである。何がおかしいのかわからないので、うすぼんやりとそう思うのみだ。  高遠はマメに連絡を寄越すタイプの人間だったらしい。二週間のうち、もう一度お茶を飲みに出かけた。茜が面白かったと言った映画を観てきたと、アルバイト先に顔を出した。 「平野さん、あの人と知り合い?」  イケメンだと騒いでいた大学生アルバイトに質問され、ちょっと得意になった。 「最近、友達になったの。面白い人だよ」  面白い人かどうか、本当のところは知らない。小一時間喋ったことがある程度で、相手の考えなんて知らないのだ。喩えていえば、学校の同級生が芸能人になった時、大して記憶にない相手のことを「いつか有名になるオーラがあった」なんて言うくらいの知り合いでしかない。他の人が羨望の目が、嬉しいだけだ。 「いいな、合コンかなんかセッティングしてよ」 「興味がありそうなら、ね」 「あ、もったいぶってぇ。結婚してるんだから、他の人に協力しなさいよぉ」  新しい知り合いと合コンをセッティングすることが何故、他の人への協力なるのかよくわからなくて、茜は曖昧な顔で頷く。そしてその日も、当たり障りのない話でお茶を飲んだだけで、合コンの話なんて出さなかった。  高遠は喋り上手で、女の子の話題をよく知っている。そして実に口軽く、褒め言葉が出るのだ。その色の服が似合うね、アルバイト中のアップにした髪よりおろしているほうが可愛いね。そんな風に言われて、悪い気はしない。  三度目にお茶を飲んだとき、高遠は茜を散々笑わせたあと、飲みに行こうと誘った。 「今日?」 「あれ、何か予定ある?」  予定といえば、秀一の夕食を用意することくらいだ。別に買い置きもないし、たまには持ち帰り弁当にしてもらおう。普段ちゃんと夕食を用意しているのだし、先に連絡すれば友達と会うことは構わないと、秀一も言っているのだ。妊娠でもしたらきっと、今まで以上に同年代の、ましてや男の子となんか話す機会はなくなるに違いない。今のうち、だけ。 「電話して、訊いてみる。ちょっと待ってね」  そう告げて席を外し、秀一の許可を取って戻った。 「いいってー。未成年のくせにって言われちゃったけど」 「おうちの人に、ちゃんと帰り時間なんて報告するんだ。真面目なんだね」  言っておかないと秀一が夕食に困るからなのだが、高遠は違うように受け止めた。 「茜ちゃん、やっぱりいいなあ。声かけて、良かった」  平野さんでなくて茜ちゃんになったことに違和感は感じたが、別に苦情を申し立てることでもないので、何も言わなかった。 「居酒屋でも、ソフトドリンク頼めば問題ないでしょ? じゃ、行こうか」  そのとき感じた微妙な後ろめたさを誤魔化すために、茜は元気良く返事した。嘘は、吐いてない。けれどもしかしたら、必要なことを言っていないかも知れない。秀一にも、高遠にも。
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