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梅薫る、葛森神社1-4
先ほど受験の時よりは意識的に広い境内をくまなく見て回ったが、ふわりの先祖の尻尾を祀っているかもしれぬ兎の塚らしきものは見つからなかった。だからもし、そんなものがあるとしたら普段は公開されていない場所にあるに違いない。
ふわりは先程まで狐たちに寄ってたかって誑かされて心がみだれたまま、夕暮れが迫る頃帰りを急ぐ人々に流れに逆らうようにして、滑り込むように梅園の中に入ることが出来た。
それにしても、先ほどは度重なる狐の叔父甥の猛攻に頭がいっぱいいっぱいになってしまって、なすすべもなく、連絡先ゲットという大きなチャンスを逃してしまったことは返す返すも残念だった。色々お膳立てしてくれたてぃあらに顔向けできない。
(はあーあ。せっかく向こうは乗る気だったのに、なんだかんだで連絡先交換できなかったし、狐のオジサンにはしつこくされるし、葛森先輩いい人かと思ったのになんかちょっと意地悪でチャラい感じ出てたし……。やっぱ顔だけはいいけど。でも結局僕の思い切りが足りなかったんだよな。反省……。てぃあらちゃんと違って僕って本当に押しと勝負運弱い……)
赤や白の梅がぽんぽんっと枝に咲き誇る満開の庭を歩いているのに、気持ちはどこかそぞろだ。
「あ!!! 写真!!!」
そういえばさっき晃良に馴れ馴れしく肩に腕を回された時、スマホの画面を向けられて拒否する間もなく素早く写真を撮られた。画面いっぱいに驚く自分とキメ顔の晃良が映ったから間違いない。
「やばい!! やばすぎる。あの距離、流石に顔がばっちりうつってるよな?? まずい、まずすぎる!!!!」
思い出したら急にさあっと顔から血の気が引いて、未だ冷たい如月の空気に興奮して吐いた荒い息がほわほわと白く立ち上る。
(写真撮られたの、もしかしたら大失敗?? 僕ら姉弟、自分じゃあまり似てないと思ったけど、人から見たら似ているのかな?? ううっ……。入学してから写真拡散されて僕だってバレたら自前うさ耳女装好きDKって入学早々変な属性ついちゃうよ。女装、別に趣味じゃないのに! しかも同じ学校の女子の制服とか……。恥ずか死ぬ)
蒼くなったり赤くなったりと百面相しながら考え事を繰り返し、咲き誇る梅の花に目もくれずにとぼとぼとやや肩を落として歩いているうちに、すっかり見学コースの矢印からは外れてしまったようだ。塀の向こうはまた森が広がっているようでこちら側に鬱蒼とした影を落としている。
ざわざわっと鎮守の森に風が渡り、梅の香りなのか冷たい風の中に甘い空気が漂ってくる。ほっそりと昨夜よりは華奢な梅の枝がたわむように揺れ、目にゴミが入りそうになって、ふわりは制服の一瞬袖口で目を覆う。
ざああああっ。
風がまた大きく吹き、周りに人けもないためややまくれ上がったスカートをふわりはうっとおし気にばさっと手で払って下ろした。
そして再び前を向いた時、小道の先にぼうっとほの白い光を放つような存在が弧を描いて目に飛び込んできた。
(白兎??)
目を擦って凝視するが、間違いなく白い兎だ。それがぴょんっと、どこかから跳んで現れたのだ。
こんなところで兎が放し飼いになっていることなんてあるのだろうか。祖父母が若い頃、近所の神社の境内に鶏を神の使いとして放し飼いにしていて、お参りのたびに追いかけられて往生したといっていた。それであったら狐でも放っていそうなものだが?
(えええ??? この寒空にまさか兎が放し飼いになってるなんてある?? 野良兎???)
周りの人の反応を確認したくとも暮れてきた神社の梅園はふわりの他に人もなく、兎を目にしてるものがいないため確認のしようがない。こんな街中の神社に兎が迷い込むこともないだろうが、兎がこんな寒空に彷徨いながら弱って行って、野良猫にでも取られたら大変だ。
「うさぎちゃん!」
思わずふわりが呼びかけると、ウサギは一瞬ふわりを振り返ってみた。兎はすくっと前足を立てた姿勢になって、つぶらな黒曜石のように艶々した瞳を向けひくひくと鼻先を動かす。なんだか人なれしている雰囲気に、ふわりはこれならいけるとそうっとにじり寄っていった。
(この子なら、僕でも掴まえられるかも!)
「うさぎちゃん、待ってろ!」
しかし兎はふわりが自分の方に来ていると確認したのち、ついてきてと言わんばかりにぴょんぴょんすごい勢いで跳ね始めた。
「うさぎちゃん! ご先祖様~ ちょっと待って!」
ここはひとつ保護してさっきの会場かそれともなくば社務所まで連れていってみようと、ふわりもウサギとお揃いの長い耳をひょこひょこと揺らしながらスカートを揺らして駆けだした。
兎は思いのほかすばしっこく、どんどんと先に庭のより奥に進んでいってしまう。昼間にだけ開園することを想定されて作られている庭園なので、街灯もぽつりぽつりとしかなく、日暮れで烏が啼きながら飛び違う血のように赤く染まった空に心細さすら募っていく。
制服は姉の借りものだが、靴だけは新学期から使えるようにとふわり自身のサイズの革靴だったが、足に慣れずに時折ぱかぱかしてすでに踵がかなり痛めつけられて顔を顰めた。それでなくとも今どきあまりない土がむき出しの地面のはふわりにとっては走りづらいのに、兎は嬉しそうに右に左にといった感じに嬉し気に飛び跳ね走っていく。
兎はそのまま道を右に折れ、生垣と竹垣の間のとても細い路地に入っていった。先はもう行き止まりの生垣と兎はあけられない木戸だから、兎を捕まえられるのはたやすいだろう。
兎が走っていく先に真っ白で殊更枝ぶりが立派な枝垂れ梅が見えてきた。ふわりがはをのみ、思わず兎から目をそらしてその木を見上げてしまう。
「うわあ。綺麗だ」
白い花は真ん中に金糸のような雌蕊が広がって、その木の下まで走り寄ると、ふわりの腰元までゆったりと迸る滝の水のように降り注いで風にゆらりゆらりと揺れている。胸が詰まるほど美しく、どこか悲し気な、夕暮れ時の幽玄の景色だ。
「誰かいる?」
暫しうっとりと眺めていたら、青々とした垣根の向こうからふいに若い張りのある男性の声がした。人がいる気配に全く気が付かなかったふわりが仰天して思わず声のした方を警戒しながら凝視する。みっしりと大きな生垣の間、立派な庭木戸の上方の格子戸になった部分は向こう側が見えるので、じきにその人物が姿を現した
背の高いその人は夕暗がりのなか、白い雪のように仄かに発光する頭髪を持つふわりの姿を見つけると僅かに切れ長の大きな双眸を瞠目した。こちらも驚いた顔のままふわりは彼に見据えられて身動きがとれず、まるで野生で狐と兎が出くわした時のようだ。しかし歴史や和の文化に興味があるふわりは彼の装束をよく見ようと大きな瞳を見張ってじっと観察していた。
(神主さんが来てるような白衣姿だ)
いわゆる平安時代のお殿様が来ているような礼装では無い。神社で普段働いている人が来ているような清潔感溢れる白衣に下は深い松葉色の袴。その上から先程の会場で雪香の従業員が皆羽織っていた藍染の粋な法被を羽織っている。和装に慣れているのか立ち姿は堂々たるもので、まだ年若いであろうに居合の達人ですと言われても通じるいうな隙のない雰囲気だ。
そんな彼が木戸の向こうから草履をするようにしてこちら側に歩を進めてくる。
(もしかしてここってはいっちゃいけないところだった?)
彼が睥睨するような目つきかとふわりは思ったがひたすらに静かな眼差しで少しだけほっとする。引き締まった逞しい身体つきが立ち姿の胸の張り具合でよくわかる。ふわりよりずっと大人っぽく見えるがしかし顔の輪郭など骨格がまだ成人男性というにはまだ滑らかな部分を残しているように思う。
背筋がすっと伸びた所作が美しい凛とした佇まいと、きりっとした形良い眉。怜悧で整った目鼻立ちが、どこか若武者のような雰囲気を漂わせていた。
(大きな耳。狐? さっきの人たちと色が違う。銀ぎつね?? でもきっと狐なら、この人もきっと葛森神社の関係者に間違いない)
互いに何も言わずにまじまじと見つめあったが、やはり相手の結んだ口元に笑みは浮かんではいないところを見ると、もう閉園時刻をとっくに超えてしまっていたのかもしれない。無作法ものと思われたくなく、ふわりは咄嗟に頭を下げた。
「すみません、ボ、……私、迷子のうさぎちゃんを追いかけてきてここに来てしまって」
青年から自然と笑みの漏れ聞こえる吐息がして、空気が少しだけ緩んだ気がした。
「迷子のうさぎ? それって君のこと?」
微笑みを浮かべたら、彼の狐らしい少し吊った眦が人懐っこく柔らかくなった。
(笑ったら可愛い顔になる。もしかしてそんなに年上じゃないのかも。あ!でも、うさぎちゃん逃げちゃう!)
ふわりはまたまた慌てふためいて、真面目そうな青年にまで揶揄われていると思わず、真剣な表情で小道の終わり、生垣の前辺りの行き止まりを指差した。
「そこにいるでしょう?! 白いうさぎちゃん!」
「ここには兎なんていない」
「そんなはずありません! そのへんに……」
ふわりは青年から目をそらすと、キョロキョロと周りを見渡す。
兎は確かにこの木戸を超えなければみっしりとした、青い生垣に隙間はなく梅の木が植わっている方にいるはずなのだ。梅の木の向こうは木の塀が長く続いているので逃げ場はない。
(うさぎちゃん? どうして? さっきまでここにいたはずなのに)
ふわりは木の根元を探すがそこに兎の姿どこにもなく、代わりに梅ノ木の隣に白っぽい丸い石で作られた小ぶりな石碑のようなものを見つけた。
暗がりで読みとりにくいが、古ぼけた表面に一瞬目を走らせていたら、青年が再び声をかけてきた。
「その制服……、雪香のイベントの方の帰りにこっちに寄った? 梅園の中『この先私有地にてに立ち入り禁止』の看板があったはずなんだけれど、気が付かなかった?」
「看板?」
看板があったのかとふわりはまたばくばくと心臓をならして後ろを振り返ったり頸を傾げたりと一人で大騒ぎをしている。
その姿を見て青年はきっとわざとでなく道に迷ったウサギの少女なのだろうと納得した。
「もう閉園時刻を過ぎているし、中はとても暗いから出口まで俺が送っていくよ」
大分ぼんやりとして歩いていた自覚があったので、看板も知らずにすり抜けて歩いてきてしまったのだろうか。あるいは兎のことばかり気にしていて、目に入らなかったのか。兎のことといい、白昼夢にでもあってしまったか、はたまた頭が狐に化かされたままなのか、今日のふわりはあまりにもぼんやりとし過ぎた。
「それは失礼しました! 知らずにここまで入り込んでしまって。本当にすみません。出口まで自分で戻れます! 本当に、ごめんなさい」
これ以上失敗を重ねまいと、深々と首を垂れて許しを請うと、恥ずかしさでいっぱいになったふわりは、耳を上へ下へと千切れんばかりに揺らしながら頭をぺこぺこと下げ、くるりと踵を返した。
しかし数歩かけたところで革靴の滑りやすい靴底が地面から露出した石に引っかかり、ふわりはかなり派手にまるで下手くそな水泳の飛び込みよろしく、派手に前から吹き飛ぶようにすっ転んでしまった。
顔は何とか庇えたが、その拍子に両膝を強かに打ち付けつけ目から火花が出そうだった。びりりっと痺れるような痛みが多分出血しているだろうなと思うほど痛い。その上、ただでさえ短いスカートが派手にめくれ上がって、多分尻まで見えていると短くか弱い尻尾に風に当たる感覚が教えてくれる。
(うああああ!!!! 恥ずかしい! 恥ずかしすぎる!!!)
掌で咄嗟に下着を隠すが、多分絶対に丸見えになっている。愛用のトランクスでなく、母の店の撮影に使った特製のちょっと可愛いひらひら下着を身に着けているので一見尻だけでは男子だとはわからないだろうが、それとこのみっともない姿を間近で見られたこととはまた別物だ。
青年の方も目の前で女生徒が派手に摺っ転がってその上、下着まで丸見えの状態に流石に慌てたのだろう。恥をかかせない様にと思ったのか素早い動作で自分が羽織っていた藍染を法被をひらりと脱ぎ両手で持つと、鮮やかな手つきでふわりの下半身の上にかけてくれた。
ふわりは泣きたい気持ちを押し殺しながら緩々と身体を起こして血のにじむ掌の泥を叩いたが痛くてまた顔を顰めた。
膝の上に法被を載せたまま恐る恐る両膝を見ると、真っ白な脚が土に汚れ、ハイソックスの真上、両膝共に夥しく出血していて一瞬頭がくらっとしてしまう。
脳貧血を起こしたと思ったのか、青年は惜しげもなく美しい尻尾と袴の膝を地面につくと、ふわりの身体を自分の足に凭れかけさせてそっと足に触れぬように膝を怪我を確認した。
「ひどい怪我だ」
「汚れちゃうから、これ……」
血を見るとくらくらしてしまうのは昔からの癖で、ふわりは息も絶え絶えになんとかそう呟いて法被をぎゅっと掴んで返そうとした。
「そんなこと気にしなくていい。俺が驚かせたのが悪かった。手当てをしないといけない。明るいところで患部を見せてほしい」
「そんな、勝手に転んで、迷惑かけられない、です……」
しかしふわりはそのまま実際に貧血を起こしてしまって、苦し気にはあっとあえかな息をつく。
儚げな真っ白い兎の少女を日暮れの迫る場所に置き去りにすることなど考えられないわけで、青年は法被でふわりの短いスカートから伸びたほっそり白い脚を全て包むようにすると、素肌に触らぬように注意しながらひょいっと軽々横抱きにして立ちあがった。
精悍な顔立ちの青年はもう、真っすぐに前を見据えていた。まだ身体に力が入らず、仕方なく彼の胸に顔をもたれ身を任せると、彼の心音が僅かに跳ねたように聞こえた。
「俺はこの神社の息子で、葛森流泉。手当てできるところに連れて行く。大人しくしておいで?」
(この人が、葛森流泉だったんだ)
もう一人の葛森の息子と思いがけぬ形で出会うことになった。
声は穏やかだが有無を言わせぬ強引さもあり、ふわりはまだ青ざめた顔のままこっくりと頷くことしかできなかった。
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