梅薫る、葛森神社1-5

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梅薫る、葛森神社1-5

☆流泉🦊目線です。  流泉は自室に怪我をしてぐったりとした白兎の少女を運び入れてから、自分がとんでもなく大胆なことをしでかしてしまったのではないかと考えた。  木戸をくぐってすぐにある一軒家。先ほどまで自分がいた場所に戻ってきた流泉は、腕の中に抱えた少女がふるふると震えているのは、きっと自分を怖がっているせいなのではないかと申し訳なく思ったのだ。  流泉から見たら彼女は同じ高校の女生徒だが、彼女から見たら神社の息子が急に自分を抱え上げて有無を言わさず家に連れ込んでいるのだ。 (テーピングの入った救急箱があって一番近いからと安易に考えたが、いくら何でも……。初対面の男の部屋に連れてくるのは早まったか)  中学生時代はサッカー部主将と生徒会役員を兼任し、有言実行、即断即決の男と周りから称され頼りにされてきた。頭で考えるよりも先に身体が動くというよりは決断しながらも常に思考を止めないタイプの人間だ。 挽回したくてどう言葉に尽くそうかと色々考えて、しかし結局真っ正直な性格の流泉はそのままの想いを口にしたのだ。 「すまない、すぐに手当てをした方がいいと思って……。多少強引に連れてきてしまったと反省はしている。だが、君と俺は同じ高校に通っているみたいだし、俺の素性は君に知れている。今、発情期の前後に入っていない。もちろん日頃から近い時期はしっかり抑制剤も服用している。安心してほしい」  発情期というのは獣人の若者に訪れる動物のそれに似た性欲が非常に高まる時期のことだ。婚姻している男女ならば子作りの時期と定められるが、相手のいない若者が社会生活を無事に営む上で注意が必要な時期といえる。大体四半期に一度ほど訪れ、10代後半にはほとんどのものが経験するのだが、微熱が続く等兆候が表れた場合は抑制剤を服用するか自宅で休む公休が与えられるのだ。  大真面目にそんな風に応えたら、白兎の少女は思わず目が離せなるほど愛らしく少し儚げなふんわりとした笑顔を見せた。 「うーうん。あんなところで急に転んだりしたから、迷惑をかけてごめんなさい。……ボク、血がどうしてもだめで……。情けなくて恥ずかしい」  こんな間近で柔らかな兎のふわふわとした耳や撫ぜたくなる綿雪のような髪を見たのは初めてで、不謹慎にもとくんっと胸が高鳴ってしまう。  流泉は中学時代はサッカーとその頃体調が優れぬ時期が多かった母に代わって弟妹の育児に追われ、高校に入ってからは世話から解放され思い切りサッカーと勉学に打ち込めるようになると、またもやサッカー一筋、ストイックに生きてきた。つまりこうした女性との触れ合いに耐性がないため致し方ないだろう。 「気に病む必要はない。ただ……。脚に痕でも残ったら大変だから。あとできちんと病院に行って診てもらったほうがいいかもしれない」 「わかりました」 (白うさぎ……。睫毛まで真っ白だ。こんなに雪みたいに真っ白でふわふわな子は、あの子以来だな)  幼い頃の記憶の端にある、桜吹雪と揺れる白い耳の記憶が脳裏に浮かんだが、彼女が痛そうに身をよじったので手当てを急ぐことにした。  流泉の住まう部屋は梅園側からも入ることができるが、大通り沿いから一歩入った路地の奧の階段の上にある。ちょっと行けばもう駅も近い立地なのに少しだけ高台にあるので隠れ家的な風情のある一軒家だ。流泉は日頃ここに一人で暮らしている。  流泉の家はちょっと特殊な環境にあるといえた。  葛森神社と和菓子屋『雪香』を運営する葛森の狐一族。流泉は父親が神社の宮司をしていて、その実の妹である従兄弟の晃良の母親は雪香の経営者であった実の叔母夫婦の養子となって跡を継いでいる。  流泉の家族を含めた一族の大体の人間が一年前に神社に隣接してたったマンションの方に引っ越しをしていったのだが、雪香の先代社長である大叔父夫婦は、それを機に今は経営も叔母の梅乃に任せ、長年夢に見て居た海の臨める古都に移り住んでいった。  家は人が住まなくなるとたちどころに傷んでしまう。そのため流泉は大叔父夫婦の思い出深いこの家にアルバイトを兼ね手入れをする役目を帯び、流泉が寝泊まりしている。食事まではマンションで家族ととることも多いが、弟妹がまだ小さい流泉の家は日々騒がしく、受験の際にこちらの家に部屋を作ってもらったためにそのまま使っているのだ。  徒歩5分も足らずとはいえ他の家族と離れた生活。同い年の従兄弟である晃良も羨ましがって転がり込んできそうになったが、流泉と晃良とでは梅乃からの信頼の度合いが違うため、女の子を連れ込んでしまうだろうと却下されていた。 (それをまさか不可抗力とはいえ、俺が女の子を連れ帰ってきてしまうとは)  色白の顔から血の気が失せたままの彼女をそっと壊れ物のように椅子の上に座らせる。 「少し待っていて。救急箱持ってくるから」 「ありがとうございます」  流泉が使っている8畳の和室は布団ではなくシンプルなフレームのベッドが置かれていてあとは、勉強机と本棚、ノートパソコン。鴨居にかけたハンガーには好きなサッカーチームのユニフォーム。無駄なものはあまりなく清潔にしているし、学生にしてみればこんなものだろといった感じのいたってシンプルな部屋だ。  この家は全て流泉が使っていい状態であるが、自分の部屋だけで事が足りるだけに他の部屋は大叔父たちが置いていったすぐには使わぬ荷物がそのままになっている。 救急箱は大叔母たちが暮らしていた頃から使っていた隣の部屋の棚の中にあったので手にして戻ってきたら、彼女は僅かに顔を上げてきょろっと部屋の中を見渡していた。 (こんな古くて、知らない家は怖いよな)  その顔には少しの怯えが見て取れる。時に夜中など耳が痛くなる程、静かなこの古めかしい和室。明かりも昔ながらの引っ張るタイプの傘の付いた蛍光灯だし、雨戸を閉めてはいないのでみえる、先ほどの梅園が生垣の向こうに臨める庭は情緒的と言える。流泉は小さなころから大叔母に懐いていたのでこの家が第二の実家のような心地がして大変落ち着くが、今どきの若者はこういった雰囲気を好まないかもしれない。 「傷を見せてくれる?」  小中高とサッカーをしてきたこともあり、怪我の手当ては慣れている。しかし年頃の少女の足を手に取って見ることはまずないので、年の離れた妹にしているのともまた違った感じだろうと、できるだけ本人の手で患部を出させようとした。  しかしどうしても血を見るのが苦手なのか、ウサギの少女は涙目になって耳を垂れさせた。 「む、むり。ボク見れない。葛森さんが見て?」 「……っ」  流泉は心を落ち着けるように深く息を吐くと正面からスカートを覗き混まぬ位置に移動して跪きなおし、膝の見えるぎりぎりの位置まで藍色の法被をたくし上げた。  ハイソックスの両膝は夥しい血で汚れ、真っ白な靴下も垂た血と泥で真っ赤に染まって痛々しい。これを見たら今度こそひっくり返って倒れてしまうかもしれないので、一度法被をかけなおした。 「洗面器持ってきて泥の汚れと血を洗い流すから……。ちょっと待ってて」  風呂場で白い湯気を立てた湯をためた洗面器を準備をし直すとできるだけ柔らかそうな新品のタオルを手にして戻ってきた。  本当に血が苦手なのかさっきよりまた青い顔になって、大き目な目に涙をためた顔を見た時、暗がりではっきりと見て居なかった彼女があまりにも可憐で愛らしい顔をしていることに不覚にもきゅんっと胸を掴まれてしまった。 「かなり傷むかもしれないが、しっかり洗い流した方がいい。泥が残ると傷の治りが遅くなるし、膿んでしまったら大変だから。靴下を取るよ?」  法被をずらして真っ白で細いが綺麗な筋肉の付いた脚を晒すと、血で膝に張り付いた靴下をゆっくりとはずしていく。 「ああっ、んんっ」  やや艶めかしくすら思える声を立てたが、少女は泣き言を言わずに唇を真一文字に結んで耐えている。もっと甲高い声でわーきゃーと騒いだら閉口するところだったが、我慢づよくてなかなか根性が座っているのはよいなあと感じた。  本当はじゃーじゃーと水洗いしたいところだが、流泉はお湯を小まめに代えに行くと、とてもとても丁寧に少女の足を拭っていった。 「ん、んっ」 「痛むよな。ごめん」 「うーうん。ボクがわるいんだから。葛森さんごめんなさい」 「君の方が多分、俺より学年上みたいだから、葛森、でもリュウでも好きなように呼んでいいよ」 「……リュウ、ありがとう」  心のこもった声は穏やかで耳に心地が良くて柔らかだ。見た目のふわふわを声にも乗せたようなふんわり優しい口調と声色で、部活を途中で切り上げてから大急ぎで実家の行事を手伝っていて些か疲れ気味だった流星の心にじわっと染みて癒された。  傷はかなりひどかったがたまたま膝を全て覆えるほどのガーセのテープがあり捻った足首も上手にテーピングをし終えることができた。  たまたまあった新品の黒い靴下をはかせてやったら、女性にしては足のサイズは小さくなかったようでぶかぶかながらもまあはくことはできた。 「なにか飲み物でも取ってくる。今日は冷えるから……。温まったら大通りまでタクシーを呼ぶから、それで家にかえるといいよ」 「なにからなにまで本当にありがとうございます」  流泉は甘いものを好まぬため、こんな時出してあげる茶菓子もないが、色々考えた挙句にせんべいとお茶をお盆に乗せて戻ってきた。 「ごめん、こんなものしかなくて」 「このうち、お爺ちゃんの家みたいで落ち着く。ボク畳の部屋好きなんだ。うちはマンションだから畳の部屋がなくて、羨ましいです。おせんべいも大好き」  流泉は座るところがなく寝台の上に、少女はまた膝の上に法被をかけたままお茶を飲んで二人はそれぞれ、ほっと一息をついた。 (校章の色が紅玉学年。三年生か)  ルビー、サファイア、エメラルド。それぞれの学年カラーを表すそれが赤いので、彼女はもうすぐ卒業をしてしまう三年生ということになる。 (せっかく知り合えたのに……。学校でたまたますれ違うことはもうほとんどないんだな)  湯気越しに盗み見た少女の漸く血の気の戻った顔は、真っ白でやや柔らかな巻き毛の部分もある癖のある髪と真っ白な耳。そして紅を挿した頬に薄い桜色の唇。小さくつまんだような鼻とおさなげながらバランスよく整った綺麗な顔立ちをしていた。 「白うさぎ……」  少女が少しだけ低めの柔らかい声を出したので、先ほどの兎がどうとか言っていた話を思い出した。何か意図があってそんな嘘をついているのかと判じがたい反面、こんなに純情そうな女の子が嘘をつくだろうか?本当に兎がいたのではと絆されそうにもなる。 「兎はここでは飼っていない」  話を合わせてあげたいが、いないものは仕方ない。すると少女は小さくふるふるっと首を振ってから、机の前の椅子から反対側の壁にある、今流泉が座る寝台の上に並べられているものたちに視線をやって首をこてっと倒した。 「白うさぎ、好きなの?? 沢山ある」 (しまった!)  日頃どんな試合に際しても鉄の心臓を誇って鋼の精神力で対すると言われている流泉だが、その不意打ちにやられてしまって、ぴくぴくっと耳は震え、ばしんばしんと無意識に尻尾を変則的に振りまくってしまった。無駄なものもやましいものも何一つ置いているつもりがなかった自分の部屋の中で唯一人から突っ込みを入れられるとしたならば……。  母、大叔母、叔母等など……。幼いころから兎のぬいぐるみを好む流泉の為に皆が買い与えてくれた可愛らしい白うさぎのぬいぐるみの数々。 勿論長じてからはいくつか処分しようと思って、父の神社の人形供養の日のお焚き上げまで持っていったことがあった。しかし今、隣の少女がしてるようなつぶらな瞳をした人形たちが『リュウくん、捨てちゃうの? おわかれなんて、イヤだよ』と語りかけてくるようでとても焚き上げることなどできなかったのだ。  その幼いころからの白うさちゃんコレクションをよりによって白うさちゃん本人に見られてしまったのだ。 (晃良にも散々揶揄われた、流石に男子高校生の部屋にあるにはあるまじき白兎の数……。机の上のカレンダーも白兎だ。申し開きはできない) 「あ、その……。あれは子どもの頃から、人からプレゼントされたりして増えたもので……、ああ。いやごめん。これじゃ俺が本当に白うさぎである君が可愛くてたまらなくなって連れ込んだみたいに思われるかもしれないが、全くの誤解だ。確かに白ウサギはこの通り非常に好きかもしれないが、決してやましい気持ちでは……」  すると少女の方も全く無邪気なつもりできいたのだろう。白兎が非常に好きという言葉に反応して、ぽぽぽっと頬を染めた。 「あ、そんなつもりで言ったわけじゃなくて、本当にその、白うさぎが好きなんだなあって思っただけで、だからボクに興味があるんだとかそんなおこがましいことおもってはその、いなくて……」 「いや、君に興味がないとは言っていない。むしろ好ましいとは思っている」 「え……」 「そもそも俺は、白兎が好きだからだ。それに君はとても可愛らしくて素直で騒がしくなくて、良いと思った」  率直なその言葉に少女がまじまじと流泉の顔を見つめ返してきたので、流泉ももうここは男らしく、誤魔化したりせずに思いを伝えておこうと、こっくりと頷いた。 しかしその好意をそのまま素直に受け取った少女はにこにこっと微笑んで嬉しそうにしている。 「ボクもうさぎのグッズ好きです。親近感が湧くから沢山持ってます(笑) それと、サッカーも好きです。ボクも花咲フォーダー応援してます。幼馴染がサッカー部だから一緒によく試合見に行くんです」 「そうか。俺もサッカーをやっているから、見るのもするのも大好きだ」  そんな風にいつの間にか話が弾んでしまって、流泉はこののち親族と神社や雪香がらみの会食の席に自分も呼ばれていたということをすっかり失念してしまっていた。着物の袂に入れていたスマホが何度も律動し、流石に気になって袖口を探ると、夥しい数の着信履歴が晃良と父、そして怖ろしいことに叔母からも残っていた。 「……すまない、この後の用事の時間が近かった」 「えええ!! 用事があったのに、ごめんなさい。すぐに帰ります」 「いや、タクシーに乗るところまで一緒にいるから。安心してほしい。君と話していたら……。あんまり楽しくて、時間の感覚がおかしくなったみたいだ」  率直な言葉を口にしたのち、照れたのか流泉がややはにかんだような笑みを浮かべたことに、少女は長い睫毛を伏せ、法被をもじもじと手に掴むと、意を決したようにこう呟いた。 「あの、図々しいお願いかもしれないんですが、routeのID、ボクと交換しませんか??」 「もちろんだ。俺ももっと君と話をしたいと思ってたんだ。……ところで今更なんだけれど、君の名前を聞いてもいいかな?」  ありがたい申し出に流泉が即答で応じると、少女は気を抜くと少しだけ下がり気味になる眉をさらに下げ、逡巡するような表情をしてから消え入るような声で呟いた。 「……きらり。い、稲葉きらり」 「きらり。分かった。きらりと呼んでもいい?」 「うん」  きらきらと、本当に光り輝くような純白の被毛とみるものを穏やかな笑顔に導く愛らしい姿。  まさに白兎のイメージそのものの少女を見つめて、何か懐かしい気持ちすら込み上げてきた。 「あの、リュウ? 明日……。うさぎちゃん探しに来てもいい?? こんなに寒い中、あの子震えてるんじゃないかって思うんだ」  明日は日曜日。流泉も明日の部活はない。もう一度明日にでも彼女に会えることは僥倖と言えたが、流泉は流されずにゆっくりと首を振った。 「素人の俺の見立てでも、その怪我は結構酷い。明日歩き回るのはよくない。養生しておいで。俺は朝、神社の庭を掃き清める清掃をするのが日課だから、ついでに梅園をみてまわるよ。ただ、その。本当に兎はかっていないんだ。これだけ白兎好きを知られた後では、ちょっと説得力はないかもしれないが」 「……分かった。でもまた、この梅園に来てみたいな。……明るいところで見てみたいものがあって。うさぎちゃんもまた探させてくださいね?」 (ああ。本当に。好ましいな)  愛情を注がれて育ったと思わせる健やかな笑顔も、穏やかな口調も、気があう趣味も含めて。 (俺はたぶん、きっと。この子のことを好きになりかけている)  即断即決の男は恋を自覚するのも早く。  白うさぎちゃんを載せたタクシーが大通りを滑るように走り去ったのちも、そのテールランプを瞳に焼き付けたまま、二月の風に吹かれてもどこか身体は熱く燃えたままだった。
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