ふわふわ、ふわり 決心する

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 てぃあらが呆れながら眩しいライトが幾つもついたドレッサーに視線を戻そうとしたので、ふわりはクッションを抱きしめたまま姉の顏が見上げられる位置に回り込んだ。 「またその話? よく知らないけど、私が美香おばさんに聞いた話だと多分そうらしいよ。母さんはそういうの、あんまり興味なくて分からないんじゃない? 自分のお爺ちゃんのお兄さんだけどさ」 「それさ、どうにか取り戻せないのかな?……」 「まだそのこと言ってるの? 」 「だってひいおじいちゃん、どうしても取り戻してこっちで供養したいって昔からずっといってたじゃない。最近あんまり具合が良くないんだ。僕がひいおじいちゃんに代わって尻尾を取り戻してあげたい。それができなければ……」  するとてぃあらがメイクをする手を止めて怖い顔で釘を刺してきた。 「だめ! あんた美香おばさんに言われてるでしょ? 『狐には絶対に近寄るな』って。とくにあんたはおばさんに溺愛されてるんだから、あんたに余計な話はするなって私も言われてるんだからね」  由緒正しい老舗和菓子店を継いだ姉妹の妹の方である叔母は学生時代にもう既にてぃあらを身ごもっていた、ぶっとんだ姉とは正反対の堅実な性格で、今のところ独身をとおしていて甥と姪をとにかく溺愛しているのだ。 「そのことだけど……。なんで狐にだけ近寄っちゃいけないのかも、意味わからないんだけど」 「ひいおじいちゃんのお兄さんが戦後のごたごたしてた時期に、理由は分からないけど狐に尻尾きられて、その怪我のせいで病気になって死んだらしいよ? しかも遺体は神社から帰ってきたらしいけど、尻尾は切り取られたままだった。てか、なんで遺体が神社にあったのかも意味不明。叔母さんはさ、狐は兎を本能的に痛めつけたくなる生き物だろうって忌み嫌ってるけど。叔母さんの狐嫌いはなんか学生時代になんかあったらしいから、そっちはまた別問題」 「ふうん。色々謎過ぎ……。兎とか狐とか犬とか猫とかさ。今どきそういう考え方は良くないと僕は思うけどさあ。僕らはご先祖様になった動物の御霊が宿った姿で生まれてくるけど、それはもう殆ど容姿の部分ぐらいの違いでしょ? ま、能力とか体格とかにはちょっとは反映してるけどさ……」 「ふわりんはこのめちゃキュートな兎のしっぽを持ってるしね」  また姉がズボンから覗くふわりの尻尾を撫ぜまわしてきたから、ふわりは耳をぴぴんと立てて転がってその手を逃れる。 「てぃあちゃん! 勝手に尻尾に触らないでよね! 僕もう仔ウサギじゃないんだから。春から高校生だよ?」 「あー、はいはい」 「色々意味わからない。なんで尻尾だけ戻らなかったのかな? 大体ひいおじいちゃんのお兄さ……めんどくさいからご先祖様でいいや。ご先祖様の遺体は返して、尻尾だけ返さない理由が分からなくてさ、それで、受験終わって時間できたから、僕なりに色々調べたんだよ。そしたらね、兎獣人の尻尾はさ、昔から根強く縁起ものとかツキを呼ぶって珍重されてたんだって」 「尻尾千切られてとられるってこと? なにそれ。こわ! 人権侵害」  てぃあらも弟の前では開放的なショートパンツ姿でぷっくら丸く形の良い尻に生えた尻尾ふるふるっと震わせた。 「ほんと僕ら昔に生まれなくて良かったよね……。戦国時代の大名が戦の時にうさぎは跳ねるから運気が上がると、兎獣人だった奥方が尻尾を必勝祈願に捧げて、お守りとしたら圧勝したとか、江戸時代白兎獣人の白妙花魁って人が御贔屓さんに尻尾差し上げたから縁起ものだったとか。あ、これは本物の兎のしっぽだった説もあるけど。戦時中も戦艦に兎獣人沢山乗っけてゲンを担いだとかさ。伝説が色々あった……。でも戦後の頃がどんなだったか知らないけど、今の世の中いくら何でも人の尻尾切ったら犯罪でしょ? 葛森神社の人がひいおじいちゃんの尻尾切る意味って何だったんだろ? やっぱり縁起ものだったから? 神社に祀りたくて?」 「あんた随分詳しくなったのね? でもそれだけじゃないわよ。葛森の家とは他に色々あったらしいよ、葛森の狐のやってる和菓子店のお菓子と、うちの叔母さんとこのお店の和菓子の間にさ、商品の模倣のごたごたがあったって。しかも今の葛森の社長が若い頃にうちの店のお菓子は白兎塚に祀られてる兎の尻尾に由来がどうとかのたまって、そりゃうちのご先祖様のことじゃないかとか大おばあちゃんと大喧嘩になったとかならないとか……」  ふわりたちの叔母が継いだ和菓子店は戦前からお店をしている老舗だ。ただ戦後一度途絶えかけたのをひいおじいちゃんが大きくなってから再興されたらしいとは聞いている。くだんの和菓子は戦後大分豊かになった時代に売り出された一番人気の『雪柳』という菓子のことだろうかとふわりは思った。今ではぴんとくるが、洋菓子のモンブランのように上にかけられた白くて当時はかなりまだ珍しいミルク風味の餡がのった和菓子で、この餡の部分が口に入れるとほろほろと溶けてなくなる繊細なお菓子だ。この白い部分が兎の毛のようにみえなくもない。似た感じの和菓子が狐の和菓子屋にあるのかもしれない。 「じゃあ、ご先祖様の尻尾って、神社に祀られてるから帰ってこなかったってこと?」  それはそれでなんだか尻尾の辺りがぞくぞくするほど恐ろしい話だ。侍がいたころの時代ならばいざ知らず、戦後と言ったらもう電車も走り、佐久矢ドロップも、花菱サイダーだってもう売られていたようないわゆる現代に近い時期だ。そんな時期に人から切り取った尻尾を神社に祀られるなど、そんな猟奇的なことが本当に起こっていたのだろうか。俄かに信じがたい。 「私たちまだ小さかったからその辺の細かいことよくわからないけどさ。話し合いになってもうお互い関わらないことになったんじゃない?」 「僕も小さかったからわからないよ。でも昔狐の和菓子屋さんにお爺ちゃんといったのは覚えてるよ。隣りに大きな森と神社があって……。あそこはなんかすごく綺麗だったな。小さい公園もあったから、誰かと遊んでもらって楽しかったってことだけぼんやり覚えてる」 (たしか桜の咲く頃だった。小さな和菓子屋店先から満開の桜の揺れる梢が綺麗だったからつられて外に出たんだ。小学1年生かそこらだったような気がする。それで公園にいた同い年ぐらいの年の子と、一緒に遊んだ)  桜が揺れ、花びらが舞い、一緒に遊んだ子と、追いかけては掴めるか競って走った。その子の姿はよく覚えてはいなかったけれど、ふっさりとした立派な尻尾を持っていたような、そんな記憶はあった。  しかしよい記憶だけではなく、思い出すと怖ろしい暗い記憶も蘇りかける。そのせいかその時のことは細かいことがよく思い出せないのだ。曇った弟の表情に、てぃあらは弟の柔らかな白毛でおおわれた頭を撫ぜて慰めた。 「ああ、あんたおじいちゃんが店の人と話している間に勝手にお店出て迷子になったらしいわね。知らない人おじさんと一緒にいたとこ目撃されてて、店の人とお爺ちゃんが探し回って助けては貰えたけど……。多分誘拐されかかったんじゃないかって。あの年は桜が咲くのが早くて……。あんたはまだ白毛で目立っててそりゃあ誰が見ても可愛い子だったからさ。無理に思い出すことないわよ。そこが狐が宮司してる葛森神社。その隣が葛森の家のやってる和菓子『雪香(せつか)』の総本店。うちの学校のすぐ近くだからあんたも、受験の時通りがかったでしょ? こんもりした森。 最近建て変えられて……。あ、そういえば週末初午だ」 「初午?」 「そうそう。初午の日。五穀豊穣、商売繁盛ってことで地域の人とか親戚筋に雪香のお菓子を振舞う、まあ、ちょっとした祭り的な奴? 新社屋立て替えと初午のお祝いで今年は盛大にやるらしいから、うちの学校の制服着てたら新社屋見学に招いてもらって中に入れるわよ。近隣にあるからうちの学校と、オフィスの一部と、近所の人が招待されてるから。隣接の庭園も無料公開で香泉の美味しいお菓子いただけるし、出入り自由だし」 「ふうん」  すると急に母と似た声を上げててぃあらがにんまりと笑ってふわりの頭をまたぐしゃぐしゃっと撫ぜあげた。 「じゃあさ、ふわり。あんた私の制服着て行ってみない? 葛森神社と雪香の初午に」  それと尻尾の件の関係がどうあるのかもわからなかったし、流石に利発な姉でもその咄嗟の思い付きには嘆息を禁じえなかった。 「てぃあちゃんの制服……。セーラー服だよね?」
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