梅薫る、葛森神社1-1

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梅薫る、葛森神社1-1

 葛森神社は桜亰(おうけい)都内の若者が溢れる人気の街の幹線道路沿いに鎮座し、そこだけまるで時が止まったかのように静謐な空間を作り出していた。  午前中は季節の変わり目に降る冷たい雨だった今日、木立に囲まれた参道に中に一歩中に足を踏み入れただけで如月の澄み渡る空気に草木の香りが混じり、ふわりは大きく深呼吸する。 「やっぱりここ、すごく落ち着くなあ」  駅から大通りまでは若者が好みそうな小さな店が立ち並び大変賑わい、店先にある目に映るものすべてが気になるような、うきうきとしたショッピングには事欠かない。  しかし、耳の良いふわりにはあまりに過ぎた喧騒は疲れてしまう。  今もまたすっかり冷たくこわばってしまった長い耳先を手袋をした手で掴んでくしくしと温めてから白い玉砂利が敷かれた道をゆっくり歩き始めた。  この神社、春には桜の名所にもなるという。鳥居をくぐり少し歩くと真ん中に木の遊歩道の掛かった神池があり、立派な鯉が赤い斑に白いうろこを艶めかしくくねせてながら互いに行き交っている。緑豊かな自然の雰囲気を残す非常に厳かな池で、中央には小さな島がありその上は今の時期でも木々に青々と葉が茂っている。  鍵の形に池にかけられた遊歩道の中盤には屋根付きの東屋が立っていて、その隣には紅梅が咲いていて目に鮮やかに飛び込んできた。思わずそちらの方から神社の本殿のある階段側に歩いていきたくなったが、池を望める場所につくられた真新しいビルが今日初めに用事がある場所だ。 (葛森会館っていう神社直営の結婚式場と『雪香』の本店と本社を一緒にしたビル……。僕でもわかる。すごく立派だ)  もうすでに池の向こうにあるテラス辺りにも人影が多く見えるし、池の辺りを歩く人も多い。中には今ふわりが身に着けているのと同じ制服を着た子たちが池の鯉を指差して何やら楽しそうに話をしている姿も見られる。もちろん今のんびりと歩くふわりを追い越すようにして早足でビルの方へ連れだって向かう人も多かった。てぃあらが話していたとおり、雪香の新社屋付近はさながらお祭りのような雰囲気で近隣で所縁のあるお店や学校、勿論氏子など多くの人でにぎわっていた。  ふわりはやや顔を隠すように滑らかなカシミヤのマフラーに口元まで埋もれるようにして歩いていたが、この人の流れに乗ってしまえば、特にふわり一人が浮いてることも、誰かに話しかけられることもなさそうだ。 (とにかく自然に、堂々としている方が怪しまれない。うん。きっとそうだ)  背筋を伸ばして、白く真っすぐな脚を伸ばして歩く。勿論姉に注意された通り、大股歩きにならない様にスカートの裾を気をつけながら、ふわりは上品なお婆ちゃんの背にくっつくようにして中へ入っていった。  特に受付で名前を書くことも聞かれることもない。てぃあらが学校から配られた招待券をちらりと見せただけで、『雪香』の従業員と思わしき人が上品な鶯色の作務衣に藍で染め抜かれた粋な法被を着た姿で笑顔で出迎えてくれた。  事前に下調べをしてきたものの、やや方向音痴の気配のあるふわりは手渡されたパンフレットを真剣な顔で覗き混み、神社の境内とこの建物、梅園の位置などを再確認した。  ふわりが入った葛森会館のエントランス側からは裏手にあたるのが、大通りに面した側のビルの1階が新本店。月華茶寮なるお洒落な和カフェも併用していてそこで雪香の甘味試せる。カフェ自体は会館側からも先ほどまでふわりが歩いていた大通り側からも入れるようになっているらしい。  会館側のエントランスを抜けたら店舗の横にあたる部分がこちら側の入口と大通り側の入り口とで廊下で繋がり、まるで洞窟かそれとも隠れ家へ向かう小道なのかと興味をそそられる風情の小道だ。町屋にあるような黒塀を模した廊下には有名な版画家の風景画が飾られていた。いわゆる浮世絵であり、市井に根差しつつも美しく切り取られたその景色と色調は、以前よりふわりも美術館で何度も見かけた好きな浮世絵師の物に似ていた。 (あとで絶対に見に行こうっと)  浮世絵に後ろ髪引かれながらも、巫女の格好をした若く見目麗しい白い猫耳の女性が上品に声を張り上げているのにも興味が引かれる。 「御二階の槐の間で新作和菓子桃世のご試食もできます。月華茶寮もお時間事の整理券をお持ちいただければ無料開放で献茶させて頂いております。葛森神社境内ではお琴と笛の演奏会、梅園も本日は開放しております。お好きな色や触り心地の和紙を組みあわせて、オリジナルお守り袋作りもしております。御札は境内で授与して貰えますよ。、どうぞ、みなさま。是非お立ち寄り下さいませ」 (なんか思ったより大掛かりなイベントだ!楽しそうなものが多いなあ。まだ境内まで行けてないから受験のお守りお焚き上げに返せてないけど、オリジナルお守り気になる! ひいおじいちゃんの体調が良くなりますようにってお守り作りたいなあ。それにお抹茶も最近おばあちゃんも忙しそうで、点てて貰って和菓子食べる機会もなかったしなあ。飲みたいなあ)  会場も神社の敷地内を広く使っているので、何処に葛森晃良や流泉がいるのか見当も付かない。出会えたらラッキーぐらいに思おうと、お祭りのような賑わいにすっかり飲まれたふわりは、むしろそちらがおまけのような感覚になってしまった。  しかもこれだけ大人のスタッフを動員しているのならば彼らがお手伝いをしていないど限らない。もはや葛森の息子たちを探すことなどそっちのけで、ふわりは今日のパンフレットを覗き込みながらどこから回ろうかとスカートの下でシッポを小さくフリフリとさせていた。 (どこからみようかなあ。やっぱり新作和菓子の試食がいいかな? お守りづくりの整理券はまだ配っているのかな?)  開始が13時だがもうすでに時計は15時を回っていた。朝用事があったてぃあらが一度戻ってきてからふわりの身支度をはじめたため、(主にメイク)思った以上に時間がかかってしまったのだ。16時には受付を終了するため、結構遅刻してきたような感覚だ。 (べつにメイクまでしなくて良かったのにさあ)  もちろんてぃあらや他の女子高校生に比べたら薄化粧に入るだろうが、今どきしていない方がむしろ不自然だから! というのと別人に成りすますわけだから致し方なくお化粧をしてもらった。正直紅がぺたつくのがあまり気持ちよくない。 『葛森晃良相手なら、なるべくかわいいに越したことはない』  なんててぁいらは断言したが、そんなにうまくいくものか……。もちろん夜具のモデルの時にプロを相手にしているカメラマンから絶賛してもらえたからそこそこ化けられるだろうとは思っている。狐相手に化かすとか、正直荷が重い。 (まあ、しょうがないか。学校にいない子ってバレた時の設定は、てぃあちゃんの従姉妹の稲葉きらりちゃんなんだもんな。子どもの頃にお母さんがノリでつけた芸名だから恥ずかしすぎるけど……)  周りもみずに真っすぐにどこもかしこも柔らかな絨毯が敷かれた歩きやすい建物内を歩いていく。ちょっと熱くなってきたのでマフラーをしまおうと思ったがてぃあらが持たせてくれた鞄は財布とスマホをいれたらもう一杯のパンパンだ。お守りづくりを行っている二階の会場は普段は少人数での披露宴が開かれるという美麗な部屋で、中に入れると大きな壺に行けられた南国の野趣あふれる赤い生花がテーブルに置かれて華やいだ雰囲気だ。  その花々に勝るとも劣らぬ、制服姿の華やかな美人ばかりの集団が背の高い若者を取り囲んで、やや大きめの声で談笑する姿が正面に繰り広げられていた。 (ああ、きっとあの人だ)  てぃあらが用意してくれたスマホで写真を確認してたから顔を見てすぐにわかった。いや、見て居なくても分かったかもしれない。それほど目立つ存在に目に映った。彼はふわりよりもさらに短いスカートをはいた女子高生に囲まれているため全身の状態は分かりにくいが、襟元と肩口を見て、噺家さんか、戸もなければ商家の若旦那のような深みのある一目で上等なものと分かる紫色の羽織袴姿であった。ふわりと同年代の若者が羽織はかま姿なのは七五三でしかみたことがないため、非常に興味深かった。ふわりは母の趣味で三歳の節句は女児物の桃色の着物に赤い被布を着せられていたが……。  祖父母の影響で時代劇が大好きなふわりとしては彼の着物姿は小さく背が高すぎて、往年の時代劇の俳優のような恰幅のいい感じにはなっていないのがやや残念に映る。しかし顔立ちだけ見たら、惹きつけられて目が離せなくなるような圧倒的な艶美な雰囲気のある美男だ。狐らしい大きな耳はふっさりとした毛ぶきで艶々としているし、同じ色の輝くように明るい、蜜柑色とも黄金色とも見える内側から光が零れるような髪色と白目の部分が青く澄んだ大きな瞳でもって、にっこりと愛想よく少女たちに笑いかけている。 (クラスの女子が文化祭の時、わーきゃーいっていっていた、外国のアイドルグループの大人っぽい美形の人になんか似ている感じだな。歌とか踊りとかとにかく何でも上手そう。勝手なイメージだけど)  その時はそのスマホ画面を見せてもらった健太郎が『俺の方が何倍もいい男だよな? ふわり?』と顔に横にスマホをくっつけたまま、おどけて走り回ってクラスの笑いを誘っていたが、葛森晃良もアイドルめいた、そういったある種のカリスマ性のある美形だと言えた。初、生葛森晃良に会えてやや興奮してしまったのか、視線がそらせずふわりお得意のじっと見つめる仕草で彼の観察を続けていった。  少女たちに囲まれ、終始明るい笑顔を見せているが、ふとした表情に独特の憂いを帯びた艶があるというか、色気があるというか。 (ま、楽しそうだし、気のせいかもな。狐の美女は古来から人を化かして惑わすって言い伝えがあるぐらい、狐の人って美男美女が多いんだもんな。真面目な顔をしているだけで艶っぽく見えるのかも)  彼が何かを話せば彼女らも大笑いをして非常に楽しそうでもあるが、ふわりとしては賑やかすぎてちょっと馴染みにくい、一歩引いてしまいそうな集団だともいえた。 (うう……。あそこに近づくの、やっぱ僕には無理! てぃあらちゃんごめん!)  ふわりの頭の中で白兎たちがぴらぴらと白旗を振って、ポーチのように小さな鞄の肩ひもを両手で握りしめてふるふると無意識に首を振ってしまった。 『ふわり、直前でひよるなよ』  と姉の怖ろしい声が脳裏をこだましたが、どうしてもあの輪の中にずかずかと押し入っていける勇気が出ない。 (そもそもあそこに行って、あのお姉さんたちの間をすり抜けて、連絡先教えてください?! なって言える??? むりむりむり!!! 正気の沙汰じゃないよな)  その視線に気が付いたようにふと、晃良が長い睫毛を反らしながら流し目をくれたように見えたから、ふわりは瞬時に目線を外して受付の女性に自信なさげに小声で話しかけた。 「あの……。お守りづくりってまだ受け付けしていますか?」  その女性は犬の獣人のようで、たまたま健太郎とよく似た毛並みだったのでふわりを安堵させてくれた。しかし残念ながら、彼女が申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。 「大変申し訳ございません。お守り作りですが好評をいただきまして、本日の分の受付は終了させていただきました。本日は式典と共に、例大祭で行うイベントを先に地域の皆様にご披露するという趣旨もございます。春の例大祭でまた同じワークショップをもっと回を増やして行う予定ですので、ぜひそちらにもお運びくださいませ」  やはり来るのが遅かったようでもう締め切りになってしまったようだ。この分では残念ながらどこもかしこも人でいっぱいかもしれない。楽しいことを見つけたおかげですっかり呑気になれた頭の中ではもうすっかり葛森家の息子たちと知り合うことから、矢印がくるんっと方向転換をして境内と梅園に行って帰ってこれたらそれでいいという風に切り替わっていた。 (もう一人の先輩を探してとりあえず全部の会場をぐるっと一通り回って、境内に行って、梅園にいって帰る。パンフレットには載ってないけど、どっかにあるらしい、兎の塚だけでも探してみる。これできまり。冷静に考えてみたらこの格好をしたからって僕の中身がいきなりてぃあらちゃんみたいにがんがん行ける感じになるわけじゃないし、むしろ女子の集団、めちゃ、こわい)  その証拠に受付の方を見て居るはずが、なんとなく女の子たちがこちらを見てくる視線が矢じりのようにとすとすと身体に刺さってくるのを肌がひしひしと感じている。  そして実際その時、ふわりが感じていたことはまさしく正しかった。  会場にやってきた白兎の獣人の少女は非常に目立つ存在だった。  中々目にすることがない柔らかそうな被毛の白い耳。その耳とぷっくりした頬はどちらも寒さで薄紅梅色に染まっていた。なにか心を動かされたかのように、その耳を元気にぴくぴくっと動かして、熱い眼差しで晃良を見つめてきた。ふわふわの泡雪のように清くでも触れたら消えてなくなりそうな、そんな儚さのある雪色の髪をした女の子。  ニュアンスのある色合いの口紅がのった小さな唇が物問いたげにきゅっと結ばれ、非常に大きな淹れ立ての紅茶のように赤みがかった澄んだ色の瞳が愛らしかった。しかし晃良を見つめていたその貌が一瞬泣きそうにゆがめられ、すぐに目をそらされてしまった。  その仕草が胸をざわつかせ、晃良は頭の中で写真を捲るように記憶をたどっていった。 (あんな子……。うちの学校にいたっけな? 凄く綺麗な白兎。一目見たら絶対に……。俺もリュウも忘れるはずないのに)  ふわりに俄かに興味を示した晃良が少女たちにふわりのことを見覚えがないかとか、誰か白兎のこの話を聞いたことがないかなどと尋ねていたため、彼女たち全員が一斉にふわりを頭の上から足先まで値踏みする様に見たため、視線が厳しくなっていたのだった。  当のふわりは晃良からすぐに視線をそらして受付に向かったために、晃良が自分に興味を示しているなどと夢にも思わず、連絡先を聞き出す千載一遇のチャンスを逃したまま、今度は新作お菓子を試食できる一階のテラスのある部屋までそそくさとまさに脱兎のごとく逃げ出してしまったのだった。
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