梅薫る、葛森神社1-3

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梅薫る、葛森神社1-3

 ふわりの見開いた瞳に飛び込んできたのは、まだ青年と呼ぶには繊細な今風の豪華洒脱な目鼻立ち。こういう華やかな造作からはやはり、こういう想像以上のイケボが飛び出すのか。そんな風に妙な納得をふわりがしてしまうほど、若々しくも滑らかに低い声の持ち主が、着物の袖でゆったりと腕組みをしたまま、呆れ顔で叔父の後ろに立っていた。 「む、晃良か」 (叔父さんっていった!)  振り返った拍子にはらりと前髪が乱れた穂積を、それを撫ぜ付けながら体格の良い甥を煩わしそうに振り返った。 「御贔屓さんとの会食の前の打ち合わせ、叔父さんがどこにもいないって専務が探してたから、早くいかないとまずいよ」  しかし根っからマイペースであるのか穂積は悪びれることなく、性懲りもなくまだふわりから離れようとしない。 「姉さんには遅れるって言ってくれ。僕は今このお嬢さんを茶寮へお連れする約束をしていたところなんだ」 「茶寮に?」  なおもまだ名残惜し気にふわりを舐めまわすように見る瞳はもはや遠慮がない欲が透けていて、ふわりはぞくぞくっと鳥肌をたてながら目線で晃良に助けを求める。やや目を潤ませながらふるふると頭を振ると、触ったら柔らかそうな耳も同じように揺れる。本物の兎に負けぬほど可愛らしく心癒される様をみて晃は大きな切れ長の目元を緩めて微笑んだ。 「俺の学校の先輩みたいだから、俺が茶寮まで連れて行くよ。叔父さんはとにかく早く行って。母さんかなり苛々してたから、こないだみたいにまた人前で大爆発するところ見たくないだろ?」 「あの、茶寮はさっきいったので、いかなくて大丈夫です。色々きをつかっていただいてありがとうございます。さようなら」  駄目押しとばかりにふわりが、『さようなら』に力を込めてぺこりとお辞儀をしたから、穂積は苦笑いを浮かべてようやく納得したようだ。 「……仕方ないなあ。じゃあ君、申し訳ないね。仕事が入ったみたいだから、例大祭の時にでも僕を訪ねてきてくれたら嬉しいな。またおいで」  そういうと成り行きにはらはらしていたふわりの手の中に、素早く名刺を滑り込ませ、名残惜し気に一度振り返ってからしっぽをへなりと落として立ち去っていった。  穂積の姿が他の従業員たちに紛れるようにようやく見えなくなると、ふわりはやっと穂積から解放されて安堵し、砕けたように少し腰を落としながら、ふうっとため息をついた。晃良はもちろんそんなふわりの様を見逃さずに真摯に黄色い頭を下げてきた。 「俺、葛森晃良っていいます。うちのイベントに来てくれてありがとうございます。叔父にしつこくされてましたよね? 本当にごめんなさい。あーもう。穂積叔父さん、女子高生相手になにやってんだろ? あの人、兎の女の子に目がないんだ。うちの奴らはなんだってあんなに兎好きなんだかな……」  最期の方は独り言のようになりながら、晃良が素直に叔父の非礼を謝ってきたので、あれはやはり強引にふわりを誘おうとしていたのだとようやく合点がいった。つまり晃良は叔父に絡まれていたふわりを見かねて助けに来てくれたということだ。さっき女の子ばかりに囲まれている時はすごくやんちゃそうに見えたのだが、声も話し方も見た目と違ってきついところがまるでなく、むしろ耳触りが良いほどだ。 (僕のこと助けてくれたし、思ったよりもずっと話しやすい人なの、かも?)  またもすぐに相手に気を許したふわりはもう一度ほっと胸をなでおろすと、こちらも素直にぺこりと頭を下げた。 「あ、ありがとうございます……。ボク、こういうこと、慣れてなくて。断りずらくて……。助けてくれてくれてありがとうございます」 「だよね? あのおっさん、押しだけは強いんだ。仕事はのらりくらり逃げる癖にこういう時だけ抜け目なくて、甥の俺から見てもほんと、呆れる。でも無理ないか? さっき君のこと見かけた時、すごく眼を惹かれたよ。そのふわふわの雪みたいな髪の毛。思わず声かけたくなる気持ち、俺にもわかるなだって、凄く可愛いから」  こんな間近で目を合わせているのが恥ずかしくなるような言葉をかけられて、ふわりはげんなりし、一難去ってまた一難の心地になった。  兎獣人あるあるかもしれないが、可愛いねえとかふわふわだねえとか、抱きしめさせてとか触らせてとか、セクハラめいた目に結構軽く会うことが多いのだ。  たしかにふわりだって本物の兎をみたら文句なしに可愛いなあと思う。抱っこだってしたいし撫で回したい。だから気持ちは分からなくはないけれど、こちらは兎の耳をはやしただけの、中身は普通の男だ。もしもはえているミミが健太郎みたいな立派な犬耳だったら全く目立たないぐらいの、ごく普通の男子中学生。  それが兎の耳がついているというだけで人から一方的に好意を寄せられたり、あまつさえ触られたりするのは絶対に嫌だ。  ふわりですらこうなのだから、文句のつけようのない美少女であるてぃあらが人より必要以上に気が荒くなったのだって絶対そういう目に沢山合ってきたせいだし、ふわりも男だからてぃあらよりはましだが、幼い頃から今までとにかく番犬である健太郎と一緒に行動してなんとな身の危険を回避し事なきを得ていた。  だから久しぶりに女装をしたことで、幼い頃は頻繁に感じた、人が自分を脅かしてくるような薄ら寒い感覚を思い出して気分がやや塞いでしまった。 (やっぱ女装とかじゃなくて……。ただの兎男の僕として友達になってもらったりは……。無理だろうな。こいつ女の子にしか興味なさそう)  距離を詰めたこの状態で、男のふわりでも思わずどきりとするような浮いた台詞をしゃあしゃあといってのけるあたり、自分に自信がとてもあるのだろう。 (自分のこと大好きって感じだよな、この人。さっきはいい感じの人だって思ったのに。こんなところで初めましての相手にこんなふうに近づいてくる奴、絶対信用ならないだろ。すごく背が高くてどこから見ても恰好いい相手だからって、嫉妬してるわけじゃないぞ。僕が本当に女の子だったって、絶対警戒する!)  さっきまですっかり気が抜けていて穂積に付け込まれかけたので今度は化かされないぞと、やや下がり気味の眉をきゅっと持ち上げてふわりは頑張って睨み返してみた。  もちろん晃良は(警戒してる? ぷるぷるしてる、うさちゃん可愛いな。大丈夫だよ? 怖くないぞ? 抱っこしてあげようか?)などとふざけたことを考えていたが、ふわりは至極真面目だ。  ふわりは自分自身のことを嫌いではなかったが、やっぱりこの晃良のように体格が良く見るからに男性的な美貌に恵まれた人には憧れと少しのやっかみ、つまり嫉妬心が湧く。こう、女の子はさも自分に声をかけられたら喜ぶだろうと当然と思っているような距離感の近さと詰め方を、ふわりは今とても窮屈に感じた。 柔和だと思っていた晃良は、実は中々手ごわい相手なのかもしれない。 (うーん。こいつ、僕の手に負えるとぜんぜん思えない……。routeのIDをこの状態から聞き出したら、叔父さんをダシに近づいてきた子みたいにみえるよな。……でもIDさえ持って帰れば返信はてぃあらちゃんが上手にしてくれるって言ってたし。その方がいいのかな? どうしよう?)  ちょっと気持ちをそぞろにしてふわりが考え事をしていたら、それをまた見透かしたように瑠璃色にも見える瞳をきらりと光らせて晃良が囁いてきた。 「その校章の色……、うちの学校の先輩、ですよね?」  急な敬語に、ふわりは反射的に左胸についていた赤色の校章を、穂積に手渡された名刺ごとぐしゃりと握りこんで無意識に隠した。  男子生徒の制服ではネクタイが学年ごとに違う。晃良たち四月から2年生になるものたちの学年カラーは青。新三年生は緑。ふわりは卒業するてぃあらたちの代と同じ赤になる予定だ。  つまりてぃあらの校章が付いたふわりは今、晃良より一つ年上という設定になる。  浮世絵の飾ってある壁に背を押し付けたまま動けないふわりの正面、先ほどまで穂積が詰めていた位置にいつの間にか晃良がいて、浮世絵とは逆側のふわりの顔の横に肘を曲げた腕をとんっとつき、深い瑠璃色の瞳でじっと何かを見透かすかのようにふわりを見おろしてきた。  急に黙ると、顔の端正さがことのほか際立つ。  これほどの男前が無言で見つめてくるのは迫力があり、先ほどの叔父さんの時とは違う緊張感に全身を包まれ、警戒心露わなしっぽがスカートの中で痛いほどに立ちあがってふりふりと振れるのを止められなかった。 (え……。学校にいないやつかもって値踏みされてる??)  晃良の尻尾もふっさふっさとメトロノームのように揺れて、シンキングタイムといった感じの間をもたらしている。 「3年生にすごく目立つ先輩がいて、君その人に似てない? モデルやっててsimplegramのフォロワー数も学校じゃ一番じゃないかな? 知ってる?」  わざと答えを先延ばしするような言い方はちょっと意地悪で、しかし形良い唇が笑みの形に刻まれているからきっとこの状態を楽しんでいるのだろう。  ふわりはどうこたえようかと頭の中で色々な考えがぐるぐるぐると回って肩ひもはすでによじれきって元に戻せない。 「知らないかなあ? 知らないはずないと思うんだけど。稲葉てぃあらっていうんだけど」  いきなり姉の名前を言い当てられて、冷静でいようと思ったがもう遅く。あり得ないほどびくんっと肩を揺らしてしまった。 (やっぱりさっきの叔父さんの甥っ子だ~ 油断ならないよお! 助けて! どうしたらいい? てぃあらちゃん!)    靴のかかとを思わず壁にぶつけ、明らかに挙動不審になったふわりが顔を真っ赤にし、嘘の付けぬ耳がゆるやかにぺったりと伏せていくのを見て、晃良は三日月のようににっこりといかにも狐の美男子というような少し人を小馬鹿にしたような表情を浮かべ、ふわりを弄ぶかのように返事を待っている。 (やっぱり、なんか気づいてる? 気づいてて僕になにか答えを言わせようとしてる??  確かに、てぃあらちゃんが学校で目立たないはずないし、しかもてぃあらちゃんのsimplegramなら僕もたまにちっさく見きれて映ってることもあったかも。いやでも、この人がてぃあらちゃんの写真全部チェックしているとは思えないし……。ここはB案の、てぃあらちゃんの従姉妹設定をいっちゃう? 単純に男だってバレた? だったら言わない方がいい???)  曖昧に力なく笑いながら小首をかしげて眉を下げていたら、その顏が思いのほか可愛く映ったのか晃良はほおっと息をついてまた笑顔を見せると、ふわりの手の中から先ほどの名刺をするりと抜き取った。 「まあいいや。これはいらないだろうから、俺が預かっとくね?」  言いながら指の長い大きな掌の中でぐしゃっとそれを潰して見せた。  話題がここで終わって、さらに始末に困る名刺も回収してもらえたので、素直なふわりはまた気を抜いてほうっとあからさまにほっとした顔を見せた。 しかしすかさず晃良がスマホを着物の袂から取り出した。 (時代劇の所作みたいで恰好いい!)などと思っていたが、晃良が当然のようにスマホを顔の前に腕を伸ばして差し出してきた。つまりセルフィーを撮る体勢になり、抜け目なくふわりの肩に手を回すと写真をぱしゃりと写されてしまった。 「今日の記念。写真あげるね。スマホ出して? 叔父さんの代わりにさ、俺に教えてよ? 名前とrouteのID。叔父さんにうざ絡みされてたところを助けてあげたんだからさ、いいよね?  先輩?」 「!!」  助けてもらったことは確かだが、身内の不始末なのだからそこは痛み分けにして欲しいといいたい。  しかもいつのまにか腕とは逆の方に出された長い脚で通せんぼされ、がっつりふわりを囲い込んで逃がさぬ気満々だ。 (なんだよ!いいやつだと思ったのに、さっきの叔父さんと全然変わらない強引さじゃないか! しかも距離流石に、近い! 近い!! 額くっつきそう!! そんな顔で覗き込むな!!!)  流石にあの毒舌面食いのてぃあらに「顔だけはいい」と言われた黙っていれば賢そうな美貌で愛おし気に見下ろされたら、心とは裏腹に心臓が音を立ててなり鳴り始めるのを止められない。 「ぼ、私は、きらり。スマホ出すから待ってて」  とはいえrouteのIDを聞き出すことも興味を持ってもらえることも本懐出会ったと思い出し、ふわりも慌ててスマホを取り出そうとごそごそと鞄をあさる。  すると今度は迫力のある女性の声が聞こえてきた。 「晃良! こんなところで油を売っている場合じゃないでしょ!」 「……うっさいのがきた」 (うわあ。お爺ちゃんの好きな極妻の女将さんみたい!! カッコいいおばさまだ!!)  少し面差しが晃良と似た、僅かに白っぽい被毛をした狐の女性がやってきた。多分さっき晃良が話していた穂積の姉、つまり晃良の母親に間違いなさそうだ。  流石葛森の狐の本丸だけあって、色々と聞いてみたいことの多い人が次から次にやってくるが、如何せんどう話をしていいのか皆目見当がつかない。  しかもあまり友好的とは言えぬ態度で上等なお召しをすきなく身に着けた晃良の母親はちらりとふわりをぎらっと大きな瞳でねめつけてきた。 「……兎? 晃良、あなたまで兎にうつつを抜かしたりしないでよ? もめごとはもうごめんだわ」 「母さん。学校の先輩なんだ。せっかく来ていただいたんだから、失礼だろう?」  ぱっちりと大きな瞳が黒々とした長い睫毛で彩られた華やかだが少し酷薄な雰囲気のある美貌だ。一瞬すうっと獲物をみつけた獣のように琥珀色の瞳を細めた晃良の母は、あまりあまり面白くなさそうだという雰囲気は残しつつも、お仕着せの笑みを浮かべた深い丹色の唇でにいっと微笑んだ。 「とても素敵なイベントでした。新作の和菓子も茶寮も、神社での和楽器の演奏もとても素晴らしかったです。ありがとうございました。お時間をとらせてしまい申し訳ありません。失礼します」  きちんと礼を言い、あっさりと引き下がって頭を下げたふわりを晃良の取り巻きにしてはと少し意外に思ったのか、晃良の母は今度は少し大人げなかったと思いなおし僅かに緩んだ微笑みを見せた。 「そうね。もうイベントも終わりだからお引き取り頂かないと。いらしていただいて、ありがとうございますね」  ふわりは母親が来たので壁際にふわりを追い込んでいた姿勢から身を起こしていたので、ふわりはその隙間からぴょこんと飛び出し、足早に出口に向かっていった。 「きらりちゃん!」  当然のようにふわりを追いかけようとした息子の袖を、逃すまいと母はむんずと掴んで般若のような顔つきで息子に雷を落した。 「会食の前にお礼とご挨拶をしてまわるって言ってたでしょ! あなた雪香の跡取りだって自覚あるの??!」  そこから始まる説教は折々耳にタコができる程聞かされた内容で、晃良はもう途中から耳をぺたんと伏せてそっぽをむいたので、今度はその耳までも母親から千切れんばかりに掴まれたのだった。
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