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「……おはようございます。今日からこちらで働かせていただく、水野千春です」
俺はおずおずとはにかんで頭を下げる。顔を上げると、小麦色の彼は浅く首だけで一礼した。
「……文月小麦」
わかりやすい名前だ。俺が少し目を丸くしていると、辰巳は小麦くんへ話しかける。
「確かにアイロンって言ってたんだな?」
「うん」
「でもうち、今アイロンの貸し出ししてないんだがな……故障で」
俺はついていけない話題に口を閉ざし、フロントの裏側ってこんな感じなんだ、と辺りを見回した。
あちこちに連絡の張り紙や標語、お客さんにも配られていそうなチラシなんかも貼ってある。
「あ」
ふと目に止まったものに声を上げると、二人は会話をやめた。
「どうした?」
「あ、いや……」
俺はそろりと壁の一角を示した。
「ヘアアイロンはあるんだな、と思って」
貸し出しアメニティの一覧。アイロンの写真の上には、「貸し出し中止しております」とシールが貼られている。その一覧の上の方には、ヘアアイロンの写真が載っていた。
「って言っても、アイロンの代わりにはならないかな……」
なんてはぐらかすように俺が笑ったとき、小麦くんはぽんと手を打った。
「思い出した。ヘアアイロンだ」
「違いすぎるだろう……」
辰巳は深いため息。
「二文字多いだけだろ」
「用途が違う。……わかった、持って行く。文月は戻ってていいぞ」
「わかった」
小麦くんは頷いて、きびすを返して廊下に消えていく。部屋の隅に置かれた箱を探っていた辰巳は、こちらを振り返った。手には黒のヘアアイロンがある。
「水野。行くぞ」
「ふふ、はい!」
先輩と後輩ごっこみたいでくすぐったいけれど、案外悪くない。
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