透き通る夏

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 図書室の扉の前で、どう言い訳をしようか考えていた。読むのに時間がかかったなんて言って、感想求められたら困る。外は夏の日差しで暑いはずなのに日の入らない廊下は嫌にひんやりしていた。 「素直に謝るか……」  忘れたのは事実だし、と腹を括った。ふうと一息はくと、少しだけ立て付けの悪い扉を開ける。ガタガタとなんもか開けた扉の先は、本独特の紙の匂いが充満していた。 「失礼しま……す」  図書室の中は、窓から入る日差しで割と暖かかい。すこしだけ開けた窓の隙間から入る夏の風は室内を心地よい温度にしてくれていた。  室内を見渡す限り、利用者はいないらしかった。受付には女子がポツンと座っている。白いシャツに、青い紐リボンが映えていた。きっと、当番の図書委員だろう。  本を返しにきたはいいが、本の返し方ってどうやるんだ。オリエンテーションの時に教えられたような気もするが、ぼんやりと聞いていたので全く思い出せない。とりあえず、司書や先生など、怒られる人がないのにホッとした。 「あのー……」  座っている女子は、扉を開けた音すら聞こえていないように、ずっと下を向いていた。本でも読んでいるのだろうか、入ってきたときも見向きもしていなかった。 「あの、すいません」  図書委員は、変わらずぴくりともしない。静かな図書室に、遠くのグラウンドから野球部の掛け声が聞こえていた。こんな静かな部屋で、聞き逃すなんてあるだろうか。 「あの、本を返しにきたんですけど」  少し大きめに、話しかける。やっと彼女は、ぱ、と顔を上げた。肩の下ほどまで伸びた髪に長い前髪は、目に少し掛かっている。  吹き込んでくる風に、すこし重たいカーテンと彼女の長い前髪が靡く。随分驚いたのか、猫の目の様にまんまるく開いていた。窓から入ってきた初夏の日差しで、瞳がキラキラと光っている。そんな綺麗な目に、少し息を飲む。 「私、ですか」  1人しかいないのに、変なことを言う子だな。そんな言葉を飲み込む。そんな頓珍漢なことをいう女子に、はあ、と返事をする。そのキラキラした綺麗な目は、長い前髪ですぐに隠れてしまった。綺麗なのにもったいない、そんなことを思いながらカウンターに本を出す。 「これを、返しきたんですけど……」  図書委員は、置かれた本をじっとみる。傷付いていたか、なにか折れ曲がっていたかと、内心ハラハラした。先ほどまでの沈默が長く感じてしまう。 「……面白かったですか?」 「え?」 「これ、面白かったです?」  先生がいなくてラッキー。これで怒られないだろ、なんて余裕をかましていた。そんなこと、図書委員から聞かれると思っていなかった。細い声だったが、静かな図書室のおかげでよく聞こえた。まあべつに、読んでないと言ったところで怒られはしないだろう。 「あー……実は、時間がなくて、読んでなくて」  すこしバツが悪いので、誤魔化すように首筋をかいた。実際、時間なんていくらでもあったが、読む気がなかったのだ。 「そうですか」  すこし悲しげな顔をしてまた俯く。別にそのまま去ってもよかったのだが、自分が落ち込ませた落ち度があるため、易々と帰ることはできない。題名に“水の鳴る街”と書いてある本は、ダークな印象の表紙だった。 「……おもしろいんすか、これ」  そんな問いに、また顔を上げる。先ほどとは違い、すこしだけ目を輝かせていた。先ほどのような目に、少し心臓が跳ねた。 「はい……! すごく面白くて私も読んでたんです。周りに読んでる人もいなかったので……」 「そうなんですか……」 「あ、いや、それだけなんですけど……ごめんなさい」 「ああ、いや」  そんな、会話の続かない図書室はすぐ静寂に包まれてしまう。いや、静寂が正しいのだろうが、相手がいる限り気まずさが勝ってしまう。  図書委員は、その気まずさから逃れるように俯く。 靡いたカーテンから溢れた日差しが、睫毛にあたっていた。真っ白い肌に、西日のオレンジ色の日はとてもよく映えている。西日に煌めく長い睫毛は、綺麗だなと思った。 「……これ、もう一回借りていいですか」 「え?」  そうなんですか、で終わる会話だっただろう。小説なんて読んでこなかったから、正直興味すらなかった。けどこのまま綺麗あの目を悲しげに伏せたままにする方が酷だと思った。 「あ、いや……図書委員さんが、そこまで面白いって言うなら読んでみようかなと」  どうせ暇だし。その言葉が委員に届いたか分からないが、貸出カードに書いたらいいんですか? と問うと、はい、とまたか細く返事をした。カウンターに置いてあるペン立てから鉛筆を一本借りる。  手入れのされてない先の丸まった鉛筆は、シャーペンに慣れてしまった自分からしてかなり書きづらかったが、なんとか名前を書き終えた。  挿絵もなにもない、細かい文字ばかりのページに頭がクラクラする。なにか強制されるでもない限り、できれば向き合いたくない本だ。 「ううん、読めるかな……」 「ミステリーですけど、結構わかりやすいストーリーだから……読みやすいと思います」  うーん、と少し唸る。気まずさがなくなった図書室に、おーい行ったぞー、なんてサッカー部の叫び声が届いていた。 「じゃ……なんとか、読んでみます」  小説から図書委員へ、目線を顔をあげる。窓から差し込む光、夏風が吹き込んだ。  カーテンに透けた柔らかな日差しを背に受けて猫のような丸い目を細めていた。図書委員は優しげ笑う。それが一枚の絵のようで、綺麗だと思った。俺とは違う柔らかい髪の毛が、ふわりと風に舞う。 「感想、待ってますね」
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