花園の少女

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花園の少女

 花が咲いている。それもひとつではなく、一面に花が咲き乱れている。白や赤、黄色、色とりどりの花が、見渡す限りに広がっている。花畑の先は崖になっていて、その先には大きな湖が悠然と水を湛えていた。  花畑の中に、少女がひとり佇んでいる。植えられた花に水を与え、雑草を取り除いている。見れば花は乱雑に咲いている訳ではなく、区画ごとに花壇が設けられて、しっかりと整理されている。これだけ広範に咲く花を、この少女ひとりで管理しているとは、考え難かった。  可憐な顔立ちと、華やかな雰囲気を持つ少女だった。わずかに幼さを残した、あどけない愛らしさもありながら、美麗さも兼ね備えたその容貌は、見る者を嫌でも惹きつける。しゃがんで花の手入れをしている姿は無防備そのもので、小動物のようであった。小さく綺麗な輪郭で、顎周りもすっきりとしている。髪は肩まで伸びていて、色はブロンドに薄い桃色が混じっている。瞳の色は、左の眼が深い色合いのブルー。そして右は赤みがかったチェリーピンクのオッドアイだった。 「エレイン様」  不意に声を掛けられた少女は、まるで兎のような仕草で振り向いた。後ろに立っているのは、優しい眼差しで少女を見つめる、長身の女性だった。肌は褐色で、美しいブロンドの髪を持っている。瞳はアンバーの中に、ピンクが入っていた。鍛えられた体と、腰に帯びたブロードソードを含む高品質な装備から、軍人であることがわかる。  二人の瞳は赤みがかった色をしている。それは、紛れもなくデルーニ族の証である。  少女の名前は、エレイン・ベルナード。表向きにはルウェーズ州国を治める公主、ファルディオ・ベルナードの縁戚、ということになっている。  女性の名はイグレーヌ。エレインの世話役であり、護衛を担う親衛隊長でもある。  エレインもイグレーヌも、ある事情から本名を隠して暮らしている。それは、彼女たちにとって守り通すべき最大の秘密であった。 「ここにいらしたのですね。例え敷地内であっても、独りになるのはお控えください。いつ何時、何が起こるかわかりませんから」  厳しく忠告しているようでも、イグレーヌの言葉には温かみがあった。心の底からエレインのことを大切に思っているのだということが伝わってくる。 「ごめんなさい、イグレーヌ。ちょっとならいいかなって、独りで来てしまったの」  いたずらを咎められた子供のように、エレインは舌を出してはにかんだ。その様子を愛おしく思ったのか、イグレーヌはそれ以上何も言わなかった。 「ここに植えたムーンダスト、そろそろ花が咲きそうなの。今年も綺麗に色づいてくれるといいなぁって思ってた」  イグレーヌがエレインの隣にしゃがみ込んだ。春の訪れを嗅ぎつけた蕾が、見事に咲きほころうとしている様は、命の息吹を感じるようであった。エレインもイグレーヌも、じっと蕾の様子を見守っている。  形の上では二人は主従の関係であるが、こうして並んで寄り添っているのを見ると、まるで姉妹のようにも映る。それほど、二人の仲は親密であることが窺える。 「エレイン様は、本当に草花がお好きですね。私もエレイン様の影響で、随分と草花に詳しくなりました」  エレインは恥ずかしいような気持ちになり、照れ笑いをするしかなかった。毎日と言っていいほど使用人やイグレーヌたちを連れて、この庭園の世話をしている。そのたびに全員に花のことを伝えるので、皆が草花に詳しくなるのは必然だった。 「みんなには本当に感謝してる。ここの手入れも手伝ってくれているから。私一人じゃ、さすがに広すぎるよ」 「そうですね。でも、エレイン様が頑張っていらっしゃるから、皆張り切るんだと思います」  エレインとイグレーヌが、顔を見合わせて笑った。明るい二人の笑顔が、庭園の光景をさらに彩っている。 「エレイン様、そろそろ館のほうに入りませんか? 風も出てきましたし、春が近いとはいえ、お体をご自愛下さいませ」 「うん、そうする」  立ち上がったエレインは、手入れ道具を片づけはじめた。すぐに使用人が小走りで駆けてきて、手入れ道具を持った。会釈をしたエレインは、ふと後ろを振り返った。 「エレイン様、どうかされましたか?」  イグレーヌが怪訝な顔で呼びかける。しばらく湖のほうを見つめたエレインは、少し首を傾けて踵を返した。 「なんでもない、気のせいかな…」  エレインはイグレーヌや親衛兵、使用人に囲まれて、館へと歩いていく。  エレイン・ベルナード。その本名を、エレイン・ローゼ・ベルゼブールという。アースガルドでも、ごく一部の者だけが知る彼女の存在は機密中の機密であった。  夕月の皇女(プリンセス・ルーナー)の二つ名を持つエレインの正体。それは、かの英雄ウォーゼン・デュール・ベルゼブールの遺児であり、ウォーゼンが人間族の女性との間に設けた、混血種(ハイブリッド)だった。  イグレーヌの本名は、イグレーヌ・オズワルド・ローレライ。エレインの護衛を命じられた、ベルゼブール軍の軍人であった。  歴史の闇に隠された、ベルゼブールの姫。自分の存在が、時代の歯車を動かす鍵となることを、エレインはまだ知らない。
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