信号

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信号

通い慣れていた通学路。その時は実に八年目。自宅から小学校、そして中学校、どちらも同じ道を、丁寧になぞるように毎日を送っていた。代わり映えのしない、図書館の辞書の棚みたいにおんなじ顔をした一軒家が建ち並ぶ住宅街をずんずん歩いている時間が大半だった。唯一、日によって変化があったのが、家と学校の道のりのちょうど中間地点を垂直に走る、二車線道路と横断歩道だった。なんでも江戸時代の、街道の名残だと言う。   「善い子だね」と言われると、素直に得意げになる子どもだった。だから、一台の車も走らない時間がほとんどのその横断歩道をさえ、どんなに急いでいても信号が赤ならば立ち止まったものである。決まってその無為とも思える健気な時間は、二色しかない歩行者用信号ではなくて、三色の車両用信号をじっと見つめて、一色多い車両の優越に歯痒い思いをするなどしていた。  三色の信号は、几帳面に被った帽子のような短い庇の縁を茶色や黒に、汚していた。よく見てみると、鳥が羽を休めに来ているのかところどころ白い液垂れも被っていて、お世辞にも綺麗とは言えない代物だった。放つ光も妙に暗くて、両親が私を乗せて車で通りかかる度に、「見にくいんだよなあ」と悪態をつくものだった。私はそれでも、この優しく瞬きする赤、黄、緑の顔色をした帽子の三兄弟を好んでいて、駅前でギラギラしているLEDの光を憎んですらいた。  ある晴れた朝、生まれて初めて父親と、激しい口論になった。それは私にとって些細なもの忘れについて、それと同様の失態を普段から平気で行っている父親が激しく咎めたことで起こった、今思えば何でもないぶつかり合いだった。それでもその時の私は、父親のこれまでにない罵声や怒声に動転し、またそれに一抹の怯えと、その数十倍にもなる憤怒が腹から脳天まで駆け上がったことに興奮していた。そして拙い語彙で罵倒を仕返し、通学鞄を持って家を出たのである。  横断歩道に着くと、信号の根元にはヘルメットをした大人たちが何人か話しこんでいた。そのうちのひとり、ちらとこちらを見たその目元には隈があって、灰色の作業着の手首あたりには黒いオイル汚れが見えた。私は信号が赤になるのを待とうと、視線を上げた。  信号は、真新しく薄っぺらい、信号機になっていた。帽子だったものはただのちいさなでっぱりになって、大きな丸い、愛らしい瞳は夥しい複眼の、虫染みた何かに変わっていた。青信号は冷めたまばゆい光を放って、ただ機械的に来もしない車両の通行を促していた。  私の脚は止まらなかった。ヘルメットはこちらを向かなかった。  そうして私は生まれて初めて、赤信号を渡った。
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