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アマメ
玄関の姿見に写った僕のダッフルコートは、雪が染みてみっともない斑文様ができている。
「寒かったろうねえ」
僕は肩にほんの少しだけ残っていた雪を払ってから、「うん」と頷いた。ばあちゃんは、僕に「寒かった」と返して欲しかったようだから。本当はじいちゃんが、車の暖房をつけてくれていたから、駅からの道のりはそんなに凍えて居なかった。じいちゃんはすでに乱暴に靴を履き捨てて、廊下の奥に進んで行く背中だけが見える。
「お母さんには電話しておいたからね。ゆっくりしていいのよ」
ばあちゃんは僕の手を握ってそう言った。僕の手よりずっと冷たく、しわだらけだけどしっとりとしていた。
「ばあちゃん、ありがとう」
僕はそう言って、手を握り返してから、じいちゃんの後を追った。
居間の薪ストーブは手製で、一斗缶を加工して作ってある。じいちゃんが手ずから作った代物だ。煤で真っ黒に汚れているけれど、用は果たしている。僕とじいちゃんはパイプ椅子に座って、ストーブを囲んで暖をとっていた。
「アマメハギ知ってるか」
じいちゃんが火を見つめながら、ぼそりと言った。僕は首を横に振った。
「アマメな。足の裏にできる斑点だ。長くな、こう、足の裏を火に当てるとできる」
僕は恐ろしくなって訊ねた。
「痛いの?」
じいちゃんは少し笑った。
「痛かない。ただ、そうなるだけだ。見た目がそうなるだけ」
「……じゃあ、ハギってなに?」
「剥ぐってことだ。刃物でこそぎ落とすんだ。夜中に包丁を持って蓑を着た鬼が家にやって来て、包丁でこそぎ落としていく」
じいちゃんは少し声を低く落として、唸るように言った。もう中学生なのでいまさらそんなことを言われてもちっとも怖くなかった。けれど、「こわいね」と、火を見つめながら、呟いてみた。
「怠け者だって言ってな。鬼が剥ぎに来るんだよ」
じいちゃんはその話をやめなかった。僕は「怠け者」という言葉ではっとして、じいちゃんを見た。じいちゃんは真剣な顔をして、やっぱり火を見つめていた。
「鬼が見てねえところで必死になって、働いてるかもしんねえのにな。生きてるかもしんねえのにな」
じいちゃんは顔を赤くして、喉を震わせていた。瞳に橙色の光が反射して、揺れ動いていた。僕が「じいちゃん、火に近すぎるよ」と言うと、じいちゃんはふっと笑って、「そうな」と身を引いた。
「あんた」
後ろからばあちゃんの声がした。僕の知っているより少し低い声で、僕に向けて言ったのではないとわかった。
「なんだ」
「スーツ捨てちゃっていい?もう、着ないでしょう」
「…好きにしろ」
じいちゃんは薪を一本手に取って、暖炉に投げ入れた。薪は火に巻かれて、端から燃えていった。
僕は少しだけ椅子を動かした。じいちゃんと、火に、近づくように腰を上げた。
じいちゃんがすっと、僕を遮るように片手を上げた。
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