ガラスの星

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ガラスの星

 近所の古道具屋に何かのネタにならないかと気まぐれに寄ったことがあって、その際目にしたボトルシップにいたく感動した。先に船があって、それをガラスに包んだと言うんで無しに、まあ、先に作って、一度分解して中でまた組み上げているにしても、とかくそんな精緻な手指の扱いを熟す人間がいることが信じられないというありきたりた気持ち。それに加えて、乾ききったガラスの中にうち上げられた船というものに、特別な感情を抱いたのである。  先ごろ、玄関を淡く照らし続けてくれていた電球がだめになった。編集部に原稿を持ち込みに出かけて、結局すげなくされながら食い下がって、意味も無く遅い時間に帰宅したその日である。はじめに受けるはずだった文明の温もりを挫かれて、やにわに気落ちした。けれど明日も生活は続くのだと思えば、何が原因かと調べるべきだと立ち直って、ブレーカーなり調べてみれば、外部に問題は無い。ならばと懐中電灯片手に踏み台の風呂椅子から背伸びして、玄関の気付かず埃っぽい天井に手を伸ばして見ると、なるほど髪の毛ほどのフィラメントが焼き切れていた。  居間の蛍光灯の下で卓袱台に肘をつきながら、白色光を矯めつ眇めつ、もう捨てられるばかりの電球を見ていて、そうしてボトルシップを思い起こしていた。私はやにわに思い立って、電球のソケット部分を金物用の、あの弓のような鋸で切り落として、電球のもっとも複雑と思える部分を取り外した。残ったのは実に器用に成形された美しい曲線を持つ、きのこの形のガラス球だ。それ以上でもそれ以下でも無く、ただやたらに触り心地が良い球体もどきの物体。  私は窓際に赴いて、小学生のスポーツ刈りのように短く切り揃えられて間もない豆苗のプラスチック皿に手を伸ばした。そうしてそこから、ちょうど500円玉くらいの径を掴んで根ごと引きちぎって、卓袱台に戻った。不安定に転がっていた電球の、短く伸びたソケット部分から豆苗の根の塊を差し入れると、内側を少し汚れた水で濡らして、塊のままに電球の底に滑っていった。不毛のガラスの内側に、たちまちに薄い緑と、ほんのり濁った水が広がって、小さな湿地のようなものができた。  計量カップから100mlの水道水を流し入れている時、自分が万能感を得ていることに気づいた。私は今、このひどく狭いガラスの星の中に、一個の循環を作ろうとしている。豆苗が茎をのばし、葉をつけたら、やがて口を塞いでしまえば、ガラスの中で一個が完結するに違いない。自らの夜の呼気を自らの昼の光合成で無かったことにする。水は蒸散と吸収を繰り返して、決して総量を減らすことは無い。ガラスの身体で息をして、生きる。そういう脆い、けれど完結して、なんにもない。ホムンクルスなら、まだ禁忌的価値もあり得たろうに。   私はボトルシップを思い出す。あそこに命は無かったけれど、私が打ち震えたのは、水一つないガラスの星の中の、枯れた船。それは物語だった。
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