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20話
翌朝、日が昇ってすぐハルさんとフラテは馬に乗って出ていった。ゆっくり向かったとしても2日で村にたどり着くらしい。早く帰って来てほしくて3日目には家の前で、道の遠くをじっと見つめる時間が増えた。
ベル達は毎日遊びに来てくれた。そこで改めて、どうして私がハルさんの偽物の嫁になったのかを改めて説明し、各々の自由な意見を教えてくれる。最初はびっくりしたけど、でもよく考えたらベルとハルが仲良くしてるところなんて見たことがなかったからブルーズが来てもすんなり受け入れられたとか、ブルーズに向けるハルの熱視線は最初から半端なかったとか、付き合ってても交換日記は普通しないとか、2人で踊った時傍目から見ればすでに結婚していたとか、いろいろなことでイジられる。
そして私の親の返答次第だけど、正式に結婚すると思うと伝えたら3人共喜んでくれた。
時にはハルさんのお母さんを交えて女子会をすることもあった。ハルさんとベルで婚約したのは良かったけど、やっぱりそこまで仲が良くなかったのねと苦笑し、親が気付いてあげるべきだったわ、と反省しているようだった。
ベルは自身にも問題が合ったからと謝ろうとしたが、ハルもベルも親の身勝手に巻き込まれたんだから大丈夫よ、とお母さんは許してくれたみたいだった。
着付けをしてくれた婦人会の人たちも様子を見に来てくれた。「あなた、ガリガリなんだからもっと食べなさい!」といって大量の食料をもらってしまったので、貰った食材を使ったお菓子を作って婦人会の日に持っていくと喜んでもらえた。
夜はお父さんとお母さんの3人で食事を食べた。ご両親からは、ハルを好いてくれてるのは嬉しいし、嫁に来てくれるのは大歓迎だけど、一緒に暮らしていたんだから好きな気持は勘違いじゃないだろうか、冷静に戻ったときに別れたくならないかい、大丈夫かいと何度も何度も確認されて少し困ってしまった。
4日も過ぎると顔のあざはほとんど消えていた。少し黄色いところもあるけど明後日には消えそうだし、万が一残ってしまったとしても化粧で十分対応できる範疇に思える、逆にガーゼがある方が目立つので取ってしまった。お医者様のところにもお礼を兼ねて診察に行ったけど、あんたは頑丈だねぇ、骨が折れてても本当はおかしくなかったんだよ、もう来なくて大丈夫お大事に。と言われてしまい、少し恥ずかしかった。
5日過ぎても戻らなかったので家の前で待っていると、近所の子供達に「お姉ちゃん何でいつも道の向こうみてるの?」と声をかけられた。お互い暇だったので一緒に蹴鞠をして遊んだら、お母さんに年頃の娘なんだから、と怒られてしまった。それならと地面に文字や絵を書いて一緒に遊んだ。計算問題を出して遊んでいると、やけに計算の速い子がいて少し自信を失った。
ハルさんがいない間も毎日日記は書いていた。返事がないのが少し寂しいけど日記は普通1人で書くそうだから、それなら少しつまらないなと思った。
ぱらぱらとページを捲って、過去に書いた日記を読んでみる。最初の方は本当に酷い文章だった。文法も滅茶苦茶で字も汚い。筆圧が必要以上に高かったのか、鉛筆が真っ黒に削れて反対側のページに文字が写っているような箇所もあった。
内容も最初の方は食べ物とか、その日にあったことを書いて、美味しかったとか楽しかったとかそんなものばかりだ。最近は私も人間らしい文章と字が書けるようになった。書きたいことも以前と比べるとより正確に表現できるようになったのを見ると、自分のことながら成長を感じる。
対してハルさんの返信は最初から変わらない様に見える。でも、今思うと、少しだけ難しい言葉をわざと選んで記してくれているように見えた。仕事で変な客が来たとか、ご飯を食べる暇がなかったみたいな何気ない日常のことから、喧嘩した日は謝罪の言葉が書いてあったり、私が書いた日記に関するハルさんの思い出話とか、俺はそれならこっちのほうが好きとか、ハルさんの人となりの分かる文章が詰まっていた。見たことがないなら1度海を見に行こうか、とかそういうお誘いの内容が書いてあることもたまにあった。
たまに気が小さくて、でも優しいんだな。綺麗で整った字からは真面目さが伝わってくる。友達は多いはずなのに遊びに行くことも殆どなくて、なるべく一人ぼっちにならないように配慮してくれていたと思う。
どんなに疲れていても時間を作っては勉強を教えてくれて、一緒にお喋りもしてもらった。2週間踊りの稽古をすることになったら練習の踊りに付き合ってくれた。
ハルさんの最後の返信がついている日記は、お祭りの前日のものだった。
花嫁と花婿の踊りは、村の人から出演者がいないから出てと頼まれたのもあったけど、「本当は私が出たかったからいいよって言った。」と、事後報告する形で日記に書いたら、下手くそな絵だけが添えられてるものが返ってきて、伝えたいことが理解できずにやけたことを思い出した。
ハルさんと途中からは両思いの状態だったと思って読み返してみると、お互い無自覚に感情がむき出しになっている様な文章や、たまに夫婦みたいなやり取りをしているページがあることに気付いて、何を考えていたのかがわからず恥ずかしくて途中で読めなくなった。
そりゃあ、ベルたちが弄り倒したくなるはずだ。
7日目の夕方に、やっとハルさんとフラテが帰ってきた。それどころか私のお父さんも一張羅を着て一緒に馬に乗ってついてきた。お父さんは私を見るなり馬から飛び降りて、背骨が折れそうなくらいの力で抱きしめてから大声を上げて泣いた。心配させてごめんなさいと私も泣いてしまった。
でも存分に抱きしめた後は、年頃の娘がなってないと延々と小言を言われた。フラテがまぁまぁと仲裁してくれる。
お父さんはご両親に挨拶をしてから1度私と2人きりになって、私の本心を聞いてきた。一生の問題なのだから、しっかり考えなさいと真っ黒なぎょろっとした目をこっちに向けている。私は少し恥ずかしかったけど、ハルさんが良いと伝えると、お父さんは一息ついて「分かった」と返した。
そこからは滞りなく進んだ。再びご両親とお父さんが顔を合わせて話し合いを始める。お互いに謝り倒してから家の商売などの話をして、ある程度親睦を図ってから結婚に関する話をし始めた。その間は出てなさいと子供組は追い出されたので、やっとハルさんとフラテと話すことができた。
「父さんも母さんも今まで見たことがないくらい泣いて安心しとったぞ。隣のばあちゃんとかもな。父さんたちの話が終わったらお前も1回帰るからな、準備しろよ。それで、村の全員に顔を見せにいこ。……にしてもこいつ目立つからさ、もう村中お前らの話で持ちきりなんだわ。ブルちゃんが外人の旦那手に入れたらしいってな。」
家の中にいるのも窮屈なので外に出て適当な段差に腰掛けた。フラテの話を聞いてハルさんが少し恥ずかしそうな顔をしていた。
「まぁ外人じゃないけど、言葉も通じるし。国じゃなくて民族違いだし、何ならうちが少数派なんだって言っても村の女子供はほとんど村から出たことがねーから話通じんかった。……とりあえず帰る前に覚悟決めとけ。すげーわ。」
「えー……、うん……。」
家には帰りたいけどその光景を想像するとげっそりした。
きっとハルさんは村の子どもに取り囲まれたり、コソコソと見られて気疲れをしているだろうから後で労ろうと思った。
「カグラバはどうなるかわかんね、まだ捕まってんだろうけどそのまま勘当するか、村に戻すか、親父さん可哀想なくらい頭抱えてとったわ。あそこは1人息子だし、出来も良かったからずっと自慢の息子だったもんな。まぁ、あんな事あったから、今は実質村八分みたいな状態だよ。悪いのはカグラバなんだけど、もしかしたら家ごと出ていくかも。」
カグラバの両親は私も知っていた。まだカグラバに苦手意識が無いくらい小さな頃はブルーズちゃんはいつもいい子で偉いわねと言って、頭を撫でながらお菓子をくれるような優しい働き者の夫婦だった。また、カグラバには小さな村を飛び出て働ける様に、不自由をさせないようにと、山の麓にある町の学校に通わせる子煩悩なところもあった。途中でカグラバが私をいじめるようになったので私は疎遠になってしまっていたけど、昔の事を思い出すと胸がチクリと傷んだ。
「お前のせーじゃねぇから気にすんな。じゃ、俺その辺散歩してくるから、呼ばれたら探しにきて。」
そう言ってフラテは私の頭をばしばしと叩くと市場の方へと消えていった。
「ハルさん疲れてますか?」
ハルさんの目が少し虚ろのように見える。
「ごめん、いや、大丈夫」
そう言って目をこすって、少し体を伸ばした。
「俺さ、ブルーズの親父さんにボコボコに殴られるのを覚悟して行ったけど、フラテがすごく気遣ってくれてさ、みんな良くしてくれたよ。結婚の申込みもすんなり認めてもらえてちょっと拍子抜けだったかも。」
うちの家族はさっぱりしてるところがあるので、想像するのは容易だ。ハルさんはそれよりも、替え馬じゃないのに、フラテが約60kmあるトルトゥーガの村までの道のりを1日で無理やり駆け抜けようとしたことと、ブルーズの無事と結婚を祝って、家族と親戚、関係ない村人も集めての酒盛りが始まり、連日飲まされたのが一番キツかったと遠い目をしていた。
「でも、ブルーズがすごくみんなに愛されてるのが分かったよ。幸せもんだよ、俺は。」
膝を抱えてこっちを見る。目が合うと顔がほころんだ。
「これから改めてよろしくね。」
秋の訪れを報せるような少し涼しい風が2人の髪の毛をなびかせた。初めてこの村にやってきたのは夏が始まったばかりだったのに、もう少しで季節も移ろいでしまう。
嘘から始まった変な関係は、雪玉みたいに転がり続けると段々と大きくなって、多くの人を巻き込んだ。たくさん迷惑をかけてしまった。でもその雪玉みたいな嘘も、人々の優しさで溶かされて許してもらえたことで温かい水に戻ってしまった。結局、たまたま運が良くて、人にも恵まれたことに尽きる話なんだろう。今度は、これからやってくる秋の恵みみたいに、みんなから貰った優しさを、この人と一緒に返していきたいと思った。
私は微笑んで「これからは嘘なんてつかずにいきましょうね」と返すと、
「本当だね。」とハルさんが笑った。
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