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02 蛇の如き呪い
俺・羽村リョウジは死にかけていた。いつものことだ。すぐ死にかける。
「う――ぉぉおおおあああああああッつ!!」
目の前を、髪の長い女のカタチをしたバケモノが通り過ぎていった。アスファルトを這う異様な音。鱗に覆われた、蛇のような下半身と人型の上半身をあわせ持つ神話的怪物だった。
しかしその両腕が、巨大なブレードのようなオプション付きだったからさぁ大変。
「先生。俺の新品のシャツが裂けました」
「ハッ、どうせ安物だろ。またユニ●ロで買えばいい」
専門店で買ったやつだってのに。非情極まる先生様は、無残にざっくりシャツを裂かれついでにハラワタまで裂かれるところだった弟子になぞ目もくれず、怪物をじっと睨みつけるのみだ。
黒髪黒セーラー服、人形のような美貌。ただしその言葉は横暴で、その中身はもっと横暴だ。
「おい弟子。おとりになって死ぬ気はないか? あのブレードの切れ味を把握しておきたい」
「弟子を、敵の試し斬りに使わないでください。扱いが大根以下だ」
「大根より役に立ってから言え。ここのところお前は気が抜けすぎだ。何故その有様で生き残ってる」
そりゃ、必死で生き残ろうともがいているからだろう。
時刻は深夜、月もなく、縁条市の夜は今日もひと気ゼロ。場所は鉄柱が立ち並ぶひとけのない工事現場、ただし撤退してしまったのか随分まえから物資がそのまま放置され、雑多な有様だ。鉄柱はコンクリートの流し込みが中途半端だし、鉄骨は積まれ、パイプにパイロンにクレーン車まである。
そんな工事現場の真ん中で、ステージよろしくな立ち位置で金切り声を上げるバケモノがいる。先の、下半身が蛇ないわゆる蛇女的なやつである。裂帛の叫び。その凶悪な姿に先生サマは、得心したように言ったのだった。
「成る程。ずるずる地面を這う『這いずり女』って名前だけが都市伝説化していたが、ふたを開けてみればそういうことか」
「ああ、確かに這ってますね。ヘビですから」
「移動するときも体勢が低い。ヘビの狩りだって、わざと体を起こして狩りをするわけもないからな。そりゃあ襲われた側は、ずるずる地面を這い寄る女に襲われた気になるわけか」
ばちり、と這いずり女の輪郭がかすみ、その全身から色濃い黒色が滲み出す。実体なき幻想の証。師匠は刀を低く構えながらうめいた。
「――“呪い”だ。さて、あいつはどんな“呪い”を持っているのかな」
苦痛憎悪絶望渇望。それら人間の怨嗟は堆積し、やがてバケモノのかたちとなって具現化する。
願望具現化疑似現象――――“呪い”。
「いくぞ――ッ!」
黒セーラー服の先生が、音の速さで掻き消える。残像が残りそうだった。見えたのは、月光を反射する名刀『小笹』の銀の輝きのみ。
先生の斬撃はコンクリート柱を割り割いているが、俊敏に反応した這いずり女は逃げ延びている。その背後に滑り込んでいたのが俺。
「――死んどけ!」
くるりと短刀『落葉』を回して逆手。容赦なくその心臓めがけて突き出すが、師匠の一撃がかわされた時点で気付くべきだった。
「……は?」
超反応で、かわされている。俺の突き出した短刀は虚しく空を切る。
「逃げろ、馬鹿弟子が――ッ!」
ありがたい師匠の声が届くことはなく。少年漫画のように華麗な展開もなく、馬鹿弟子こと俺は、蛇の尾の痛打によって紙くずのように吹き飛ばされ派手に資材を撒き散らして墜落するのだった。
「また死んだ!? おい、ふざけるなクソ弟子! いいかげんにしろよこの無能!」
理不尽極まる師匠の叱責だが、こちらは割と洒落になっていない。鉄パイプの山に頭から突っ込んで血を流し、全身を打撲し、脳震盪を起こす。
「あー…………」
無気力である。こんな状況でなんだが、俺の名前は羽村リョウジ。縁条市所属異常現象狩り、その末席に身を置く弱者である。
先に明かしておくと、隠されたチート能力の類は一切ない。いわゆるザコの噛ませだ。
「過去最速敗北記録を更新しやがったな、このクソ弟子が……」
噛ませはとっととギブアップして、大の字に寝たまま考察役に徹するとする。
「いてて……先生。あいつ、速くないっすか」
「気付くのが遅い。速いよ。かなり速い」
蛇に似ているから、ではない。ラミアの全身から立ち上る、色濃い呪い。濃度が強すぎて景色を埋めてしまいそうだ。狩人として怪物を視てきた経験が告げる。
「呪いが、強い?」
「そういうことだ。どうにも、よっぽど怨恨が深いらしい」
願望を具現化する呪いという異常現象は、その負の感情の大きさに比例して強くなる。恨み妬みが深ければ深いほど強敵になるのだ。俺は震える腕で半身を起こす。鉄柱を這って登っていったラミアに、先生は注意深く刀を構えた。
「なるほど……それでさっきの超反応っすか」
「ああ。そこらの半端な狩人よりは速い」
「そこらの半端な狩人としては、嫌になりますねぇ」
はぁ、とため息しながら血を拭う。これでも受け身は取っている。蛇女の雄叫びが聞こえて、先生の方を見ると、頭上の鉄骨を這い回る音が聞こえる。先生は、刀を顔の横に構えた。
蛇女が、凄まじい速度で斜めの下降線を描く。それを先生は、野球のフルスイングのような横薙ぎで受けて立つ。
「だ――ッ!」
凄まじい衝撃が夜闇を切り崩す。びりびりと肌が痺れ、そして、跳ね返された蛇女は一直線に俺に向かって飛んでくるのだった。
「……は?」
蛇が、跳ねる。狙いは俺。間抜け面晒して呆けている無能だった。
「おいおいおい――!」
こちとら負傷中の身だ。場外気分でいたのが不味かった。蛇女の腕のブレードが鼻先に迫る。まったくもって予想外の不意打ちに、俺は慌てふためき、無様を晒しながらニヤリと口の端を吊り上げるのだった。
「――いまだ、アユミ!」
断ち切るように、上空から降り注いだのは双剣の切っ先。ガラスを破るようにブレードを破壊し、驚愕した蛇女に肉薄するのは――――凛とした瞳の、赤い髪の少女。
高瀬アユミ。俺の相方だ。
「そこッ!」
短剣のナックルガードに守られたアユミの拳が、バケモノの顔面めがけて大砲の威力で打ち込まれる。しかし、バケモノはしぶとくそれを残ったブレードでガードし受け止める。少女の細腕などあっさりと受け止められるに決まっている。そこでおかしなことが起きた。
「うぉっ!?」
衝撃波が駆け抜け、俺も吹き飛ばされる。アユミが放った右拳の一撃。それは、凄まじい唸りを上げてバケモノの体躯を薙ぎ飛ばし、鉄骨にめり込ませて地響きを聴かせる。あまりの圧力に、ナックルガードから煙が上がったのが見えた。
「ふぅ――」
細い吐息、小さな体。だが、アユミはその細腕に原理不明の怪力を宿す、強力な狩人だ。さらりと流れる赤髪と、まだあどけない横顔。普段は穏やかな少女だが、戦闘時はこうして別人のように優秀さを発揮する。俺もいい加減立ち上がることにする。
「さすがだなアユミ。一撃か」
「羽村くんが囮役を買って出てくれたからね」
さて買って出たのか、単にやられただけなのか。
鉄骨にめり込み動かなくなったバケモノの姿に、先生が邪悪な笑みを浮かべてのたまう。
「仕留めたか」
「いらんフラグを立てんでください、しかもわざと」
師匠の悪巧みは成就せず、這いずり女は黒紫の呪いの粒子になって崩れていった。呪いで構成されたバケモノは、死ねば残骸は残らない。泡沫の夢のように消えるのみだ。
勝利である。
しかし、俺たちの気は晴れない。それもそのはず。
「これで何体目でしたっけ」
「さぁ。途中で数えるのはやめた」
うんざりと零し合いながら、撤収することにする。アユミが手早くバックアップに電話し、事後処理を依頼している。
「しかし、何なんですかね一体。下半身だけ蛇って、どういう心理なんでしょうか」
「さて。そういう願望が具現化しているはずなんだが――呪いは、そいつが痛切に願った目的の具現だからな」
「半分だけ蛇になりたいとか思います? それもあこまで痛切に」
「単に蛇になりたいわけではないだろう。もっと何かあるんだよ。別の解釈がな」
「ははぁ」
しゃん、と先生が日本刀を肩に担ぎ上げる。
「なにはともあれ、どこかに術者がいる。それを倒すまでは永久に蛇女退治だ。毎晩でもな」
「困ったもんだ」
気が重くなる。蛇のようにしつこい呪いが、縁条市の夜を脅かしていた。
短刀を拾い上げ、そこに映った死んだ鳥類の目をした自分を見下ろす。
人殺しの目。
人殺しの手。
異常現象と戦い続けるというのはそういうこと。
「………本当、狩人は過酷だ。」
俺たちは“狩人”。
呪いより生まれし異常を狩る者だ。
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