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03 渇望
翌日昼間、俺たちは縁条市狩人の本拠である早坂神社を訪れていた
早坂神社は年季が入っている。決してボロくて古いわけではない。そんな形容詞は、あの賽銭箱の前で仁王立ちしている神主代理の早坂雪音さんが許さない。
巫女服の雪音さんは不満たっぷりに叫ぶのだった。
「何なのよ一体! 何体倒せば終わるわけ!?」
どーんと青空に響く。ぴきり、と黒セーラー服の先生が青筋を浮かべ、日本刀に手をかけた。
「知るか。本体の術者を倒すまで終わらないんだろ、それくらい分かれよクソ巫女」
「だったらとっとと倒すべーし! 文句言ってないでキリキリ働きなさい、このクソ魔女!」
ばちばちと、巫女と魔女が火花を散らす。言うまでもなく犬猿の仲だ。しばらく唸りながら睨み合っていたが、雪音さんの方から口火を切る。
「減給」
「あぁん? 労基に訴え出るぞ、このクソ巫女」
「ご安心なさいな。狩人なんて胡散臭い組織、市政が相手にするわけないじゃないあっはっはっは!!」
高い位置で高笑いする巫女さん。今日はテンションが高い。それを睨み上げながら、先生がうめいた。
「総括がそれを言うのか」
「言うわよ、言いますとも。私たち狩人なんて、世間から見ればへのへのかっぱ」
そう、雪音さんこそは縁条市狩人の総括、つまりラスボスだ。俺たちは全員、雪音さんの部下ということになる。それに物怖じするうちの師匠ではないが。
「はっ、秘密裏に動く狩人が世間から見られてたまるか。暇すぎて幻覚でも見てるのか」
「言うわねこのクソ魔女。血を浴びすぎてとっくにイカレちゃってるくせに」
「あぁん? 法廷に突き出すぞ、この責任者」
「お生憎様、狩人が法律で裁かれるわけないじゃないあっはっは! 権力が蠢いて裁判官が暗殺されるわよ」
耳を塞いで聞かなかったことにする。このままでは埒が明かない。
「先生、雪音さん。そろそろ本題に入りましょう」
「羽村君に会議が長いって言われてるわよ、クソ魔女」
「はん、よく考えろ。仕事なんてオマケで、会議でどれだけ自分の評価を稼ぐかが本題だ。仕事なんてどうでもいい。真面目に仕事なんてするやつは馬鹿だ」
「いやいや本っっ当わかんねーなー。巷で噂の怪異・這いずり女って、なんで下半身は蛇なんだろーなー。呪いは願望の具現のはずだ。どこかに術者がいてそいつの深層心理が反映されてるはずなんだし、一体どんな心境なら蛇女になって人を襲うような呪いになるんだろうなーこの無能の脳では理解できねぇなぁーなー」
あえて強い声で二人の罵り合いを遮る。効果はあったようで、雪音さんがようやく顎に手を当て、真面目に考え始めた。
「そうねぇ。下半身が蛇。でも本質は蛇そのものじゃないと、霊視ランクAの私は睨むわ」
「へぇ、蛇は本質じゃない。一体どういうことなのか気になるなぁーなー」
「簡単よ。這いずり女の被害者は、皆一様になぜだか下半身へ負傷が集中していた。それと、上半身だけ人間の怪物の姿を照らし合わせれば単純明快」
ぴんと人差し指を立て、縁条市狩人総括は教師のような顔をして未来予知じみた核心を突くのだった。
「――――『下半身が蛇』なのではなく、『人間としての下半身がない』。これが正解なのだと思うわ」
ああなるほど、とさっきまで犬猿していた先生もうなずく。
「そういうことか。下半身のない怪物が、人の下半身を奪おうとしている。心理としては随分と理解しやすくなった」
「ええ、怪物は――怪物を通して術者は、自身の『欠落を埋めようとしている』。簡単なことね。下半身という欠落を埋めようとしているのでしょう。これはそういう構造で、そういう“呪い”だった」
思わず感心してしまう。これが雪音さんが総括たる所以だ。
「これで犯人像が分かりやすくなりましたね」
「ええ、間違いない。犯人は、きっと――!」
向かい合い、雪音さんと先生が示し合わせたように人差し指を立て、同時に口にするのだった。
「人間の大腿の肉を食べたがっているのよ!」
「人間の脚を収集する趣味があるわけか!」
「…………」
「…………」
まったく、別なことを。二人の間に最悪な空気が流れ、俺とアユミはいやな汗を流す。
「……えっと、クソ魔女。這いずり女は人の下半身を求めているのよ? なら目的は大腿。人食癖があって、肉付きのいい下半身を求めている、そうは思わない?」
「いいかげんにしろよ、クソ巫女。人肉を食いたい? 違うさ、違うに決まってる。だって蛇だぞ? マニアックじゃないか。あのサイコな目は、向き合ったオレにしか分からない。そう、あいつは人間の下半身を蒐集して昏い喜びに浸っている。絶対そうだ、間違いない」
また火花が散り始める。いよいよ、境内に不似合いな不吉な叫び声まで上げ始めて頭痛が痛い。
「人肉!」
「蒐集!」
「人肉!」
「蒐集!」
「人肉だってば! 食べたいの! 人間の下半身を骨まで残さず喰らいたいの!」
「人肉は不味いんだよ! それより蒐集して眺めるのがいい。そう、造形美だろう。人間の足を大量に天井から吊るして、夜の部屋に並べてだな」
何の話をしている。心底参拝客がいなくてよかった。
「…………あ」
不意に顔を上げて気付いたが、鳥居の上に着物姿の不吉な双子がいた。早坂神社のオプションだ。どうでもいい。
どこまでも罵り合う先生たちを仲裁するようにアユミが入り、精一杯の笑顔で仮説を口にする。
「えと、実は術者が『歩けないから』――っていうのはどうでしょうか?」
ぴんと人差し指を立てて。先生と雪音さんが停止する。俺は思わず漫画のように膝を叩いた。
「なるほど。足りないのは下半身でなく、二足歩行か。歩くことのできない人間が術者だから、その代理が蛇なわけだな」
「そう、下半身がないのはあくまで喩え。抽象的な心理の具現だと思うの。健康な脚に憧れる、歩くことのできない誰かの呪いが、蛇女となって人に襲いかかっている。そういう可能性はどうかな?」
「…………」
「…………」
先生と雪音さんが黙考する。こりゃ刺さっただろう。しばしあって。
「いややっぱり人肉じゃない?」
「いいや、蒐集家だな。間違いない」
どこまでも自分を曲げない巫女と魔女だった……!
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