序章

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序章

 重い鈍色の空。降り続く雨に街は紗幕を被ったように灰色に沈む。  雨の臭いが充満した静かな車内。  心臓の鼓動のような振動は、眠りを誘う。  不意に重くなった瞼を引き開けて、傘の柄を握る手に力を込めた。 (この雨はいつまで降り続くのかしら)  車窓を流れる雫を睨んで、細く息を吐いた。  憂鬱になるのは湿った空気や雨粒だけが理由ではない。  眠りたくなかった。 (眠れば――あの夢を見る)  雨の日に繰り返し見る夢がある。  何故その夢を見るのか――理由は分からない。  心地よい揺れに再び重くなった瞼は抗い難く、ずるりと意識が闇に飲み込まれた。  ――ぽちゃん。  ひときわ大きく響く、水の音。  驚いて目を開けた。否、はずだった。  ――暗い。  気が付くと周囲は薄闇に包まれていた。  目の前にあるのは湿った苔のついた石の壁。  ――寒い。  立ち尽くした胸まで水に浸かっていた。  どうしてこの場所にいるのか、分からない。  ――薄暗く、黴臭い。  ひんやりと冷たい空気と水は体温を奪い、寒さに肩を震わせた。  水の中で自分を抱くように腕を抱き寄せた。 (――まただ)  立っている場所は暗く、そして狭い。両手を広げれば壁に手が届きそう。  石の壁は身の丈をはるかに超え。見上げるほど高い。  天井の代わりに見えるのは、丸く切り取られた藍色の空。  薄雲のベールをかぶった、頼りない三日月が見える。  月明かりは弱く、周囲を照らすには足りない。 「――誰か……!」  不安で漏らした声は割れ鐘のように響き、鼓膜に突き刺さり、痛む耳を塞ぐ。 (ここから、出なければ)  壁に触れた手のひらが、ぬるりと滑る。かすかな水音を立ててはがれた苔が沈んでいく。 (あれが来る)  苔がはがれた壁をひっかき、隙間に指がかかった。  だが、わずかな手がかりではここを抜け出すことは叶わない。 「誰か……!」  助けを求める声に応じる者はない。  冷たい水に体を震わせ、再び壁へと手を伸ばす。  手掛かりを求めて壁をひっかく。やがて爪が割れて指先が赤く染まった。  水面にぽたりと滴った、血の色。  刹那、視界をよぎったそれに頭を打たれ視界が赤く滲む。  頭上に子供の笑い声を、聞いた気がする。
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