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 デジャヴ、という言葉がある。既視感だったり既知感といってもいい。  自分が一度も体験、経験したことがないはずの出来事をまるで知っているかのように思う感覚のことだ。   友人との会話中にふとした瞬間の話題の変遷に抱く、あれお前この話前にもしなかった?みたいな思いだとか、旅行に出かけて初めて見たはずの景色が記憶の底から引っ張り出した心象風景と重なっているように思うようなあの感覚。  似た記憶や感覚を脳が誤認するせいだという話も聞くし、実際人間は気づいていないだけで未来を見ることがあるのだという人間もいる。まあそのあたりの真偽はなんでもいい。  17年も生きていれば人生いろいろなことがあるもので、俺は今まさにそれを経験している。  それも人生観がひっくり返るような、飛びぬけて衝撃的なやつを。 「やだ…ッ!ごめんなさい、ごめんなさ…!」 「はあ?謝って許されるわけねえだろ?ちゃんとカラダで払ってもらわなきゃなあ!」 「あ、ッ誰か…!」  放課後、第二体育倉庫裏。  普段はほとんど生徒の往来などないその場所には今、3人の人間がいた。  1人は姫園恋歌。倉庫の壁になかば押し倒されるようにして押し付けられている。その目には涙が浮かび、美少女然とした顔は悲壮に歪んでいる。  もう1人は当馬雄二。2年の素行不良生徒で、火遊びや夜遊びの噂がある。姫野の両腕を抵抗できないようにまとめて壁に押さえつけている。  そして俺、黒野嗣仁。二人の後ろにある木に隠れて様子をうかがい、時折写真を撮るなどしている。  いや、この紹介だけ見ればまるで俺が不良に襲われているか弱い女の子を助けないどころかその現場を道楽で記録する救えない変態みたいだが、それは断じて違う。違うのだ。状況的に察してくれと言えないのがつらいところだが、いや、まあその話は後で構わない。今はそれよりも重要なことがあった。  この世に生を受けて18年。知らない方が幸せだっただろうことも世界にはあると学んでしまった。  なぜか?俺は今さっき気づいてしまったからだ。  この世界は、BLゲームの世界だと。  より詳しく言うのなら、魔法あり呪いありの家庭用携帯ゲーム機ソフト「罪の指輪と聖なる血の誓い」の世界であると。  突然頭がおかしくなったわけではない。  姫園が当馬に押さえつけられている光景、全く同じものを俺は前にも見たことがあったからだ。  全く同じもの、といっても、同じ場面に遭遇したことがあるわけではない。  俺が見たことがあったのは、これとよく似た一枚絵だ。俗にいうスチルというやつである。主人公が聖峰学園に転入してきた当日、放課後に体育倉庫に行くと発生するイベントの。  ここまで話せばうすうすわかるかもしれないが、俺には前世の記憶というものがある。というか、今しがた思い出した。  要するに、普通の大学生男子だった前世で姉貴に買収されてスチル回収をしていたBLゲームのイベントにそっくりなイベントが目の前で起きていて、そのせいでなんとなく「あれ?俺これ前世で見たことあるんじゃね?」ってぼんやり思い出したわけだ!  クソ、こんなしょうもないことで前世思い出したくなんてなかった!!天から声が聞こえてだとか不思議な光に導かれてだとか、そこまで贅沢はいわないが、それでももうちょっと重大なイベントであるべきだろ!前世だぞ前世!  というか、今はやりの異世界転生にしてもなんでBLゲームなんだよ!俺だって男だ、どうせならタイプの違う6人くらいのかわいい女の子たちに囲まれてキャッキャウフフしたかったよ!!なんで男と男がキャッキャウフフする運命の世界なんだよ!!  しかもなんでよりにもよって黒野嗣仁!?だって黒野といえば____ 「わあああ!」  姫園の悲鳴が思考を遮る。  そうだ、今はイベント__いや、捕り物の真っ最中だった。  まとまらない考えをとりあえず振り払い、倉庫の方を見る。当馬が姫園の服に手をかけているところだ。それを確認すると俺は木の陰から走り出し、当馬の肩に手を置いた。 「2年2組、当馬雄二。現行犯だ、大人しくしろ」  色々あって混乱してはいたが、それでもなんとか言うべき台詞は口から出てきた。  黒野嗣仁は、ここ聖峰学園の風紀委員長だ。学園内の風紀維持に静かな執念を燃やし、その為には手段を選ばない。男同士の恋愛も風紀を乱すとして取り締まりの対象であり、また諸々の事情から主人公に当たりが強い。「罪の指輪と聖なる血の誓い」では悪役__中ボスポジだった。  黒野嗣仁といえば、「罪誓」でも指折りの悲惨な退場の仕方をする悪役だ。  ちゃんと説明すると長くなるので要約すると、主人公の恋人の権力によって一生謹慎処分になるか、主人公の恋人の権力によって死刑になるか、主人公たちとの戦闘に負けた後の心の隙につけこまれてゲーム終了までラスボスの手駒として飼い殺されるかの三択である。  うん!シンプルに救いがない!というかほぼ詰んでないか?どうすりゃいいんだこれ。 「なっ、風紀委員!?」  当馬が驚いたようにあげた声で現実に戻ってきた。 「理解が早いな。両手を挙げて投降しろ」  なんというか、俺の台詞と心の声が一致しないのはもう仕方がない。仕様だと思ってほしい。唐突に前世の記憶が戻ったからといって、生まれてから今まで17年間黒野の嫡男として育てられてきて染みついたものは変わらないのだ。  内心記憶だの感情だのアイデンティティだの色々とぐちゃぐちゃで大分動揺している俺だが、傍から見れば鉄仮面もびっくりの真顔であるのも黒野の教育の成果である。 「…クソッ!」  投降しろという忠告とは反対に、当馬はポケットに手を入れると、禍々しい意匠の黒い指輪を取り出した。 「な…その指輪は___!?」 「絶望と暗黒のベルネフィリウスが臣下、ここに請う!我が祈りを聞き届け___」  詠唱。空が揺れた。周囲の空気が黒く濁る。瞬時に周囲の木が枯れ、草が腐り落ちる。背筋を冷たいものが走った。なにかが来る。よくないものが___アレが、来る。赤黒い塵のようなものが巻き上がり、当馬の前に像を結ぼうとして___ 「姫園!」  咄嗟に叫んだ。 「はいはーい!」  当馬の後ろに倒れこんでいた姫園はそれだけで理解してくれたらしく、ぐっと拳を握って顎の近くに引き寄せた。 「はい、おやすみっ!」  きゃるん、と効果音のつきそうなポーズとウインクとともに、姫園の小指にはめられた指輪が光る。  一拍遅れて当馬の体が崩れ落ちた。地面とぶつかる前に受け止める。  見回すと、当馬の失神と同時に周囲の光景ももとに戻っていた。  心の中だけでほっと息をつく。実質的な被害はゼロだった。  あの指輪。あれには見覚えがあった。あれは主人公が中盤で起こすイベントのアイテムだ。正しく起動されていれば最悪、この学園そのものを呑み込んでいた。  間違っても主人公の転校前に学園内で使用されていていいものではない。いや、風紀委員的には主人公関連でも使用してほしくはないけども。  当馬が持っていたというのも気になる。生徒会や風紀委員などある種の特権階級ならいざ知らず、あんな物騒な代物が一般生徒の当馬の手に渡る流入経路はたかが知れているはずだ。 「つーぐちゃんっ」  びしゃっと腰になにかが張り付く。  なにかの正体は、今の戦闘でのMVP、姫園だった。  もうおわかりだろうが、姫園も風紀委員の一員だ。原作で見た限りでは彼が風紀委員会側に与する要因は一切なかったように見えたのだが、こっちの現実では、気づいたら委員会にいた。原作とズレた理由はよくわからない。  冒頭のやりとりも学園内でのそういった行為が激しい当馬を現行犯で捕まえるための囮作戦だった。断じて俺がクズで変態なわけではないのだ。断じて。  言い忘れていたが、ここはBLの世界。男同士での恋愛や痴漢、性交渉は一般的である。俺もさっき前世を思い出すまではそうだと思っていた。今はうん、他人が勝手にやるのは構わないが、正直巻き込まないでほしい。俺はかわいい女の子といちゃいちゃして平和に過ごしたい。  ただ、正直まだ頭が追い付いていない。前世を思い出した現状の整理。原作黒野の破滅の対策。原作よりも早い時期に出現した指輪の調査。やることはいくらでもある。  滑る脳内を整理しながら、とりあえずは当馬を抱えなおしながら姫園に向き直った。 「世話をかけたな、姫園」 「ほんとだよー、もー。アイスのサイズ、キングサイズに格上げだからねー?」 「今日はお前に助けられた。キングでもダブルでも好きにしたらいい」  姫園はぱっと顔を輝かせ、 「え、ほんとー!?……い、いやいや!だめだめ、年頃男子的には!カロリーも気になるところなのー!」  むすっとしてみせた。 「そうなのか」 「あ!今じゃあアイスやめればいいのにって顔したでしょ!つぐちゃん!ちょっとー!」  こんなにかわいい顔をしているが、姫園も男である。救いがない。  
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