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俺と犬千代が通された先は畳が木の床で出来た長方形の広間。その奥に一段高い所が作られ畳が敷き詰められている。
これ見たことある。お殿様とかが奥に座って左右に家臣が並ぶ奴だ。
実際、その左右にはこれまた信じられないほどのイケメンや美女が並び座って……!? 美女!?
なんで美女がここに居るの!? 武将って言ったら男じゃないの!?
混乱しているとその美女が俺を見て鋭い目で睨んで来た。
犬千代が正座をするので同じようにして、そのやや後ろに座る。
「信長様のお目見えである、ひかえよ」
そして彼が頭を土下座のような姿勢で下げるので、慌ててそれを真似る。
暫くすると誰かが歩く音が聞こえた。
直後、ばしん! という音が二回響いた。
片方は犬千代から、もう一つは俺の少し手前。
だがその直後「なんと!?」と驚く声が響いた。
なんだろうかと思っていると「面を上げよ」と重厚な響きをもたらす男性の声がした。
犬千代がゆっくりと頭を上げたのを感じて、それに習って同じようにすると……犬千代の頭から血が流れていた。
思わず声を上げようとしたが、一瞬振り返った犬千代の眼が「動くな」と言った気がして押し黙った。
そこで気が付いた。犬千代のまえに血の付いた鉄扇が落ちていたのだ。そして俺の前にも。
そして視線を動かすと、驚きながらも笑みを隠さない男が1人、上座で仁王立ちしていた。
髪を無造作に頭の後ろやや上部分でまとめ、顎と口髭を綺麗に整えた目つきの鋭い男。日本人にしては可なり眼力が強く、掘りもやや深い。年齢にして2後半と言った見た目。
だが彼の纏う雰囲気は俺の知る同年代の若者のそれではなく、明らかに覇気ともいえる威圧感を纏った偉丈夫だった。彼こそ、後に天下を取るという織田信長その人だった。
「ほうほう、随分と面白い拾い物をしたようだな、犬」
「はっ!」
犬と呼ばれて彼は再び深く頭を下げた。額から流れる血を拭うことなく彼は真剣な顔つきだ。
「しかし、先の戦いでお前は勝手に参戦したあげく、その後行方知らず。果てにはこのような素性も知れぬものを城へ招いた。これに何か言う事はあるか」
「よろしければ」
「申せ」
「某は、過ちを犯しました。その過ちはここに居る勝家殿や可成殿のとりなしによって本日まで生きながらえてございます。此度の身勝手な参戦、その裏には功績を上げてそれにて自らの罪を帳消しにと考えておりました。
しかし、私はこの者に「お前のしていることは道理が通らぬ、罪を認めずして許しを請うなど順序が違う」と諭されました」
「ほう?」
その言葉に信長の眼が俺を射抜く。
「某は殿に謝りたく存じます。もちろん、殿の怒りが冷めやらぬと申されるのであればこの場で切り捨てていただいて構いませぬ。ですが、どうかこの者……正の字をどうか仕官させてやってはくれませぬか! この者の言動こそ怪しけれど、その性根はまっすぐで少年のような純粋さを感じまする! さらには仙人としての力は紛うことなき本物! 信長様の野望を叶える一助になるかと進言いたします!」
彼の絶叫とも取れる言葉に、一瞬の静寂が訪れた。
すると信長は小さく深呼吸をすると、上座に座り胡坐をかいた。
「犬千代、顔を見せよ」
「……はっ」
ゆっくりと顔を上げると、正面からまっすぐ見つめた。
時間にして一分にも満たない見つめ合い。犬千代はまっすぐ見つめ返し、信長もまた犬千代の眼をまっすぐ見つめた。
「男子3日会わざれば、というがまさにそれよな」
「殿……?」
「かつてのお前は自らの行いから目を背け、野心と功名心に囚われた野良犬であったが、そこな男に出会って少々躾がされたようだな。本日より、帰参を許す」
「なんと!? 某はまだ相応の功を立てておりませぬ!」
「功ならばすでに立てたではないか。新たな戦力、それも千人などという奇怪な男をな」
ちらりとこちらを見る彼はニヤリと笑みを浮かべた。
そして俺と信長の間に落ちていた鉄扇を彼は拾い上げた。
「見ろ、お前たちの頭に投げつけた鉄扇だ。こちらは犬千代に投げたもの」
二つを並べると片方には血が付いており、もう一つは見事にへし折れていた。
「これは!」
犬千代がこちらを見る。
慌てて首を振る。俺が攻撃したわけではないと必死に伝えると、信長は「であるか」と小さく呟く。
「どうやらその男、仙人であるかはともかく不可思議な力を持つことは間違いない。頭を下げ、攻撃に気付いた様子もない暢気な男だがその持つ力は無意識のうちにワシの攻撃を弾き落とし、さらには鉄扇をへし折って見せたのだ」
そういえば、野武士だか落ち武者だかに襲われたときも勝手に攻撃を弾いていたな。
これ、オートガードみたいなことやってくれてるのか。
「お前、名は何という? 正の字と呼ばれていたが名があるのだろう? 申せ」
「義正といいます。義理の義に正しいと書いて義正です」
「かつての将軍と同じか。犬千代が名を変えて呼ぶわけだ、そのままでは無用な誤解を産み兼ねん。とはいえ、いつまでも正の字では名を上げた時に不便だな。……よし、お前は今日から正道だ。犬千代の道を正した、今後もその名に恥じぬ正道を行く生き方をせよ」
その言葉に唖然としていると、犬千代が慌てた様子で俺の頭を押さえつけた。
それを見て信長は声を上げて笑った。
「正道は知っていても礼儀を知らぬか! 尾張のおおうつけにはうつけものが集まってきよるわ!」
「殿っ、このような素性の知れぬ男、危険です!」
先ほど俺を睨んで来た美女が否と声を上げた。
鍛えられているのか首筋や僅かに露出した肩や腹筋周りがやたらと勇ましい。それに、日に焼けているようで見える肌が小麦色でこれまた健康美溢れる姿。
黒髪を後ろでまとめたポニーテール姿の美女は鋭い目つきでこちらを見た。
「勝家、ならばこの男をどうするつもりだ? 見た所、妖術だか法術だかは本物だ。それを此処で捨てるには惜しいぞ」
!? その人勝家なの!? 勝家って言ったら、あの柴田勝家だよね!? 織田信長の話でも何度も出て来る武将で、めちゃくちゃ強いイメージにある人だよね!?
何で女の人になってんの!? この世界どうなってんのマジで!!
どうみても剣道やってる女の子みたいなりりしい感じになってんじゃん!?
「ですがその力で殿に謀反でも起こしたら……!」
「正の字は……正道はそのような真似をする男ではない! 確かに素性は知れぬが、今日までの旅の間一度たりとも某を襲う事は無かった誠実な男だ!」
俺が混乱してる間に、犬千代が代わりに反論してくれている。
ただ襲う云々の時に若干顔を赤らめるのやめてくれる? 俺そっちの趣味なんいんで。
「だが……、ならば、その実力を貯めさせていただきたい!!!」
「ほう」
美女もとい勝家の言葉に信長が面白そうに顎をしゃくった。
「もちろん、殿の意見を無視しての意見であることは重々承知です。ですが、危険の可能性を見過ごし主君を危険に晒すなど家臣としてあるまじき行為! ですので、私が飼った暁にはこの男を私の小姓として扱い、監視させて頂きたく!」
あ、追い出すとかじゃなく監視するだけなんだ?
それなら別に俺はそっちでもいい気がしてきたぞ? というか、美女のそばに侍る事が出来るならそれはそれで美味しいかもしれない。
……めちゃくちゃ虐めてきたりしないよね? 陰で殴ったりとかしないよね?
「ふむ、お前が負けたその時はどうする」
「……この身体をくれてやりましょう! 私を一対一で負かせる程の強者であれば、是非もありません!」
ちょっとまって。買ったらこの美女が俺のお嫁さんになるって事!?
やばいが全やる気が出て来た。何が何でも勝ちたくなってきたぞ? でも俺自分の力をまだ完全に使いこなしてないんだよな。
「待て! 正道を此処まで連れてきたのは某だ! 小姓として傍に置くのであれば見知った中である犬千代こそが道理であろう!?」
「笄切りの件では擁護してやったが、これに関しては話が別だ。お前の言う力とやらが本物であるならば、より力のある物を伴侶とするのが良いに決まっている。帰参したばかりの小娘は大人しく下がればよろしい」
「なにをっ!?」
小娘? ……は?
犬千代、女だったの? 確かに中性的な顔立ちだなって思ってたけど……うそだろ? まって、さっきから驚く情報が多すぎて頭が追い付かない。
勝家が褐色剣道少女で、俺と戦ったらお嫁さん負けてもお傍に使える事になって、犬千代は実は豪快ボーイッシュ系女子で、おまけに俺争奪戦に名乗りを上げてて……。
ああだめだ、混乱してきた。
「ふむ……こう二人は言っているが、お前はどうしたい?」
「俺に振るんですか!?」
ニヤニヤと楽しそうに笑う信長……様は顎をなぞりながら楽しそうの方で笑っている。
よく見ると他の家臣たちも何やら顔を背けながら笑いをこらえているようだ。
……こいつ等、楽しんでやがる!!
「殿、拙者に妙案がございまする」
そう言って声を上げたのは髭たっぷりの猛者といった男武将。
手を上げた彼の手には親指が無かった。
誰だろうかと首を傾げていると、犬千代が小さな声で「森可成殿だ」とおしえてくれた。この人が犬千代を弁護してくれた人なのか。
思ったよりワイルドな見た目してるな。
「申せ」
「本日は旅の疲れを癒し、明日に勝家殿と利家殿の両名と一騎打ちをさせるのです。もちろん刃を抜いての立ち合いですが、彼の本領は剣ではなく特異な力と聞きます。それでこの者の実力は推し量れましょう」
「で、あるか」
信長は腕組をして暫く考えたのち、膝をパンと叩いた。
「よし、では明日の昼、飯の前に2人と正道の立ち合いを行う。そこでの勝負に勝った者の願いを聞き入れるとしよう。もちろん、こやつが配下に加わる事は決定事項、それを覆さぬ範囲でならば叶えよう。
それまでは正道は客人待遇でもてなせ、経緯はどうあれ犬千代が招いたことに変わりはない」
信長様の言葉に他の家臣たちはいっせいに頭を下げた。
その後、俺は女中に案内されてそれは綺麗な一室に案内された。
「ここを使ってもいいのですか?」
「はい、何か御用があれば及びつけくださいませ。また、夕飯時にはこちらからお呼びいたしますので、どうぞごゆるりと」
「ありがとうございます」
礼を告げると驚いた顔で「滅相もございませぬ」と慌てて頭を下げて立ち去って行った。
俺は女中が立ち去る音を聞いてから肩の力を抜いて座った。
「は~~……、とんでもない事になったなぁ。いや、とんでもないといえば、徹頭徹尾とんでもないことだらけだったんだけどもさ」
過去にタイムスリップしたり、野武士に囲まれたり、人が殺されるところ見ちゃったり、魔法が使えたり、歴史の偉人たちと話す事になったり、なんでか闘う事になったり……そういえば野武士1人殺してるっぽいんだよね。事故だとしても、現代の日本だったら犯罪者だ。
畳の上にごろんと転がって瞼を閉じる。
「俺、帰れるのかな……」
元の世界には両親や友人だってもちろんいる。恋人は出来なかったけど、仕事だってしてたから俺が急に居なくなった事で色んな人に迷惑をかけてるかもしれない。
ああ、こんな事ならせめて歴史の授業真面目に受けておくんだった。「こんなの社会に出ても何の役にも立たない」って思ってたけど、こんな形で歴史の知識を求められるなんて誰が予想するんだよ。ちくしょー。
とりあえず、明日に備えて準備をしないといけないよな。……でも室内で魔法の練習はまずい。かといって、フラフラと外を出歩いてたらまた疑われてトラブルの原因にもなりかねない。俺が怪しまれたり問題を起こしたら、ここまで連れてきてくれた犬千代にまで迷惑掛かる。
ぐるぐると悩みが頭の中を駆け巡る。
こうなるとしょうもない事しか考えが思いつかないと自分でも理解してる。
俺は思い切り手足を伸ばして、欠伸をする。
「あ~めんどくさ。もういいや、なる様にしかならないようん! というか今日までずっと歩き通しだったから疲れてるし、今日はメシの時間まで大人しく寝よう!」
久しぶりのちゃんとした部屋での睡眠だ。ゆっくりと休ませてもらおう。
そう決めると、あっという間に眠気がやってきて眠りの中に落ちてった。
「正道、おい起きろ正道」
身体を揺さぶられる感覚で意識が覚醒していく。
なんだろうかと瞼を開けると、そこにはやたらと色っぽい恰好をした女が座っていた。
着流しの着物姿でややはだけた胸元に視線が向き、なんとなく「きれいな肌だな」なんて考えていたのだがそれもすぐに吹き飛んだ。
「…………。――!?」
目の前にいる色っぽい女の正体が犬千代だったのだ。
あった時は髪を後ろで結ていたのだが、それを解いておろしているせいもあって雰囲気ががらりと変わっていた。
起き抜けに飛ぶように距離をとった俺に驚いた犬千代が「どうした」と近寄って来るのだが、膝立ちからの両手を地面につけての四つん這いで来るものだから胸元がやけに怪しい事になっている。
「ななななな、なんて恰好をしてんだお前!?」
「恰好? これは屋敷に居る時の着流しだが? 変か?」
自分の姿を両手広げながら確認する姿は、ここ数日で見た豪快な犬千代ではなく年相応……いやそれ以上に幼い女の仕草にしか見えなかった。
……もしかして甲冑を着てる時と、そうで無い時で切り替えてるのか?
そう思うと居間のやり取りで過剰に慌てている自分の方が不自然に思えて来た。コホンと咳払いをしつつ、深呼吸して心を落ち着かせると改めて犬千代に話しかける。
「ごめん、ちょっと寝起きだったから混乱してた」
「ああそういうことか。済まない此方も不作法だった」
「いやいいよ、それより呼びに来たって事はなにかあった?」
「おおそうだった。湯あみの準備が出来たので入ると良い。それが終ったら夕餉をとるとしよう」
「そういう事だったのかありがとう」
「うむ、せっかくだから背中を流してやろう」
……………………なんて?
「なんで犬千代が俺の背中を流す事になるの?」
「む? お主を此処まで連れてきたのは俺だからな、当然その身の回りの世話をするのは俺の役目だ」
「嫌そこまでしてもらうのは悪いっていうか……」
「遠慮するな、共に同じ釜の飯を喰らった中ではないか」
「いやいや、っていうか犬千代女の子だろ? 男と一緒の風呂ってまずいだろ」
「確かに体は女だが心は武士だ。肌の一つや二つ見られたところでぎゃあぎゃあと喚くつもりはないぞ」
だめだ、犬千代の性格が豪快過ぎて男女の垣根が脆すぎる。
どうにもこの子は自分を武士というカテゴリで見過ぎて、周りからどう見られているかについて少々不用心な所があるみたいだ。
生半可に実力があるから周りの男も手を出せないものだから、いつの間にか「それが当たり前」と思い込むようになったのかもしれない。
何とか一人で入ろうとすると今度は「正の字は……犬千代が嫌いか?」としょんぼりした顔になってしまった。
信長様が犬と呼ぶ理由が分かった気がする。この子、懐いた相手にじゃれてる時とか、こうやって距離を置かれたときのリアクションが尻尾やら耳が見えるレベルで犬っぽいのだ。
今俺の視界では耳を垂れさせて、尻尾もへんにょりと力なく下ろした犬千代の姿にしか見えない。
そうなると俺は頑固に突き放す事が出来ず、仕方なく受け入れることになった。
「……わかった。けど、俺が恥かしいから何か羽織って欲しい」
「! うむ、湯浴み着があるのでそれを借りて来よう! 暫し待て!」
そう言ってドタドタと走って部屋を出て行った。
湯浴み着って確か風呂入る時に着る着物型の水着みたいな服だよな。
……俺が何も言わなかったら、全裸で入る気満々だったのかよ。
犬千代の驚く程変わったビフォーアフターに早鐘を打つ胸を抑える様に、ゆっくりと深呼吸をしながら彼――いや、彼女が戻って来るのを待つのだった。
「ここが湯浴み場だ!」
そう言って案内されたのは一度に5人くらいの人間は入れるほどのソコソコ大きな風呂場だった。
床も浴槽も木製で出来ており、中々に良い広さを持った浴室だった。
「さあ、入るぞ!」
湯浴み着を着こんだ俺の手を引いて浴室に入る犬千代。彼女も既に着替えを済ませており、明るい笑顔で歩を進める。
……はい、がっつり目の前で着替えたので見ちゃいました。俺が顔を背けるより早く、がばっと着流しの前をはだけて脱ぎ始めたのだ。
犬千代、着やせするタイプだったらしく思ったよりお胸様が……いや、不純な事を考えるのはやめよう。色んな意味でヤバくなる。
頭を切り替えて風呂に集中する。そうだ、と思い出しさっそく風呂に入ろうとする犬千代に指摘をする。
「しっかりかけ湯をしろよ」
「かけゆ?」
言葉の意味が分からないらしく、浴槽の前で首を傾げる犬千代。その仕草が既にかわいい。
「湯を足元、腰、最後に肩から掛けるんだ。いきなり熱い湯に入ると心臓がびっくりして身体に悪いんだ」
「ほうそんな事初めて聞いたぞ。そもそもこの風呂が広まったのは最近で、そう言った事は詳しくないのだ」
木の桶を手に取って、湯を俺が言ったとおりにかけ始める犬千代。流石に現代の様に湯を簡単に補充が出来ない為、少量ずつに分けて身体にかけるまでに納めているが、それよりも別の問題が出て来た。
「んんっ!?」
「どうした?」
「いや、その……透けて」
「透けて? 湯浴み着なのだから当然だろう?」
彼女の来ている湯浴み着が水を吸って身体に張り付いているのだが、風呂に入るために作られた性質上なのか薄手に作られており彼女の肌がうっすらと透けるくらいになっていた。
「ほれ、お主もかけ湯をせい」
「あ、ああ」
桶を手渡され同じように済ませると、やはり自分の身体に張り付く感覚が些か気持ち悪い。
その後、手を引かれるようにして湯船に入ると張り付いていた湯浴み着の感覚がなくなり、やっと息を付けた。
……隣で湯に浸かる彼女は色んな意味で色っぽい事になっている為、直視することはできないが。
「それにしてもお前には助けられたものだ」
突然犬千代が呟いた。
「どうした急に、助けられたのは俺の方だぞ」
「信長様はあの時、俺を切る心算だった」
その言葉に目を向いて驚く。思わず彼女を見てしまったが即座に視線を逸らす。
「そう、なのか? 俺にはよくわからないよ」
「お前の言う通りだったのかもしれない。通りを無視して自分の思うように動こうとする俺に愛想が付きかけていたのかも知れぬ。だが、あの時お前の指摘通りに動き、その結果信長様は帰参を許してくれた。さらにはお前の力を認め、客人待遇で迎えてくださった」
「……それはたぶん、犬千代が真剣に信長様と向き合ったからだよ」
「そう、なのだろうか。結局俺は、最初の目論見通りお前を利用して信長様に取り入っただけなのではないだろうか」
少しずつ声を落として行き、口元まで湯に付けてしまう程落ち込む彼女を見て何とか励ましたいという思いに駆られた。
湯船の中で身体をぐるりと半回転させて犬千代に向かい合う。
「犬千代」
「なんだ?」
「お前は十分偉いよ。どんなに優れた大人や武将でも自分の非を正面から受け止めて反省できる奴はそうはいない。間違いを認めるってのはかなり大変なんだ」
「……正道」
「間違いを犯さない人間はいない、と俺は思ってる。それは信長様だって同じだと思う」
「殿が間違うはずが……」
「もちろん殿だけ限った話じゃない。人が誤った道を進もうとしたとき、それを止めるのが仲間って奴じゃないか?
心が疲れ、判断を誤りそうなとき人は簡単な道を歩みたくなるものだ。それが悪い事だとは言わないけど、もしそれが信長様の望む道でなかったときはそれを忠言してみせるってのが本当の部下の在り方だと思ってる。……もちろんそれを受け入れるのは業腹で、素直に受け入れがたいだろうけどね。
だけど犬千代は部下ですら無く、会って間もない俺の言葉を正面から受け止めてそれを実行に移した。それってすごく大変で偉い事だと思うんだ。だからそれは誇っていい事だと思うよ」
その言葉に彼女は俯いて「そうか、誇っていいのか」と小さく呟いた。
次に顔を上げた時は先ほどまでの落ち込みはどこへやら、向日葵のように咲き誇った笑顔を向けて「背中を流してやる!」と立ち上がった。
「ちょお!?」
目の前に犬千代の身体がドアップで映り、慌てて両手で目を覆い隠そうとするが、その手を犬千代に取られて浴槽から無理やり出される。
「さあ、湯浴み着を脱いで風呂椅子に座れ! 此度の礼だ、俺が全身をくまなく洗ってやろう!」
「いやいやいや! いいって! 背中だけでいいって!」
「そうはいかん! 礼を失しては武士の恥、これは俺の在り方の問題なのだ!」
まごついている俺の湯浴み着をはぎ取る様に脱がせに掛かる犬千代。
「ぎゃー! まてまて! ほんとに、ホントに今はまずいから!」
「何を恥かしがる、先ほどまで同じ湯に浸かっていたではないか! ええいめんどうだ!」
あっという間に湯浴み着をはぎ取られ全裸になった俺の腹に馬乗りに乗っかる犬千代。
いかん!! これはいかん!
犬千代のヤツ自分が女である事を本気で忘れてる可能性がある!
「ふっふっふ、観念しろ。なあに天井のシミを数えている間に終わらせてやろう」
「それは別の意味になるだろ!」
「ええい、男の癖にぎゃあぎゃあと、大人しく洗われろ!」
そう言って白い袋を両手に持って迫って来た。
それが何なのか分からないが、どうやらこの時代の潜在代わりのようだ。
身体を洗いながら雑談していると、いくつかの事が分かった。その中でも驚いたのは「女性でも武将に慣れる」という事だった。
なんでも家の跡継ぎが生まれなかったり、才能があからさまに優れていた場合は性別よりその力を優先することがあるらしく、姫武将として当主になることもままあるらしい。
まるでラノベのような設定だが、事実として柴田勝家や犬千代の例がある以上否定する要素が無い。
もしかすると他の戦国大名とかも女の子になってたりするの? それはそれで興味が尽きないな。
ちなみに結婚はどうなるのかと言えば、もちろんする事はあるらしい。だがその相手が武将であることが必須。
妻の代わりに戦場に立てなければ、必然的に夫がその役割を担う必要があるそうだ。
何とも難しいバランスで成り立っている世界である。
「ぬ、思ったより筋肉が付いているな。胸板もごつごつしていて……何か鍛えているのか」
「……剣道を少し、習ってたんだよ」
「ほう! やはりそうか! しかしあの根性無しっぷりをみるに町道場で齧った程度か?」
「ああ、実践なんてほとんどないよ」
彼女との会話に集中して気を紛らわそうとするのだが、臍下あたりに乗っかる彼女の尻の柔らかさで……あ、まずい。
息子が元気溌剌に。
「ん、どうした急に黙って。それにさっきからモジモジと……あ」
不思議そうにしていた彼女が固まった。
ばれた。
次第に彼女の顔は赤くなり始め、ぎぎぎと音がしそうなほど油の切れたブリキのような動きでこちらを見る。
「その、すまん」
「いや……お前、俺みたいな貧相な身体でも興奮するのか」
その質問答えなきゃダメですかね。
というか、今もなお自己主張するソレが答えをお伝えしてると思うんですが。主に君の臀部に。
俺の沈黙を肯定と受け取ったらしい彼女は「そ、そうか」と呟くと固まってしまった。
その時――浴室の扉ががらりと開いた。
「いよ~う客人殿、湯浴みをしていると聞いてやってきた。男同士湯の中で語らおう……では、ないか?」
先ほどの顔合わせの際に試合を進言した男、森可成が真っ裸で入って来たのだ。
「あ」
「え?」
「お?」
固まる三人、青ざめる俺と、キョトンとする犬千代と良勝。
暫くすると良勝は視線を下に動かして「ほほう、これはご立派な」と呟いてからあくどい笑みを浮かべる。
「いやいや、これはこれは、失礼仕った! よもやそのような間柄であったとは! はっはっは! あの暴れん坊な利家にも春が来たようでなにより! では!」
それだけ言って、可成が踵を返し走って行った。
「ま、まて可成殿! 何か勘違いをっ」
流石にまずいと思ったらしい犬千代が追いかようとするが、既にその姿はなくドタドタと走り抜ける音が遠ざかるのだった。
時折女中の悲鳴のような声が響くあたり、服を抱えて全裸で走ったのだろうと分かり、彼女は溜息をついた。
「面倒な奴に見られた。アイツの口の軽さは尾張一だぞ、どうする正……み、ち」
振り返った彼女は見てしまった。
今だ状況を把握できずに仰向けに寝転がる俺の姿、そして天を突かんばかりに勝鬨を上げる三本目の足を。
「~~~~~~っ!! さっさとそれをしまえ!!」
彼女は手に持った袋を叩きつけた。
俺の袋に。
「んぐおぉぉぉ!?」
「あ、すまぬ正道! おい、正道? まさみちーーーー!!」
遠のく意識の中、涙目で駆け寄る犬千代とその悲鳴を聞きつけて集まった女中の悲鳴を聞きながら、俺は「風呂は一人で入るに限る」と呟き、意識を失ったのだった。
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