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私は女王様である。
行く先々で色んな名前で呼ばれている野良の三毛猫である。朝御飯をもらう家ではミーちゃんと呼ばれ、昼寝をする家ではサクラと呼ばれ、人間どもがオヤツを給仕してくれる公園ではノラとかニャンコちゃんとか様々に呼ばれている。
名前を呼ばれたら、「ニャー」と返事をしておけば、「かわいい」だの言われて、食べ物をくれたり、痒いところを掻いてくれたりするから、人間とは単純な生き物――私にとっては奴隷である。
「ミケちゃん、今日は美味しい鮭を焼いて待っていたのよ。さあ、どうぞ、食べて!」
毛色そのままに「ミケ」と呼ばれるこの一軒家では、毎日の夕御飯を馳走になっている。私がいつでも自由に庭に入って来れるように、門の鍵を掛けないで私の好物を謹呈するこの家の女は、さしずめ私の一番奴隷である。
「熱つつっ!」
私の大好きな鮭だったので、猫舌ということを忘れて、急いで口の中に入れてしまった。
「あら、ミケちゃん。熱かったの? 冷ましたはずだったんだけど、ほんとに猫舌なのね。フーフーしてあげるから、ちょっと待っててね」
このように、鮭に息を吹きかけて冷ましてくれる女は、いつも私を女王様待遇で迎え入れてくれる。この女に限らず、大概の人間は、私が何か欲しい素振りを見せれば、「御飯が欲しいの?」とか、「水が欲しいの?」とか、私の要求を汲み取ってくれる。
とくに、ハイトーンで「ミャーッ」と鳴いてみると、厳ついオヤジでさえハイトーンで「なーに?」と、まさに猫撫で声で私の意向に従ってくれるから傑作だ。だから、色んな所で女王様扱いをしてくれる野良猫稼業は楽しい。
だけど、全ての人間が奴隷だと思っていると大変な目に遭うこともあるから、気を付けないといけない。昨日も人間奴隷を増やそうと、知らない家の庭に忍び込んだら、
「コラッ、泥棒猫! 出ていけ!」
と、私の大嫌いな水をホースで打ちまけながら追い払う敵人もいるから、初めての家に近寄る時には、ソロリソロリと姿勢を低くして、安全を確かめながら歩くことが肝心だ。
「ミケちゃん、お腹いっぱいになった?」
鮭の切り身を食べ終えて、毛繕いを始めようとしたところで、奴隷女が話し掛けてきた。
「ミャー」
と満足げな表情をしながら応えてやる。
本当は腹八分目だけど、美容のためにはこれくらいの量が丁度良い。なにしろ、食べ過ぎると、この女みたいに、お腹だけぽっこり大きくなって、醜いデブ猫になってしまう。もちろん猫にだって、スタイルの良し悪しはある。太り過ぎちゃうと高い所へジャンプできなくなるし、猫嫌い人間に虐められた時に素早く逃げられなくなっちゃうしね。
「ワン!」
この家の犬が近づいて来た。犬の食事は私の食後と決まっている。
「ジョン、お座り! 御飯持ってきてあげるから、そのままお庭で、待て!」
犬は人間に命令されるままに行動しないと食事を与えられないから可哀想な動物だ。
「ワン、ワン!」
女が犬の食事を持って来ると、それを見たジョンが千切れそうなほど尻尾を振り始めた。猫族が人間に対して尻尾を振る時は、返事するのが面倒くさい時だけど、犬の尻尾振りは人間に媚びる動作なのだろう。
「ジョン、お手! おかわり! よし!」
食べるタイミングまで指示されるジョンは、私から見れば最下層の生き物。つまり、この家での序列は私が筆頭格で間違いない。
さて、雲行きが怪しくなってきたから、そろそろいつもの公園のねぐらに戻りましょうかね。
「ミケちゃん、また明日ね」
呼ばれて一度だけ振り向いてあげるのが食事の感謝の印。ジョンみたいに尻尾を振り振りする必要はない。言葉に甘えて、また明日来てやれば、それで奴隷女も満足なはず。
「あっ、雷が鳴ったわ」
暑い季節の雷は、私が嫌いな水が急に降ってくる合図だ。急いでねぐらに戻らなくちゃ。
「夕立が降ってきたわ。しかも雹も一緒よ。ジョン、危ないから家に入りましょ」
痛い! 水だけじゃなくて、氷も降ってきた。私も家の中に退避させてもらおう。
「ミケちゃんは、ノミも一緒にくっ付いて来ちゃうから、家の中に入ったらダメなの。ごめんね」
最下層の犬の分際でさえ、家に入っているのに、最高位の私がどうして家に入れないのだろう。このままじゃ、ずぶ濡れになって風邪を引いちゃうし、氷で怪我しちゃう。どこか隠れる場所を探さないと。
あっ、庭に車が入ってきた。この家の男が帰ってきた。暖かい車の下で雨宿りすれば、びしょ濡れになった毛も乾かすことができる。
痛いっ! 男が私の尻尾を掴んで引っ張り始めた。この家では私が女王様よ。手荒いことをするのは許さない。
「おーい、ミケ! ビショ濡れじゃないか! こっち、おいで! お家で乾かしてあげるよ」
ハイトーンで媚びた女の声に比べて、低いトーンで威嚇的な男の声は、敵対者に違いない。でも、このまま尻尾を引っ張られたままで踏ん張っていたら、この前、遊んだトカゲみたいに尻尾が切れてしまう。ここは一時降参するしかなさそうだ。
「ミケ、ずぶ濡れじゃないか。風呂に入れてやるからな」
*
家の中は風もなくて快適な雰囲気ね。でも、外の冷たい水から脱出できたと思ったら、男が暖かい水を私に掛けてきた。やっぱり私を虐待するつもりね。ここはシャーっと反撃の狼煙を上げるに限る。
「怒ってるわよ。猫は水が嫌いなのよ」
「分かってるよ。でも、ノミが取れれば、ミケを家猫として飼ってあげられるだろ」
「ミケちゃんを飼ってもいいの?」
「ああ、いつかミケを捕まえて、家に入れようと思ってたんだ。俺は犬派だけど、おまえは猫派だろ」
「ありがとう、嬉しいわ。年末になったら、我が家に新しいお客さんも来るし、賑やかなお家になりそうね。あっ、動いたわ」
「え、どれどれ?」
この男、女の醜く太った腹に耳を当てて、笑い掛けているわ。人間界では、腹が出た女の方が魅力的なのだろう。
「あなた、ミケちゃんが震えてきたわよ」
せっかく気持ちよくなった暖かい水が掛からなくなったから、寒くなってきたわ。
「ドライヤーで乾かしてあげよう」
熱い!
男が金属の筒から熱風を出して、私を焼き殺すつもりのようだ。それならば爪を立てて反撃だ。
「痛―い。引っ掛かれた!」
「きっとドライヤーが怖いのよ」
「困ったな。半乾きのままじゃ風邪を引いちゃうよ。あっ、そうだ、いいアイデアがある!」
男が何かを組み立て始めた。罠かしら?
「まだ夏だというのに、コタツですか」
「猫はコタツが大好きだし、この中なら、すぐに乾くだろ?」
男が作った大きな箱は何だろう。箱を見ると、入りたくなっちゃうのが猫の性だ。
「近寄ってきたぞ」
「やっぱり、猫はオコタが好きなのね」
この赤い光はすこぶる快適だ。私のお毛々もすぐに乾きそうだし、この中なら一生住んでもいいくらいだ。こんな素敵なお家を用意してくれるなんて、間違いなく私はこの家の女王様だ。
*
外の世界は雪だわ。今年の冬は、この奴隷の家を定宿にしたから、寒い思いをしなくて助かる。
でも、女奴隷のお腹がますます大きくなるにつれて、動きも鈍くなって、奴隷としての仕事量が減ってきたのが気になる。しかも、何日も前から家を留守にして、奴隷としての役目を忘れているのは不届き千万だ。
まあ、その代わり、男奴隷が私の御飯出しとおトイレ掃除をしているから、私の快適な女王生活に変わりはないから大きな問題ではないが。
「久しぶりの我が家は最高だわ」
「ここがお家でちゅよ! 家族が三人になって、犬も猫もいて、楽しい我が家だね」
この女、太っていたんじゃなくて、妊娠していたんだ。私の奴隷が一人増えた……と喜んだのも束の間、奴隷夫婦は赤ちゃんに掛かりっきりになって、私への饗応を怠りがちになってきたのが許せない。
女は、私が御飯を食べたいと合図しているのに、「オギャー」と泣く赤ちゃんを優先するし、この家では、人間の赤ちゃんが最上位に君臨してしまった。そう、私はこの赤ちゃんに下克上をされてしまったんだ。ならば、この家にいる意味はない。とりあえず、冬の間はこの家で我慢して、暖かい季節がきたら、別の奴隷を探しに行くとしよう。
*
春が来て、再び私は野良猫に戻った。
猫好き人間奴隷たちは相変わらず御飯を振舞ってくれるし、オス猫からは毎日プロポーズされるし、外の世界では私が最高位に変わりない。
でも、最近は自慢のプロポーションが崩れてきてしまったのが残念。なにしろ、食欲が半端なくて、腹八分目じゃやめられず、いつの間にかぽっこりとお腹が出てきてしまった。もしかして、あの女と同じく、私も妊娠してしまったのだろうか。
*
暑い季節になって、私は五匹の母親になった。そして、子猫のために離乳食を探しに出掛けたり、道路の渡り方を学習させたり、ベイビー達のために粉骨砕身して働くのが朝昼晩の務めで、私自身の事は二の次三の次になってしまった。
親になって初めて分かったのは、弱い者を助けてあげながら生きていくことが、強い者――最高位に君臨する者の宿命だっていうことをね。
(了)
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