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来るはずがない――そう思っていた桜庭春樹が営業部のフロアに現れたのは、その日の夕方のことだった。
「田辺さん」
纏っている空気が絶対零度のブリザードだ。
漆黒の魔王様は相当怒っていらっしゃるご様子だった。
それでも頭を下げてきたのだ。
「お願いします。メルのコスプレをしてください。あなたしか頼める人がいないんです」
まさか、この人のつむじを見る日が来るとは思っていなかった。
いつもはガヤガヤとうるさい営業部のフロアが静まり返っている。
どうしよう、困ったな…。
どう返事をしていいかわからず、黙っていると
「田辺、それぐらいで勘弁してやってくれ」
横から社長の杵淵さんの笑いを含んだ声が聞こえてきた。
社長からも言われてしまったのでは、もう仕方ない。
これも仕事のうちと割り切るしかなさそうだ。
「わかりました。でもわたし、どうなっても責任とりませんからね!」
桜庭課長が去った後、営業部のフロアに拍手喝采が沸き起こった。
「さすが勇者!俺たちの仇を討ってくれた!」
いやいやいや、ちがうでしょ。
結局また、わたしが生贄になっただけでしょーが!
歓声の中、わたしだけがため息をついていたのだった。
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