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それ以来、納期短縮の依頼は必ず田辺ひなたが来るようになった。
「桜庭課長、お疲れ様です。営業部の田辺…」
「もう顔と名前を覚えたから毎回名乗らなくていい、用件だけ言え」
「ええっと…」
「『えっと』『あのー』は禁止。用件だけ単刀直入に言え」
「毎回お忙しいところ、非常に心苦し…」
「だから!そういう回りくどい言い方はいらない。用件だけ言え、残り1分しかないぞ」
そうやって、ひなたを鍛えていった。
歩いている時に声を掛けられたときは、そのままわざと早足で歩き続けると駆け足で追いかけて来る様子がかわいくて、つい笑いそうになる。
ただし、ひなたがかわいいことと、納期短縮を了承するのは話が別だ。
そういう贔屓をするつもりはないから、納期短縮の依頼をすんなり了承することは皆無なため、毎回もめる。
だから俺は、ひなたに相当嫌われていると思う。
別にそれでもいい。
呼吸をするのも忘れていたかもってほどに集中して仕事に追われている時に、「桜庭課長?」とあのかわいい声で呼ばれると一気に肩の力が抜けて呼吸がラクになる。
すっかりほだされているけれど、特別な関係になりたいと思っているわけではない。
このままで十分癒されているから。
あの日までは、そう思っていた――。
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