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暑い国
朱の国の第一印象は「暑い国」。
大陸も夏は暑かったけれど、湿気はそうでもなかった。ところが、海を数日渡っただけなのに、何だこの暑さは。とにかく湿度がヒドイ。旅装の一部は背嚢に突っ込んで、風通しを優先したけれど多少マシになった程度だ。やたらと雨が降るのにも閉口した。最初の一年は、気候の違いに面食らったまま過ぎた。
朱の国は、山間部の峡谷にある「霧の谷」と、山と火山に挟まれた扇状地帯「裾の川」、火山の麓のカルデラにある「火の山」という三つの地域に別れている。
霧の谷は大陸から来た移住者が多いのでさほど居心地の悪さは感じなかったが、裾の川以南については、民の倫理観に異質と言っていいほどの違和感を憶えた。
特に裾の川界隈の猥雑な街は、正直怖かった。堕ちようと思えばどこまでも許されてしまう。基本、なんでもありの欲望丸出しの大人の街だ。
「部屋、空いてるか?」
朱の国に来たばかりの頃から、裾の川でも山側の街の、ある宿が定宿になっていた。カラチャという霧の谷出身の若女将がしきってる、いわゆる連れ込み宿だ。
「ええ、いつもの部屋空いてるわよ」
向こうも慣れたもので、顔を見ただけで部屋の鍵を渡された。すっかり馴染みになった階段を上がり、一番奥の部屋へ行く。ある目的の為だけにほぼベッドで占拠された部屋だが、風呂には入れるし休むだけと思えば十分だった。
部屋に入ると内鍵を掛け、汗が染みた服を一気に脱ぎ捨てて風呂に直行した。今の時間なら、すぐお湯が出る。蛇口をひねると、湯が溜まるのも待ちきれずに 湯船に座り込んだ。編みこんでいた髪をほどく。随分伸びてしまった。
「あー……、毛先、痛んできたな……」
またぞろ、適当なところで切るか。
ある程度お湯が溜まったところで蛇口を締めた。
自分、何をしているんだろう……。
大陸で一人旅をしてた時は、こんな心細い気持ちにはならなかった。
あまりにも環境が違い過ぎて、部外者意識が強くなる。
住民感覚が理解できないのだ。
いっそのこと、同レベルになればこんな気持ちにはならないのか?
酔いつぶれて転がっている酔客にも、キマリきってうつろな表情を晒して徘徊する薬物中毒者にも、路地裏でまぐわっている商売女にも、今では心動かされないくらい麻痺してきたが、それは一生理解できないガラスの向こう側だと割り切ったからだ。
唯一、カラチャはそんな不安や心細さを埋める相手ではあったが、所詮商売という線引きのポーズは明確で、馴染みになったとしても「客」としての扱いは崩さない。建前の中に潜む本気を探すのに疲れ、かえって孤独を深めただけだった。
隙間を埋めるだけ。
必要以上には求めない。
いつしか適度な距離感に折り合いをつけた。
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