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弟
正直、僕はセルベル様の、お兄様の弟君とどれぐらい似ているか分かりません。
軍内の士官学校にいたころの成績はそこそこよかったようですが目立った活躍もなく、突出した能力も持たなかったという弟君は兄であるセルベル様の数々の功績の影に隠れていたようです。
埋もれてしまった弟君の記録が残っている資料はとても少なかったです。
そのうえ弟君をよく知る人々は弟君の名前を出すことさえ拒むほどに深い心の傷を負っているようで話を聞くことも叶いませんでした。
どうにか分かったことは、弟君の名前が「セレス」だということだけでした。
…資料を束ねた大きな本をドサリと机に置くと頭がとてもくらくらとして目がズキズキと痛みました。たくさんの文字を読むのは頭が混乱するのでどうしても苦手でした。
優勢だった東と北を押し返し、冬前に停戦協定を出してからはや半年、暇な時間ができる度に僕は過去の軍内の情報をかき集めるようになりました。
少しでもセレス様のことを知って、僕がお兄様を満足させれるように、弟君の代わりになれるようにがんばりたかったからです。
「またそんな本を読んでるの?この前の分に載ってないならそっちにもないよ」
背後から聞き覚えのある明るい男の声がしました。正直振り返りたくはなかったのですが相手の方が階級が上なせいもありいやいや振り返りました。
そこに立っていたのはフォード様の片腕を名乗る長身で長い赤毛を1つにくくった猫のような顔つきの男、ヒース様でした。
彼は僕がこの情報管理棟閲覧室に通いだして3日が立った頃から毎日のように話しかけてきます。
「セレス様の情報がある可能性がゼロだとは言い切れないですよ」
「あったとして使える情報だと思う?」
明らかな嫌味である前に正論であるその意見に僕は反論ができませんでした。セレス様が軍内の養成学校にいたころの分は遠に読み終わっており、今手元にある分はその2年後のものだったからです。
「そんなにしょげないでよ、俺がフォード様とセルヴェル様に怒られる」
「…」
「仕方ないな、今日はヒントをあげるよ」
「セレスはとても優しい子だったよ、…自分以外に対してだけどね」
にっこりと口角を上げながらヒース様は「ヒント」をくれました。
優しい、優しい…僕には少し難しい言葉でした。
僕はお兄様に人に親切にすること、思いやることが優しいことだと習いました。
ならばそれをすればいいはずなのですが…
…どうしてかそれだけではお兄様は喜んでくれない気がするのです。
優しいとはなんなのでしょうか。
そして、自分に優しくないとは…?
「じゃあ、はい、次俺の番ね」
思考を中断させるかのようにヒース様は話し始めました。
「…何がですか?」
「情報っていうのは時にはお金に変えられないほどの価値があるだろ?それをただであげるわけにはいかない、そう思わない?」
「…たしかにそうですね」
でも、僕にはヒース様が驚くような、価値の有りそうな情報なんて思いつきませんでした。
「…思いつかないなら俺の質問に答えてくれるのでもいいよ?」
困った僕にヒース様は提案を持ちかけました。…はじめからそちらを狙っていたようです。
かといって僕には他に交渉材料もないので「どうぞ」と言う他ありませんでした。
「君がセルヴェル様に育てられている中でセレス様に、いや…セルヴェル様から君を君以外の誰かとして作り上げようとしている意思を感じたことはある?」
「単刀…直入ですね」
ヒース様がフォード様の部下だと聞いてから、ずっと僕のことを探るために近づいているだろうということは分かっていました。
それでもこの手の話に切り込まれるはまだ時間がかかると思っていたのですが…ヒース様は仕事が早いようです。
…仕方がないので僕はヒース様のもとに1つの「証拠」を差し出しました。
「…この指輪、セルベル様から頂いたものです。セルベル様には小さいからと」
「だいぶ前に流行ったデザインだね、よく手入れされている」
「他にもいくつかセルベル様から頂いたものがありますが、どれも同じ頃に流行ったデザインのものです」
「だいたい…セレス様が軍内の養成学校に入る前の数年間あたり…かな?まああそこ私物の持ち込みに厳しいからね」
ヒース様は満足気に頷くと「うん、今日はこれで満足したよ」と席を立ち上がりー
立ち去ろうとするヒース様の袖をつかみ引き止めました。
「これは僕の意思でもありますから、それだけは覚えていて下さい」
「…そんなに簡単に追加で情報を出したら駄目だよ?」
「なら次のヒントの分に取っておいてください」
「次のヒント、楽しみにしてなよ」そう言い残してヒース様は中央東棟へ向かっていきました。
その姿が小さくなるまで僕はその場で動けませんでした。
今気づけば僕は、喋りすぎたのではないでしょうか、もし、この情報でセルベル様が不利になったら、そう考えると全身から冷や汗が滲み出ました。目がぐるぐると回りだし…
よろけた僕の体は後ろから大きくて温かい腕に抱きとめられました。
「あれぐらいの情報で私は負けはしない」
それはやはりセルベル様の腕でした。予定よりも僕の帰りが遅れたことに違和感を持ったのでしょう。
「それにヒースとフォードならあの情報は悪用しない、どうせからかいに来ただけだ、気にするな」
「でも…」
「…たしかに、お前は交渉戦には弱いな、感情に出すぎる。しばらく前線に出ることはないからその間に覚えておけ」
セルベル様のその言葉を聞き、僕の全身から力が抜けました。きっと安心したんだと思います。
そして、思いました、次は僕がセルベル様を安心させたい。
「この情報収集は…しばらく控えます」
これは僕なりにセルベル様を安心させるための誓いのつもりでしたがセルベル様は少し困ったような表情をしました。
そして目を細め、しばらく悩む素振りを見せたあとでセルベル様は仰りました。
「そんなことをしなくとも、…いや、今思えば私が手を加える前からお前達はもう十分に似ているよ」
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