哀悼

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 牡鹿は霧の谷の入り口に立った。  濃い灰色に染まった世界に、ザクロは声も出なかった。渓谷の湖だけが黒々と流れて動いているが、流れに生き物の気配を見つけることはできなかった。  村を道なりに進んでいくと、木ごと覆った樹上住宅をあちこちに認めた。火山灰の重さに耐えきれなかったのであろう。 「ザクロは、この霧の谷のどこを拠点にしてたんだ?」 「ああ、この先に山に上がる道がある。そこを登って、右手の山頂のところ。丁度、火の山を臨むことができる場所があるんだ」 「ふうん。……そこ、行ってみるか」  牡鹿は目的地を了解したというように角を振った。  かつて、村の広場であっただろう空き地を過ぎて、山に上がる道へと入っていった。緩やかな斜面を、足場を確かめるように牡鹿が進む。腐葉土に火山灰が降り積もっているから、思いの外、滑って足場が悪いらしい。それでも、ゆっくり時間をかけて、確実に山頂へと歩みを進めていった。  なだらかな稜線に出て、ここから歩く、とザクロが言うので二人は牡鹿から降りた。稜線はところどころ赤茶けた土がのぞいていた。何故だか少しホッとする。    稜線沿いを歩いていくと、小高い(ふち)に出て、いきなり視界が開けた。眼下にひろがる黒い平地は、多分裾の川だったところだ。ところどころで、今だ水蒸気が吹きあがっているのが見える。  そして、視界のはるか先に、かつての火の山の半分くらいの高さの黒い岩山がそびえていた。 「火の山、すっかり形が変わっちゃったなぁ。稜線のきれいな山だったのに」  ツキシロが両手をかさに陽を遮って目を細めると、ザクロはその表情を横目で見てから、裾野の光景を眼下に収めることができる平らな岩に腰を下ろし胡坐をかいた。 「噴火の直前、……オレはここに居たんだ。裾の川の街の灯を見ていた。夜中でも行き来する旅団の動きが見える」  ちょっとうつむいて自分の手元を見ると、再び顔を上げた。 「女神が、最期の挨拶に来た。もう、限界だと。……そして、オレと父に対する短い感謝の言葉の後に炎が吹きあがった。それ以降の……記憶は無い」 「……そっか」  ツキシロはザクロの隣に横座りすると、一掴みの火山灰を岩の上に盛った。胸元から小さな包みを出し、中から三本の細い棒状のモノを取り出す。 「玄の国では、死者を悼むのに香を供えるんだ。ザクロ、火をくれるか?」 「え?」 「……左手、出してみろよ」  ツキシロはきょとんとしているザクロの左手を取って握り込み、人差し指を出させる。 「指先から、ちょっとだけ火が出る……イメージしてみろ。出来るはずだ」  ザクロは眉間に軽く力を込めて、自分の指先を見つめた。  蝋燭の火先程の火がともる。  ツキシロは、フッと笑みをもらすと、その炎に線香をかざして香りを立てた。  ツキシロが火山灰の香座に線香を立てている間、ザクロは茫然とした顔をして、自分の左手を握ったり開いたりしている。やがて、イメージすれば自在に炎を操れることに気が付いて、左手をひらめかせて炎と戯れだした。急に生き生きしだしたザクロを見て、ツキシロは微笑んだ。 「女神の、最期のギフトだな」 「……?」  ザクロはツキシロの顔を穴が開くほど見つめた。やがて、合点がいったと見えて、遙かに見える岩山に視線を向けた。みるみる口元に力がこもり、眉間に皺が寄る。 「……かあ……さ…………」  ギュッと目をつぶり、うつむく。 「……泣けよ」 「…………」 「こういうときは、泣いていいんだぞ」 「…………」  ザクロはうつむいたまま、フルフルと首を左右に振った。  ツキシロは短く溜息をつくと、膝立ちになってザクロの両頬を手で覆って引き上げた。 「ばかやろ! 泣けよ! この意地っ張り!」  一瞬の間のあと、ザクロはツキシロに顔をうずめて咆哮のような慟哭の声を上げた。微風に揺れる線香の香りは、亡き人との穏やかな記憶を呼び寄せ、ザクロの慟哭はオオカミの弔いの遠吠えに似て、山に、谷に響き渡った。
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