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1.『フレンチ十和田』は満席です
青い鏡のようにきらめく大沼の湖面に、今年も宝飾品をちりばめたように、色とりどりの睡蓮が咲き誇っている。
ゆらゆらと水面に揺れる可憐な花を楽しむ観光客で、今日も大沼国定公園は賑わっている。
やがて、夏の遅い夕暮れが始まり、睡蓮たちもひっそりと眠るように花を閉じる。
それでも、優しい黄金に染まる湖面に揺れている姿は、モネの絵画のような優雅さだった。
今夜も『フレンチ十和田』は予約でいっぱいだった。
夏の観光シーズンとあって、ツアー会社の函館旅行プランのひとつとして来店する観光客、函館近郊で記念日を迎える地元のゲストに、あとは動画配信を見て予約をしたというゲストも一ヶ月に何回か入るようになっていた。
まだ茜が差し始めたばかりの遅い夕暮れ。『フレンチ十和田』のディナータイム開始、夜の営業で開店となる。
ゲストを迎えるために、この日は蒼と葉子が玄関でお出迎えの準備をしていた。
「そろそろだな。今日は千葉から来られる岩崎様が、『視聴者』経由のご予約なので、そのつもりで」
「はい。給仕長」
もう葉子の夫となった男の顔ではなくなっていた。
楽しくて優しくて賑やかな『蒼くん』ではない。きりっと凜々しい『篠田給仕長』になっている。
篠田給仕長は、サービス中は『メートル・ドテル』の顔を完璧に保つ。
例外がひとつ。
時間どおり。ひとりの中年男性客が、ご両親を伴ってご来店。
タクシーで到着したその姿が見え、葉子から先に出向いて、フレンチ十和田の玄関扉を開けた。
開いたドアのそこに、メートル・ドテルの蒼が立つ。葉子もドアを開けた状態にして、蒼の隣に並んで一緒に一礼をする。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
共に出迎えて、チェックカウンターへとご案内をする。
お名前を伺うと、蒼が予測していたとおり『岩崎様』だった。
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