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今年は穏やかな気持ちでいる葉子の様子が、すぐ隣にいる蒼もわかっているようで静かに見つめてくれている。そんな葉子を葉子のままに、そっとしてくれる男性も、この人だけ。
「三月といえども、やはりまだ冬だね。私には堪えるよ。ヴァンショーでも、いかがかな」
小さなポットをリュックから取り出した甲斐チーフが、教え子のふたりに微笑む。
七飯町の林檎と、クローブ、シナモン、レモンスライスも少しだけ。赤ワインにつけ込んだホットワインに、ハチミツもたっぷり。
蒼が持ってきたステンレスのコップ三つに、甲斐チーフが注いでくれる。
シュラフに入ったまま、うつ伏せで三人ならんで、ふーふーと湯気を吹いて飲んだ。
「おいしー! 甲斐チーフのヴァンショー大好き」
仕事場ではない場所なので、普段、蒼と一緒にいる時のまま無邪気に葉子が喜ぶと、甲斐チーフも嬉しそうだった。
「こんなに寒いのに。ふたりは、去年はもっと早い時間からここにいたのだろう」
「秀星先輩が、いつからここにいたのかはわからないんですけどね。でも深夜でこの寒さなら、猛吹雪の中では余程だったと……」
「決意だったんだな」
どうしても秀星の心を追う時間になってしまう。
むしろ、その時の秀星を知りたくて、去年も蒼が葉子に提案してくれたのだ。
『行こう、葉子ちゃん。俺も一緒に行くよ。秀星先輩を追いかけてみよう』
声が出なくなった葉子のために。葉子の気が済む方法を一生懸命考えてくれて、防寒の準備も全部やってくれて、ずっとそばにいてくれた人。
だから。去年のこの日、蒼が『一緒に旅行しよう。今度は少し離れて、ゆっくりしよう』という言葉も、葉子の心に強く響いた。
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