明日晴れなくても(7)

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七・事件は学校で起こっている  新学期初日。  朝から空は青く澄み渡り、少しだけひんやりとした空気が頬に気持ち良い。家を出た私は久し振りに全力疾走で駅に向かっていた。  夏休みの間ずっと自堕落な生活を繰り返していた私は早起きをするという感覚を完全に失っていた。  運動不足の身体はすっかりなまり、心臓が破裂しそうになるくらいバクバクと鼓動してすぐに息が上がった。駅まで完走するのはとてもじゃないが無理な状態だが、ここで走るのをやめてしまうと乗らなくてはいけない電車に間に合わなくなる。その次の電車では間違いなく遅刻が決定なのだ。  膝が悲鳴を上げ、脇腹にも激痛が走った。  長距離ランナーの孤独を味わいながら、なぜ自分はこんな思いをして走っているのだろうと自問する。 「それはお前が寝坊をしたからだ」  と、私の中の理性が答えた。 「遅刻したくらいでお前の人生に何の影響があると言うんだ? たかが遅刻じゃないか。お前が遅刻したからって誰も困らないし、世の中が変わってしまうわけでもない。そこまで無理せずに歩いた方がいい」  もう一人の欲望という奴が耳許で囁く。  私は速度を緩め、脇に手を当てながら呼吸を整えた。給水ポイントがあったら真っ先に紙コップに手を伸ばしてがぶ飲みしたいほど口の中はカラカラだった。 「もう少し頑張ってみようよ。まだ間に合うかもしれない」 「こんなところで無駄に体力を消耗するのは利口じゃない。これは勇気ある撤退なんだ」  私の中のバトルロイヤルは欲望が劇的勝利を収めた。  自分が乗らなくてはいけないはずの電車が目の前を嘲笑うように走り去っていくのを見送ったとき、もう少し頑張れば良かったと後悔したが、もう手遅れだった。  遅刻が確定したとわかった途端、私の中に罪悪感が芽生えた。そして、 「あぁ、こうやって遅刻を繰り返してどんどん悪い道に走って行くのだ。やがて遅刻が多くなって、休みがちになって、そして不登校になってしまうのだ」  と、勝手に負のスパイラルに陥った。 「たかが一度の遅刻で自分をおとしめるのは良くない。また明日から早起きすれば良いんだ」  虫の息だった理性に慰めされながら私は電車の吊革に掴まって車窓を流れる景色を見るともなしに見ていた。  新学期初日から心身共に疲労を訴えながらもようやく学校にたどり着いた私は昇降口に向かう途中で何となく学校の雰囲気がいつもと違うのを感じ取っていた。  それは、久し振りに学校に来たからいう単純な理由ではなく、校舎から聞こえてくる校内放送と校舎脇に停められていた見慣れない車のせいだった。 「えー、本日の始業式ですが、指示があるまで教室で待機していて下さい。繰り返します。今日の始業式は――」  スピーカーから聞こえてくる教頭の声から何となく緊張感が伝わった。  そして、昇降口で上履きに履き替えて階段を上がろうとしたとき、校長室から出て来た人物を目撃して、自分の中にあった違和感の答えが鮮明になった。  校長室から出てきたのは宇都宮刑事だった。  私が生まれて初めて電車の中で痴漢に遭ったときにその痴漢を現行犯逮捕してくれたのが、彼だった。  さらに、私達が駅でホームに落ちた老人を救出した際にも偶然同じ駅にいた彼が手助けしてくれた。そのおかげで私達は地元の消防署から表彰されるという名誉をいただいた。  そして最も印象に残っているのが、昨年我が校で起きた殺人事件だ。その時も彼の活躍で見事犯人を逮捕し、事件を解決してくれた。その事件では私と紀子も超能力を駆使して犯人逮捕に一役買ったということも一応付け加えておく。  私にとって宇都宮刑事は何かと縁の深い男なのだ。  年齢は聞いたことがないが恐らく三十代で藤井とそれほど歳は離れていないように見える。ルックスは悪くないとは思うが、服装には全くこだわりがなく、少しくたびれたスーツ姿以外の彼を見たことがない。いつもノーネクタイで、ボサボサの髪とカビのように生えた無精ヒゲは男らしさよりもただのだらしないおじさんにしか見えない。 「あ、おじさん」  久し振りに彼の顔を見た私は思わず声をかけた。すると彼も私に気付いて手を挙げた。 「おう」 「おじさん、何かあったの?」  宇都宮は左手をポケットに突っ込みながら私の方に歩いてきた。 「何かあったから来たんだ。何もなければこんなとこへは来やしねぇよ。それより俺のことを『おじさん』っていうのやめろよな」 「また事件?」 「まあな。俺の口からは言えないが、恐らく校長から話があるはずだ」 「ふうん」  ぴょんと跳ねた彼の髪が気になってつい凝視した。  急に校長室の扉が開いて、中から青ざめた顔の校長が出てきた。 「あ、良かった。刑事さん、ちょっと」  校長は私には目もくれず、宇都宮に向かって手招きした。  校長室に消えていく宇都宮を見送ってから、私は階段を上がって教室へ向かった。  教室から聞こえるみんなのざわめき声で赤羽が教室にいないことを悟った私は正々堂々と教室の前から入ることにした。  ガラッと扉が開いた途端、それまで賑やかだった教室が一瞬にして静まり返り、全員の視線が一斉に私に注がれた。  私はその視線に圧倒されてその場に棒立ちとなったまま動けなくなった。 「なーんだ、白岡か」 「マジびびったぜ」  ビビるくらいなら最初から席に着いておとなしくしてろよ、と心の中で思いながら自分の席に向かうと、紀子が大きく手を振って私を出迎えてくれた。 「おはよー。今日も時間通りだね」  紀子がイヤミっぽく言った。 「赤羽が来てなくてラッキーだったね。いたら完全アウトだもんね」  遅刻確定だったにも関わらずハプニングで遅刻を免れたのは本当にラッキーとしか言いようがなかった。 「ゆかり、おはよう」  耳許で舞依の声がした。私は舞依に向かって「おはよう」とテレパシーを返した。 「寝坊?」 「ま、そんなとこかな」 「ひょっとして夜遅くまで宿題やってたとか?」 「そんなんじゃないよ。朝起きられなかっただけ」 「よかった」 「よかった?」 「夏休みの宿題やって来てないの私だけじゃなかった、ってこと」  私は舞依に向かってニヤリと笑って見せた。 「昨日は宿題やらなかったけど、宿題が終わってないとは言ってないよ」 「えっ!?」  急に舞依の表情が曇った。 「ねぇ、ゆかり」  紀子が私の背中とツンツンと突っついた。 「まさかとは思うけど、あんた夏休みの宿題終わったのかしら? 一昨日聞いたときはまだ半分も終わってないって言ってたよね」 「あ、そうだっけ?……うん。まだ終わってない」 「と言うことは、今日居残り決定って訳ね。ご愁傷様」  紀子が私に向かって手を合わせた。 「やっぱり、ゆかりもやってないじゃん!」  舞依のツッコミが聞こえた。  私が振り返り舞依に向かって「ごめん」のポーズをすると、舞依は頬をぷぅっと膨らませた。 「いいわ。ゆかりが残って宿題やるのなら私も付き合ってあげる」  舞依の上から目線な態度に私は思わず吹き出してしまった。それを見て舞依もつられて笑った。  ピンポンパンポン~♪  突然、教室のスピーカーから校内放送が流れた。聞こえてきたのは教頭の声だった。 「えー、全校生徒にお知らせします。本日の始業式は中止とします。生徒は速やかに下校して下さい。繰り返します。本日の始業式は中止し、明日に延期しますので、生徒は速やかに下校すること。以上」  放送が終わると、最初は戸惑いがちだったクラスのみんなも一人二人と鞄を持って立ち上がった。 「本当に帰っても良いんだよな?」 「何かトラブルでもあったのか?」 「早く帰れてラッキー!」 「マジかよ。せっかく久し振りに早起きしたってぇのに。なんか損した気分」 「ヒマになったからカラオケにでも行こうぜ!」  クモの子を散らすように次々とみんなが出て行った教室にはたちまち私達を含めて数人の生徒しか残っていなかった。 「一体何があったんでしょうね」  藤井がブレンドコーヒーのカップを置きながら言った。  いつもの面子で学校を出た私達は途中で素子とミエから別れ、『あみん』に足を運んだ。  私達の隣の席には初めて店に入った愛依と舞依が若干緊張した面持ちで藤井を見ていた。 「刑事さんが来ていたというのだから、何か事件が起きたとは思うのですが」 「詳しい話は一切なかったんですよ」  紀子が前屈みになって話している。 「宇都宮さんが来てると分かってたら、詳しく聞きたかったのになぁ」 「いや、うかつに首を突っ込まない方が身のためです。知りすぎたがために犯人に狙われると言うこともありますからね」 「お待ちどおさま」  マスターが私達の注文品を運んできた。 「白岡さん、夏休みほとんど来てくれませんでしたね。せっかくお待ちしていたのに」  マスターが私の前にオレンジ一〇〇%ジュースを置きながら言った。 「宿題もやる暇がないくらいたくさん遊んだと言うことでしょうか」  図星だ。ひょっとしてマスターは超能力者なのかもしれない。 「蓮田さん、頭痛の方はその後どうですか?」  紀子はレモンスカッシュを前にして、ストローの紙袋を破りながら言った。 「あれからもちょくちょくあるんですけど、彼女に良い薬を紹介してもらったので今は大丈夫です」  そう言って紀子は舞依を指差した。  急に自分に振られた舞依は、ちょっとビックリした顔でこちらを見た。 「あ、私も頭痛持ちなんで」 「そうなんですか」  マスターは舞依の前にクリームソーダを置いた。 「舞依ちゃんから教えてもらった薬、効き目バッチリだよ。どんなに辛い頭痛でもあれを飲むとあっという間に痛くなくなるんだ」 「へぇ。それは一体どんな薬なんですか?」  藤井が興味深そうに尋ねた。 「『フェリツナール』っていう薬です。最近よくCMやってるから見たことあるかも」 「なるほど。確かに聞いたことがあるかも知れませんね」 「こちらのお嬢さんも頭痛持ちなんですか?」  マスターが愛依の顔を覗き込んでいった。 「あ、いえ。私は頭痛とかないんです……」  コーヒーフロートのバニラアイスにスプーンを突き刺そうとしていた愛依が手を振って答えた。 「あ、そうでしたか。何となくこちらのお嬢さんよりもお身体が華奢に見えましたので……失礼しました」 「ねぇ、マスター。この二人って双子なんですよ」  まあ、とマスターが驚いた顔をした。 「あまり似ていないって、みんなから言われるんです」  舞依がバニラアイスを口にしながら言った。 「いえいえ。二卵性の場合はあまり似ないと言うこともあるようです」  マスターは私達四人分のオーダーが書かれた伝票をそっと藤井の前に置いた。そしてカウンターに戻ろうとする手前で愛依と舞依に声をかけた。 「やっぱりお二人は姉妹ですよ」 「えっ?」  二人は同時にマスターを見た。 「お二人とも飲み物よりも先にアイスから口を付けてます。まだストローを袋から出していないのも一緒です。それに、おいしそうにしているお顔がそっくりです」  よく見ると二人ともひたすらドリンクの上に載ったバニラアイスばかり食べていて、ドリンクにはストローすら刺さっていなかった。 「ホントだ。気が付かなかった」  舞依のとぼけた表情がみんなの笑いを誘った。 「藤井さん。言い忘れてたけど、舞依ちゃんはエスパーなんですよ」 「えっ、そうなんですか」  コーヒーに口を付けていた藤井が舞依の方を向いた。 「舞依ちゃん、藤井さんもエスパーなんだよ。テレビで見たことない? 〝サイキック・マジシャン〟の藤井知洋って」  バニラアイスを食べ終えてようやくストローをグラスに挿した舞依は藤井の方をチラッと見ると小さく首を傾げた。 「ごめん。あたしあんまりテレビ見ないから」  藤井は黙ってうなずいた。「それじゃあ仕方ない」と言っているようだった。 「それじゃ、お姉さんもエスパーなんですか?」  不意に話を振られた愛依は慌てて口の中のアイスコーヒーを飲み込んだ。 「小さい頃は使えてたんですけど……」 「いつの間にか使えなくなっちゃったんだよね」  舞依が愛依の言葉を継ぎ足した。 「藤井さん、そういうことってあるんですか?」  紀子が身を乗り出して訊いた。 「そうですね。稀にそう言うケースもあるようです。どうしてそうなるのかは様々な要因が考えられますが、一概には言えません」 「例えば?」 「子供の時の無垢な感覚が超能力を引き出していて、大人になるにしたがって次第にそう言った感覚が薄れていってしまって力が出なくなったという話を聞いたことがあります。あとは単純に興味が薄れていって超能力を使わなくなり、そのまま力を失っていくと言うこともあります」  超能力も使わなければ錆びてしまうと言うことか。 「交通事故などで頭を強く打ったと言うことはありませんでしたか。それが原因で超能力が使えなくなったという知り合いがかつていたものですから」 「いいえ、そういうことはないです」  藤井にギリギリ届くか届かないかくらいの声量で愛依が答えた。 「そうですか。残念ですね。せっかく超能力を使えていたのに」  黙って微笑む愛依の顔に一瞬陰りのようなものを感じた。それは緊張とか他人行儀といったものとは少し違っていた。 「ねぇ、二人に藤井さんのマジックを見せてあげてもらえませんか」  紀子が大胆なお願いをした。プロのマジシャンにノーギャラで手品を披露しろと言っているのだ。 「ちょっと、紀子。藤井さんに失礼よ」  私の中にあるわずかな良心が口からこぼれた。 「藤井さんのマジック見たら絶対二人とも藤井さんのファンになると思うんだけどなぁ。だって本当に凄いんだから」 「いいですよ。簡単なマジックしかお見せできませんが」  そう言って藤井は背広のポケットからトランプを取り出した。マジシャンはポケットにトランプを常備しているものなのか。  藤井がしなやかな手つきでトランプを操る姿を見て、愛依と舞依の目が彼の手許に釘付けになった。二人だけでなく紀子も私も彼のマジックと称した超能力をしばし見入った。  翌日、物々しい雰囲気の中で改めて始業式がおこなわれた。  朝から学校周辺には制服姿の警官が何人も配備され、正門では教師達が怖い顔で生徒を出迎えていた。  体育館に集合した私達もいつもと違う空気を察して、壇上に上がる校長の言葉に耳を傾けた。 「すでに一部の生徒や保護者からもSNS等で情報が拡散しているようです。また、様々なデマや憶測も飛び交っており、そのことでみなさんが混乱しないためにもここでハッキリとみなさんにお伝えします。これはとても重大なことです」  体育館がしんと静まり返った。誰一人として無駄口を叩く者はいなかった。 「実は、昨日我が校に爆破予告がありました」  生徒達が一斉にざわめいた。 「静かに」  校長の一言でまた体育館が静寂に包まれた。 「そのため、すぐに警察の方にお越しいただいて、昨日一日学校中を捜索していただきました。そして爆発物と思われるものは存在しなかったことを確認しました」  あちこちから安堵の声が漏れ聞こえた。 「最初の爆破予告から以降、犯人からの犯行予告などはありません。ですので今回の一件は愉快犯による嫌がらせという可能性もありますが、まだはっきりしたことはわかりません。今後しばらくは学校およびその周辺に不審物がないか警察の方に巡回してもらうことになります。併せて不審人物情報の聞き込みなどをおこない、犯人の特定に努めていただきます。みなさんも不審人物を見かけたり、廊下や教室で普段見慣れないものを見つけた場合にはすぐに先生方や警察の方に知らせるようにしてください。決して興味本位で不審物に触れたり近付いたりしないこと。また不審人物を特定しようと勝手な行動を取らないこと。ネットへの身勝手な書き込みも厳禁です。また、家族以外とはこの話題を口外してはいけません。憶測やデマで我々が動揺することが犯人の目的でもあります」  蒸し暑さの残る九月の体育館で生徒達は額や首筋にうっすらと汗をかきながら、黙って校長の話を聞いていた。  私はマイクに向かって注意を促す校長を見ながら、明日からは素子のSP達が警官と同等かそれ以上の数で彼女の護衛に当たるんだろうな、とぼんやり思った。爆破処理班みたいな人も出動するのだろうか。  ふと、超能力で危険物や不審人物を特定するなんてことができるのか考えた。私一人では無理かもしれないが、紀子や舞依と力を合わせればできないこともないんじゃないか。  しかし、そのことで彼女たちに危険が及ぶのは本意ではない。もちろん自分自身が危険な目に遭うのもごめんだ。  結局何もしないことが自分達の身を助けることになるのだという結論に至り、それ以上はもう考えないことにした。  始業式が終わり、教室で出欠を取るとすぐに下校となった。  校長の話では、本格的な授業は明日からおこなうが部活動についてはしばらくの間中止とし、秋に予定している文化祭、体育祭も今のところは延期の方向で検討しており、安全を確保できなければ最悪中止することもあり得るとのことだった。 「良かったじゃん。放課後居残りで夏休みの宿題やらなくて済んだんだから。おかげで一緒に帰れるしさ」  私達は西那須野姉妹を含めたオールキャストでぞろぞろと駅に向かって歩いていた。 「でも、自宅でやらなきゃいけないんだから一緒だよ」  一人でシコシコと宿題を片付ける自信がない私は後ろを歩く舞依に声をかけた。 「ねぇ、舞依。うちで一緒に宿題やろうよ」 「えー、よしとく」  舞依が即答した。 「だって、ゆかりと一緒だったら絶対宿題が手に付かない気がする」  その意見に反論するすることができなかった。それどころか激しく同意した。言われてみれば全くその通りだ。 「アイちゃんはちゃんと宿題やったんだよね?」  素子の言葉に愛依は小さくうなずいた。 「じゃあ、マイちゃんに見せてあげれば良いのに」 「うん。私は見せてあげても良いんだけど……」  愛依はちらっと横目で舞依の方を見た。 「私がイヤなんだ。教えてもらうのはいいんだけど、丸写しって言うのはなんか抵抗があるって言うか、性に合わないって言うか」  舞依の言葉は何となく意外に感じた。彼女ならどんな手を使っても目的を達成させるような気がしていたからだ。 「いつもならそうするんだけど、今回はどうしてもイヤだって……」 「へぇー。マイちゃんって偉いんだね!」 「偉くなんかないよ。ただの心境の変化ってやつかな」 「自分でやろうって思う気持ちが素敵よね」  ミエが感心しながらうんうんとうなずいた。 「ゆかりんも舞依を見習いなさいっ!」 「えーっ」  ミエからお小言を頂戴した私は一応ふて腐れてみたが、内心はとても嬉しかった。舞依の心境の変化を少なからず私には理解できたからだ。  これって、友情というのだろうか。 「ゆかり、あんた嬉しそうね。ひょっとしてM属性?」  つい気持ちが緩んだ口許に出てしまったみたいだ。 「しょーがない。私も家でコツコツやるかなぁ」  普段真面目に勉強などやらない私もその日は夕飯を終えるとすぐに机に向かった。  宿題に取りかかる前に、モチベーションを上げる意味も込めて舞依にメールを送った。 「これから宿題やるよ~」  するとすぐに舞依から返事が来た。 「私もこれから始めるとこ」 「それじゃ、お互い頑張ろう!」 「健闘を祈る!」  舞依からのメールを確認すると、集中力を保たせるためにスマホの電源を切った。そして机の上に広げた真っ白なプリントに向かってシャーペンを走らせた。  学校での厳戒態勢は続けられていたが、最初に爆破予告があって以降、第二第三の犯行予告はない模様だった。  日を追うごとに警官の数は減り、毎日のように学校へ顔を出していた宇都宮も四日目頃からは姿を見かけなくなった。  終始ピリピリとしていた校内の雰囲気も緩み始め、徐々に普段の活気を取り戻しつつあった。 「来週から部活始まるってよ」 「じゃあ、文化祭もやるのかな」  文化部の連中が嬉しそうに話しているのが聞こえてきた。  九月になると原則引退してしまう運動部と違い、文化部はそういった縛りが緩い。  大抵は文化祭が最後の晴れ舞台となるが、中にはコンクールや発表会のおこなわれる年内一杯まで部活動が許されているところもある。  帰宅部の私に引退という文字はない。卒業するまで在籍可能だ。 「蓮田さん、ですよね?」  休み時間に、教室で私達と談笑する紀子に一人の女子生徒が声をかけた。 「蓮田さんって、一応文芸部員よね?」 「えぇ」 「私、四組の栗橋って言います。文芸部の部長をしています」 「はぁ」  紀子がキョトンとした顔で答えた。  実は、紀子は一年の時から文芸部に在籍している。  部員が足りなくて廃部寸前だった文芸部の部長に図書室で声をかけられて名前だけ貸した、言わば幽霊部員ってやつだ。だから一度も部活に顔を出したことはないし、当然作品を発表したこともない。 「三年生最後の文化祭で何か作品を書いてみない? 短編でも詩でもいいし、短歌とか俳句でもいいの」  紀子に懇願しているその女子生徒は髪をポニーテールにまとめ上げ、大きな瞳と少し肉厚な唇ががとても特徴的だった。 「急に言われてちょっと戸惑ってるんだけど」  紀子が彼女の視線に気圧されている気がした。 「あっ、ごめんなさい! 突然だったからびっくりしたわよね」  栗橋さんはもう一度、ごめんなさい、と言って頭を下げた。 「不躾な言動だったわね」  側にいた素子とミエもまるでフリーズしたように身じろぎもせずその場に立っていた。 「今、文芸部員が少なくって、部誌すら作れないかもしれないの。部誌が作れなかったら、私達文化祭で何も発表できなくなっちゃうのよ」 「はぁ」 「幽霊部員の蓮田さんだとわかって敢えてお願いするわ。何でも良いから作品を書いて欲しいの」  栗橋さんの眼力(めぢから)が更に強くなった。その圧に押されたのか、紀子は即答を避けた。 「えっと……ちょっと考えさせて」  彼女の返事を聞いて栗橋さんが大きくうなずいた。 「ありがとう。良い知らせを待ってるわね」  踵を返して教室を出て行く彼女のポニーテールがピョンピョンと跳ねているのを見て、今の彼女の心境もこんな感じなんだろうかと勝手に想像した。  ダメ元で声をかけて即答で断られずに済んだのだから、彼女にとっては上々の成果だったのではないだろうか。 「ノリちゃん、小説なんか書けるの?」  栗橋さんがいなくなった後で、ミエが不安そうに尋ねた。 「いやー、私も書けるとは思えないんだけど、栗橋さんにあんなに真剣に見つめられたら、ちょっと断れる雰囲気じゃなかったから……」  ふぅ、と紀子は息を吐いた。 「何なら私が書いてあげよっか」  素子が事もなげに言い放った。 「素子、あんた小説書けるの?」 「ふふーん。ちょっとアイデアがあるんだ。えーとね、この世の人々を悪の化身に変えようとしている悪の軍団に魔法少女達が立ち向かうの。それでね、最後は魔法少女同士が戦うって話」  素子は大分アキバに感化されているような気がする。  新学期が始まって二週間ほど経ったある日の午後、理科の実験のために理科室へ移動中だった私達は校舎から出て来る宇都宮の姿を見つけた。 「おじさーん!」  二階の渡り廊下から紀子が大声で叫ぶと、宇都宮はすぐに気が付いて私達の方を見上げた。 「だから、おじさんじゃねぇーって」  宇都宮も負けずに大声で返した。 「犯人はわかったの?」  彼は外国人がよく見せるような、肩をすぼめて両方の手のひらを上に向ける素振りをした。 「なーんだ。おじさんも大したことないのね」 「あれからまったく犯行予告がないんだ。ま、恐らく愉快犯の可能性が高いな」 「ふうん、そうなんだ。お疲れさま~」  紀子が手を振ると宇都宮も手を挙げ、停めてあった車の方へ歩き出した。  翌日から部活動も再開し、学校には普段と変わらない日常が戻りつつあった。  事件が起きたばかりの頃は犯人捜しのためにブログやツイッターなどをネット検索をするクラスメートもいたが、さして有力な手がかりは見つからなかったようで、爆破予告事件は日に日に校内でも話題に上ることはなくなっていた。 「なんだか拍子抜けね」  休み時間に紀子が何気なくぼやいた。犯人が捕まって無事解決とまでには至らなかったのが不満のようだ。 「何もなくて良かったじゃない。平和が一番よ」  物足りなさそうにしている彼女をミエが諫めた。 「何かあれば、私達の超能力で事件を解決しようと思ったんだけどなぁ」  紀子がどこまで本気で思っているのかは定かではないが、少なくとも私は凶悪犯を捕まえられるような凄い能力が自分に備わっているとは思っていない。  犯人を捜すなら超能力を使うより、世界一優秀と言われる日本警察の捜査網と組織力に任せた方が確実だろうし、万が一犯人が私達に襲いかかってきたとしても、それを超能力で押さえつけたり投げ飛ばしたりするよりは柔道とか合気道を会得していた方が何倍も役に立つと思う。  超能力は万能ではない、と以前藤井に言われた言葉を思い出した。  超能力を道具に例えて、ナイフに置き換えてみる。ナイフで果物の皮を剥くことができるが、同時に人を刺し殺すことだってできる。  私なら果物の皮を剥く程度のことが出来さえすればそれで満足なのだ。決して人を殺そうなんてことは考えもしない。  それは紀子や舞依に対しても同様だった。二人にも超能力の間違った使い方だけはして欲しくなかった。 「では、お前は超能力を使って何ができるのだ? 何をしたいのだ?」  自分の中にいる何者かに問いかけられて、私はすぐに答えることができなかった。 (つづく)
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